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株式会社 新正堂〜お詫びのお菓子「切腹最中」の和菓子店

オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~


石田:本日のゲストは、株式会社新正堂代表取締役社長渡辺仁久さんです。よろしくお願い致します。

朝岡:ようこそ。新正堂さんは和菓子の会社、お店?

渡辺:そうです。

朝岡:かなり色々種類があるんですか?

渡辺:店頭には20種類くらいです。季節によって変わりますけど。

朝岡:今日お持ち頂いたものがオススメと考えて宜しいんですか?

渡辺:これは力作でございまして、四十七士が全員揃っております。本煉、さくら、赤穂の塩、黒糖、抹茶と五種類の味で47人が揃っております。

朝岡:中身は何なんですか?

渡辺:羊羹です。

朝岡:食べる前が楽しいですよ。

石田:先ほど拝見したんですけど、一人一人のキャラクターがしっかり説明されてて。

渡辺:あまり有名じゃない人もいますけど、そういう人も裏のQRコードを読んで頂くと、人と名前が出てきまして、泉岳寺の戒名まで出てくる。

朝岡:これ開けちゃうのもったいないですよね。

渡辺:うちお菓子屋なのに箱だけ売ってくれって、それだけは勘弁してくれって言うんですけど。

朝岡:他にはオススメありますか?

渡辺:これは後発でございまして、その前出たのが切腹最中というものでして、ちょうど浅野内匠頭がお預けになり切腹された田村右京大夫のお屋敷に当店がございまして、315年前くらいにうちの裏で浅野様が切腹なさったのでございます。

石田:それが由来で。

朝岡:社長というより講談師が来たみたいな出で立ちとお話の内容ですけど。お召しのものに田村町と書いてある?昔、住所変更の前は新橋の昔のNHKの放送会館がある側が田村町という交差点だった。

渡辺:おっしゃる通り。昭和33年から。それまでは田村町1丁目から6丁目まであったのに、4丁目だけが残ってまして。

朝岡:田村町というのは浅野内匠頭が切腹した場所?

渡辺:はい。田村右京大夫のお屋敷でございまして、約二千坪あったんですね。その一角にお店があったんです。

石田:ご主人は何代目ですか?

渡辺:三代目でございます。四代目もいまして、結婚はしたんですが孫がまだ出来てなくて、五代目が早く欲しいなと思ってます。

朝岡:お店のお写真を拝見すると和の雰囲気が店頭にも色濃く残ってますね。

渡辺:幾何学模様は桜模様で、浅野内匠頭が切腹した時は桜が散った時だったので、それを表現しています。

石田:その切腹最中をご用意頂きました。では早速頂きます。

朝岡:この白いのは?

渡辺:はちまきです。正直言ってあまり売れるとは思わなかったので、包装材に金かけちゃいけないと思って、子供の習字紙を巻いたのが始まりで、今はちょっと良い紙使ってますけど。

朝岡:あんこが見えてて横になってるのが切腹?

渡辺:思い切りバクッといってください。

石田:では頂きます。ぎっしりとあんこが詰まってますね。あんこもつやつやですね。

渡辺:ごめんね食べづらくて。

石田:美味しいです。最中の皮がぱりっとしていて。

渡辺:嬉しい。そこをわかってもらえて。その皮が大変なんです。最中の皮が上顎にくっ付いちゃうのが大嫌いだったんで、なんとかならないかと相談したら、餅米を良い米使うとこのようにパリッと。材料をケチっちゃいけませんね。

朝岡:あんこの量が多いですね。

渡辺:多いです。普通40gくらいですけど、うちのは62gあります。

石田:甘過ぎないですし、牛皮がもちっとしていて美味しいです。

朝岡:あんこが良い食感ですね。ちょっとかための。

渡辺:そこです。なんでもやわらかければいいってもんじゃない。世の中やわらかいのって。やっぱ食感があるのが美味しいですよね。

朝岡:食べ応えあり。切腹ってどうしてもイメージ的にはあまり良くないですけど、いつ切腹最中というネーミングに?

渡辺:父がまだ生きてるときに具合が悪くなりまして、その時は豆大福が売れてたのでやんなくていいやって思ってたんですけど、闘病生活2年半の間にてめえのお菓子つくんなきゃいけないなと思い当たりまして

「お前んちの大福うめえけど日持ちがしねえだろ?日持ちが良いのなんかつくんなよ」ってずっと言われてたのを思い出しまして。日持ちするのは最中だ、あ、うちの裏で浅野さんが切腹したなっていうので、一番最初に切腹最中と書いたんですけど、こんな名前のお菓子ダメだよなって思って、立志最中とか、春の名残最中とか、忠臣蔵最中とか色々書き始めるんですが、どうしても最初書いた切腹最中が頭から離れなくて、これでいくと言ったら母が泣いて反対しまして。

「和菓子というのはお見舞いとかお祝いに持っていくからこんな名前良くないわよ」「ここは浅野さんの切腹した場所なんだからこれが一番良いんだよ」でも2年くらい出させてもらえなかったですけどね。

石田:私の知人が粗相をしたときに切腹最中を詫び状の代わりに持っていったと。

渡辺:最近多くなってまいりました。最初のきっかけはバブルの時で、近くの証券会社の方が若い兄ちゃん連れてきまして。「てめえで腹切りませんがこれで腹切ってます」「でも火に油だからよしなよ」って言ったらその支店長が買っていっちゃったんですよね。でも一週間後に笑って許してくれたって言われて。お詫びのお菓子になるんだってその時初めて気がつきました。

朝岡:確かに和菓子ってお詫びの時に持っていくケースも多いですからね。

渡辺:大体とらやの羊羹で済ませますけどね。

朝岡:ちなみに新正堂というお店の名前の由来は?

渡辺:大正創業なので、新橋にある大正のお店で新正堂。じいさんが新次郎で、それもあってどうしても新をどうしてもつけたかったらしくて、新次郎の新と新橋の新に大正の正をくっつけて。

石田:「創業の精神」ということで、新正堂さんの創業の経緯を教えて頂けますか?

渡辺:うちのじいさんが岩手県の出身で、一旗あげようと大阪に行ったらしいんですね。でもばあちゃんが日本橋小町という凄い美人だったと、私が見たときはただのばばあだったんですけど。

それで岩手県から15,6人の丁稚奉公も雇い入れまして。今でこそデリバリーは何でもありますが、アイスキャンディーをつくったりして。今はサッカリンなんて使っちゃいけませんが、サッカリンで凍らすのが大変で、麻布十番まで自転車で届けて販路を広げて売ったというのがじいさんの自慢だったようで。

朝岡:大正のはじめでしょ?

渡辺:だから凄いことをやっていたんです。凍らせることが出来なくて、技術を近所の大学教授に教えて頂いて、例えば塩を入れれば余計に凍るというようなことを細かく勉強して、ケースをつくって自転車のカゴに積んで、あれは凄かった。アイスキャンディー御殿ってじいさんは言ってたんですけど、一部だけ高級な家になっていました。

朝岡:お客様のニーズにこたえる。工夫するのが好き。やってみるのが好きという。

渡辺:なんでもやってみようと言うんですね。若いうちは動き回るのが一番、そのうちいい結果が出るだろう。やりもせず頭で考える前にやってみようという精神がじいさんにあったんで。私もとにかくやろう、失敗したら後でごめんねって言えばいいかなと思っています

朝岡:まさにおじいさま譲りの創業の精神ですね。

石田:初代の方が成功されて、その後はどのように?

渡辺:2代目の父が弁護士になりたかったようで、えらい勉強して中央大学の法学部受かったんですけど、受かって卒業する時にじいさんが亡くなってしまいまして、渋々継いだようです。

かたい親父だったんで、人のマネをして、あそこの豆大福がこしだからうちはつぶでという感じで、真似っこでやってました。何でも甘きゃ売れたんですね。私も新正堂に入社したときは港区の芝に46軒菓子屋があった。それが今12軒です。その中で残らせて頂いてよかったなと思っていますが、親父も人柄が良かったせいか支部長とかやらせてもらって、月一回の和菓子組合に一緒に通って切磋琢磨していたんですが、12軒になっちゃったのは寂しいですね。

朝岡:代々言われている家訓はありますか?

渡辺:とにかくやってみなさいということ頭で勝手に想像しないて、やって失敗したら良いじゃん、やりもせんくせにごちゃごちゃ言うなということをよく言ってたみたいで。切腹最中出すとき反対した母にそれを言ってもわかってくれなかったですけど。

朝岡:渡辺さんのやってみようという精神は三代受け継がれているんですね。

渡辺:自分もこれは売れないかもしれないとちょっと思ってましたけどね。

石田:そもそもの和菓子の発祥はどういうところにあるんですか?

渡辺:江戸時代だと思いますね。砂糖がもの凄く高級品で砂糖自体が薬みたいなもんなんです。舐めれば元気が出るということで、大名のいただくもので。それを少しもらってつくったのがあんことか団子。米はあったので団子でついてお醤油つけて。あんこの団子はあまりなかったようなんですね。甘さに飢えてた男社会で、7割が男だった。宵越しの銭は持たないような男ばっかりだったんで、疲れを取るのには甘さが一番で、江戸時代に和菓子が発展したと思っています。

朝岡:現代では一時甘いものは太ると女性は特に思われていた時代があったようですが、逆に和菓子は女性からも注目されてる時代になってきた気がしますが、そこは意識していますか?

渡辺:昔は小豆1kgに砂糖1kgだったんですが、今は砂糖250gです。とらやさんも今は砂糖が半分以下ですね。砂糖の量が変わってきて、糖度が控えめになって、皆さんの口にだんだん変わってきたんだと思います。

とらやの黒川さんが「伝統は守るべきものがあるけども、変えないと繋がらない」とおっしゃって、同じ配合じゃダメだと。私も同じ配合しかダメだと思っていた時代がありまして、それを聞いてから変えていいんだと思って、砂糖を少なくしたら売れるようになりましたね。

石田:随分糖分カットされてるんですね。

渡辺:あまり減らすと今度日持ちが悪くなるので、ギリギリのところですね。1/3から1/4くらいまでいくと危ないんです。日持ちがほとんどしない。その代わり小豆の風味がします。それがまた難しいところでね。

朝岡:時代と寄り添う塩梅が難しいですね。

渡辺:塩梅という言葉は嬉しいですね。本当に難しいです。塩梅ちょっとで随分違います。

石田:最近男性もスイーツ好きの方が多くて、特に和菓子というのはサラリーマンの方もお好きだったり。

渡辺:新正堂も男の割合の方が多いです。新橋はサラリーマンが多いので、お詫びのお菓子ということで、朝9時オープンなんですが、9時前に5,6人買ってらっしゃいました。悲壮な顔つきで「開けましょうか」というと「お願いします」という方は領収書くれとおっしゃいません。

どっかの大手の広告会社は10個入り40個を領収書って、こいつ謝る気ないなって。10個入り一個買って領収書結構ですという方は「頑張れ」って送り出したいですね。失敗はしますよ人間。お詫びに行かれる方は大変多いです。人間ミスするにしてもいかがなものかというくらい多いですね。

決断 ~ターニングポイント~

石田:続いては「決断」〜2つのターニングポイント〜」ということで、まず新正堂さんのターニングポイントを伺えますか?

渡辺:大正創業なので、関東大震災でうちは燃えてしまいました。その後空襲でまた燃えてしまいました。新橋界隈はやたら燃えるんですね。それでも新橋を離れなくて、位置がちょっとずつ駅から離れていって、だんだん土地がおおきくなっていったんです。三番目がマッカーサー通りといいまして、進駐軍のマッカーサーが竹芝桟橋からアメリカ大使館まで戦車で行こうっていって線を引いたところにうちがかかってしまって、12年前に移動したのが三回目です。それでも新橋を離れなくて良かったと思いますね。

朝岡:厳しい中で新橋を離れなかったのはそれだけ愛着がある?

渡辺:結果的に新橋にいて良かった。一度新橋を離れたら二度と戻れないという方がいっぱいいらっしゃいました。小さくなってもいいから残そうと。母も白金に土地買って移ろうよって、どうせ東京都が土地を買い上げてくれるから、向こうで200坪買えるわよって。こっちは40坪なんですよ。でも新橋でやらせて頂いて良かったなと思います。

石田:他に大変だったことはありますか?

朝岡:和菓子の商品開発とか?

渡辺:色々やりました。苺大福が出た時はマネジメントしましたし、皮を赤飯にして赤飯饅頭とか、わけのわからないものをいっぱいつくりましたがほとんど売れませんでした。やっぱり定番のものが美味しいんだということに至りまして、最中のネーミングを考えようというので切腹最中が出てくるんですね。その後あまりに名前がひどいんで、景気上昇最中というのを出しまして、不景気の時には良いだろうと。

あとは愛宕神社の出世のおじさんというお菓子とか。パソコンを始めたものですから、「e-monaka.com」というドメインをとったのですが、点をドットと読むのを知らなかったものですから、ドットの最中もつくったりしたんですけど。ネーミングの面白さと基本的な味が良ければ売れると思いまして。

ネーミングが面白いとハードルを下げてくれるんです。こんな名前のお菓子だから美味くないだろうって。新橋物語とかより切腹最中の方がグッとハードルが下がるんで、意外と美味いじゃんという、それが結果的に良かったと思います。

子供4人いまして、女房が月に一回学校に行くんですがPTAのお母さんに切腹最中を渡して怒られたことがあって、帝王切開だったらしいです。それで女房にほら見なさいと怒られて、それで諦めようかと思ったけど諦めなかった。

119名にアンケートとったんです。その当時の第一勧銀とか弁護士さんとかに、あげるからアンケートをとってもらったんです。切腹最中を良いと言ったのは119名中たった1名だけなんです。あとは絶対やめなさいと言った。その1名のおかげで薄皮一枚残ったので結果的に今がある。ゼロだったら諦めてたでしょうけど。今は反対が割合としては凄く減りましたので。

朝岡:なかなかお話伺っていると和菓子屋のご主人というよりも新しいものにトライするのが大好きという方ですが、もともと小さい頃から継げと言われてたんですか?

渡辺:嫌でしたね。女性にモテたかったからデザイナーになろうと思ったんです。連れて歩く女性に良い洋服を着せたいと、バカな事考えてたんですね。

結果的に和菓子屋になったんですけど、全然つくれなくても当時職人さんがいたので、任せてプー太郎みたいなことしてたんですね。親父が具合悪くなったからやらなきゃとものすごく焦りましたね。その感覚が味を変えちゃいけないとかいろんなことに。

職人に新しいものつくってよって言うと、「いや、味を変えちゃ新正堂が朽ちるからよしなさい」と。結局そいつが面倒くさかっただけなんですね。親父が亡くなってから色んなものをつくらなきゃいけないと思ったけど、味を変える勇気が必要でしたね。それがあんこのかけ方を変えるということに至ったんですけど。

本来なら一晩水につけて朝ぐつぐつと煮るんですが、今はぐらぐらした湯に生のあずきを入れて炊くんです。昔のあずきはもの凄いアクが出たんですが、最近のは品種改良でアクが少なくなってまいりまして。京都は2度も3度もさらして品の良いあんこですって、私も憧れてたんですけど、なんだかあずきの美味さを捨ててる気がして、アクが少なくなったからそんなにさらさなくても良いだろうというのでやってみたら、ちょっと濃い切腹最中の味になったんです。

石田:かつてデザイナーさんを目指して勉強したのがパッケージに役立っている?

渡辺:印刷屋が凄く嫌がりますね。色にこだわるからパッケージの良さになる。普通トレーは白ですけど、金赤にしないと美味しく見えないと思って金赤にしていただいて。そのへんはこだわりましたね。

朝岡:和菓子屋っていうと淡い色とか、白と黒だけとかね。

渡辺:業者が言うんですよ。ほとんどは品の良いオフホワイトですって。やかましい馬鹿野郎と思って。赤もってきちゃいました。この箱も切腹最中のイメージで、黒にしちゃあれなんで、濃紺にして間を赤にして、パッと開いたイメージに。

朝岡:赤がすごく活きていてね。

渡辺:嬉しい。そこですよそこ。

朝岡:色々デザインもご自身のことから反映させていると。

渡辺:印刷屋任せだけど、良かったと思う。

石田:やはり忠臣蔵の勉強をされたりとか?

渡辺:大好きだったの。ちょうど田村屋敷の中にいたので、じいさん達が石碑を建ててるのに切腹最中に頭がいかないのは何故なのかと思います。親父も12月14日の近くに町会の餅つき大会もやってるんですよ。それでも忠臣蔵関連のものをつくろうとこれっぽっちも思わない。欲が無かったのかな。親父が亡くなってから思い出して、そういえばここは田村屋敷だぞって。ずっといるから当たり前になってて、そこに思い至らないのが不思議で。親父が亡くなってから忠臣蔵関連商品が沢山出た。

朝岡:気がついたら凄い財産があったと。

渡辺:それがわからなかった。どら焼きも陣太鼓どら焼きに名前変えちゃいましたしね。名前からやっていこうという精神で。

言魂 ~心に刻む言葉と想い~

石田:続いては「言魂」ということで、幼いころ先代や祖父母から言われた印象的な言葉、そこに隠された想いを伺いたいと思います。

渡辺:「謙虚さを忘れるな」とよく言われましたね。あと「新橋で営業させてもらっている、新橋に恩返しできるまで成長しろ」って。成長できるほど儲かってなかったんですね。今少し運気も上がって2年前に港区の観光協会の会長もさせて頂いておりまして。それが東京タワーの前田社長が私にふってきたんです。

その当時副会長4年やってたんですね。ホテルオークラ、プリンスホテルに、東京タワーさん、はとバスさん、文化放送さん、世界貿易センタービルさん、モノレールさんに私だったんですよ。同じ社長でもレベルが違うじゃないですか。一緒に昼飯食っても食った気がしなくてね。4年間いろんなこと言っても全然通してくださらなくて。

次の会長ははとバスの社長になると思ったんですよ。そしたら笑点で円楽にいくかと思ったら昇太にいったようなもんじゃん。前田さんがうちにきて、「4年間お疲れ様でした。ぜひ会長を」と言われて、大丈夫ですかと声が出ないくらい驚きました。

ちょうど息子が4代目としてやりはじめてくれてたので、2,3日時間もらって、息子と女房に相談して。父が言ってた新橋への恩返しができるかもしれないからやってみたらということで受けたんですが、こんな大変なことだとは思いませんでした。

朝岡:代々謙虚さを大事にされて、それがまわりの方の信頼を得たところもありますか?

渡辺:そう思いたいですけどあまり謙虚じゃないかもしれないので。気持ちは残ってますので。港区を良くしようという想いはいっぱいありますので、色んなアイデアを出してくれと言われて。色んなことやってます。

貢献 ~地域、業界との絆~

石田:その他の地元貢献活動は?

渡辺:小学校5つあったのが1校になってしまった。当時は悩んだんですけど、1校になって見学させてくれる工場とか会社がなくなってしまって。今小学校3,4年生を年に1回工場見学。うちは狭いですけどね。まあやかましいねピーチクパーチク。それも6年くらい続けていまして

今年は中学校の子たちの職場体験で3日間来てます。男の子と女の子が1人ずつ。男の子は店に出たい。女の子はなんと工場で働きたいと。大変な騒ぎで、新人ですから、若葉マークつけさせて、早くしろって怒るサラリーマンがいるんです、嫌なやつがね。そういう人には「順番に承ります」と言っとけと。少しずつそういうことをやれるのは良いなと思いますね。今させてもらえる場所がないようですね。

朝岡:地元の学生や若い人の面倒見も良さそうですもんね。

渡辺:本当に面倒くさい。最初来たお兄ちゃんにプレゼントで羊羹をあげたんです。翌年忠臣蔵の絵本をつくったので、それをあげたんです。そしたらうちにきて、「お兄ちゃんは羊羹だったのに僕は絵本だった。羊羹の方が良かった」って泣かれまして。それから羊羹にしてます。絵本の方が高いのに、無理してあげたんですよ。

朝岡:コミュニケーションですよ。

渡辺:そのおかげでお母さんが興味をもってくれて、お子さん連れで来てくれるようになりました。

朝岡:こういうコミュニケーションって今少ないでしょう?ネット販売もやっているけど地元の直接のコミュニケーションを大事にする

渡辺:若い頃愛宕警察の青年部とか、法人会とかに出てたんですよ。その後輩たちのお子さんが来て、「うちの娘がもらってきました」って全然会ってなかったのに来てくれたりするので非常に良いですね。

朝岡:地元との関わりはこれからも大事?

渡辺:絶対必要です

朝岡:それは4代目の息子さんにも?

渡辺:言い続けてます。サラリーマンが主役の街だと。新虎通りという新しい立派な通りが出来たけど、裏へ行くと大人のかくれんぼと言いまして、小汚い階段あがっていって、昔綺麗だったママがいて、大社長が飲み過ぎと怒られていたりするんですよ。その新と旧が一体である新橋が良いので、そういうところを大事にしていかないといけないなと思います。

NEXT100 ~時代を超える術~


石田:最後に次の100年に向けて変えるべきもの、または変えないもの、会社にとってコアになる部分を教えていただけますか?

渡辺:難しい質問ですね。私は5代目の孫までは面倒みれると思っています。私も親父に継がせてやるとは言われてなくて、繋げてくれと言われたのが印象に残っています。

菓子屋なんかと思っていましたが、繋ぐというのは非常に難しいんですね。だから息子にも継げとは言わなくて、繋いでくださいとお願いしました。じいさんもそう言っていた気がしますので。同じ歳くらいの菓子屋が継がせてやると偉そうに言ってたんだ。あれはやめた方が良いと思いまして。

朝早く起きて面倒くさい仕事して、だったら銀行マンになった方がいいやって、大体後継者がいないんですよ。私と女房が楽しそうにやってたんでしょうね。息子が高校の時に団子屋やると言ったときは嬉しかったね。うちは和菓子屋だぞと思ったけど。息子がそういう風に変わってくれたのは嬉しかったですね。それで繋いでくださいってお願いしたら、「うん」と言ってくれたので。上から目線はダメだなと思いましたね

朝岡:その他にあんこのこだわりとかも繋いでいってもらいたいという想いはあるんじゃないですか?

渡辺:小豆も生産者の方の努力で年々品種改良なんです。アクがどんどん減っているんです。カナダとか中国、オーストラリア産もありますが、日本人がつくったものと全然違います。恐ろしいくらい違います。

中国に6年間教えにいったんですよ。あいつら手抜くんですね。十勝と同じ緯度で大きなところで小豆をつくって、加工して輸入すれば安くすむのでやってみたんですが、手抜くので諦めました。日本人の品種改良でアクも少なくなって、実も大きくなって、美味しい。それは良い変化です。

江戸時代のうなぎのタレが脈々となんて、マスコミがつくったやつだ。酒も醤油も今の精製の仕方の方が美味いに決まってますから。それを間違えない方が良いと思いますね。食べ方もそうですけど、ちゃんと正しい食べ方で。

年々色々なことが変わってくると思いますけど。味を変えなきゃ繋がらないんですよ。それを自然に変えていくのが良いなと思います。そこが難しさで、原材料の良さを見極めなきゃいけない。砂糖も上白糖からグラニュー糖になり大ザラというお砂糖に変わってまいりました。さっぱりした味になった。糖度は変わりませんでしたが。そういうことだと思います。

朝岡:ずっと続けてたら繋がるということじゃなくて、どんどん取捨選択しないと。

渡辺:昔のものが美味しいというのは妄想で、江戸時代の酒と醤油がうまいわけがないじゃないですか。それを変えなきゃいかんですよ。マスメディアの方が江戸時代から戦渦をくぐり抜けて来たって、そんなもんでありがたがるなと思っています。

朝岡:これからの100年もそういう形で?

渡辺:はい。今良いものを生産者のところに見に行って、苦労を聞いて、なるほどと。若い頃北海道の小豆の作り方の勉強会に行ったら全然違う炊き方をしてる。それじゃダメだよということで4年に1回行くようになって。生産者の方に「私どもはあなた方のおかげでこんな美味しいお菓子をつくっています。お客さんの笑顔頂いています。今日はあなた方のために私の笑顔を届けにきました。」っていうことをやっているんですよ。300人くらい、全国から37社、とらやさんをはじめ、全員でお菓子をもって北海道に行きまして。

石田:事業を長く続ける秘訣は何だと思いますか?

渡辺:ご縁だと思います。一期一会と言いますが、一会は一笑としまして。甘いもの食べて怒る人はいないですからね。一期一会の出会いを頂いたら、それを笑いに変えていければいいなと思っています。

朝岡:今後の目標は?

渡辺:多店舗展開するつもりはなくて。美味しいものつくり続けるにはキャパが決まっていると思います。頑張らないでいいと思うので、新橋で美味しいものをつくり続ければいいなと思います。

朝岡:今従業員は何名?

渡辺:バイト入れて21名です。

朝岡:家族みたいなもんですね。

渡辺:本当にそうです。高校三年間バイトしてくれた子が辞めるので、お別れ会をしたんですが、泣くんじゃないかと思った。

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