長寿企業の知恵を、
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株式会社 鍋屋商店~生産農家とともに歩み続ける~

オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

今回のゲストは、株式会社 鍋屋商店7代目代表 齋藤敏夫(さいとう としお)
8代目 齋藤 敏之(さいとう としゆき)

創業は1827年。
千葉県大網で米卸売り業として創業。
お米の他に大豆やこんにゃく芋、サツマイモなどの農産物も販売しており、1960年頃までは集荷し小麦を挽いてうどんを生産していた。
一年を通して生産者から直接米を買い付け、農産物検査を行い等級をつけて出荷。
収穫時に大量に買い付けることにより県内の業者はもちろん、全国各地の業者に玄米を卸している
近年では海外への輸出にも力を入れており、モンゴルにオフィスを構え、デパートやスーパーで販売している。
「お客様第一」
江戸時代から続くこのこだわりは受け継がれ安心・安全で最高品質のお米を提供し続けている。
今回はそんな鍋屋商店の7代目齋藤敏夫、8代目齋藤敏之の言葉から創業から受け継がれる想い、その裏に隠された物語、鍋屋商店の持つ長寿企業の知恵に迫る。

事業内容

敏夫1827年から続けている米穀商。米の卸をやっております。一般農家から集荷したものを、検査をして、等級を決めて、千葉県ならびに県外の業者に卸で販売をしています。最近、輸出の方に力を入れてて、モンゴルのグランバードに事務所を持って、そこでデパートやスーパーに販売しております。

特徴やこだわり

敏之:長年付き合っている生産農家さんから大量にお米を仕入れますので、他の業者さんに玄米を原料として販売をしております。新米の時期になると、全国の業者さんから連絡が絶えずきてですね、電話が鳴り止まない状態になっています。

玄米の方は社長に仕切ってもらっています。一方、白米の方は、私が担当しているんですけど、現在は外食チェーンさん、あとは仕出しお弁当やさん、介護施設さん、あとはインターネットと海外輸出等々に力を入れております。

私が行っている国は、モンゴルという国なんですけども、そこでは、日本のお米っていうのもそうなんですけど、日本っていうだけで、すごくブランドになってるっていうのが後押ししてくれてるんだろうなというところは実感しますね。

独自の社内制度

敏夫従業員の方には現金っていうことと、お米の支払いは全部同じように現金でいたします。昔から現金でお米を払っているので、農家が通帳に振り込むよりも、現金を見た方が、なんかお米を売って働いたなっていう気で喜びが違いますね。

敏之:私もやった時から現金だったので、そういうもんかなぁと思ってはいるんですけど、その分忙しい時期になると、今はないですけど、暑くなったりとか、っていうところでは、「やったな!」とか、「重いな!」とか、っていうのはあったと思います。

敏夫:皆さんがね、振込がいいって言うことになりますと、その形にしようかと思いますけども、今のところは、何も言ってませんので、一応現金でお支払いするような形で考えております。
7月の繁盛期前に、忙しくなる前に一応食事会を持って、終わった後に10月にはまた反省会、並びにご苦労様会っていうことで設けております。

敏之:食事をすることによって、美味しいご飯を食べられて嬉しいよっていう声はもちろんあるんですけど、それ以外に、なかなか普段喋れないこととかもその場で話せたりとか、そういう意味ではお互いにいい時間になってるんじゃないかなという風に思いますね。

お米の需要と必要な研究

敏夫人口も減ってきてるところにきて、お米も多様化して、試食用米だけでなく、餌用と加工米がという形をとってるもので、なおかつ、やっぱり外国産米も入ってきてることで、それなりにも生産者も減ってきてますから、ちょっとやっぱり考えどきですね。

敏之:最近、「炭水化物ダイエット」とかでですね、お米を食べたら太るっていう風に言ってるムードがすごい強い中ですね、お米を食べたからって太るわけじゃない。瞬間的にはやっぱり溜め込んじゃうんですけど、それをですね、メディアとかもちゃんと伝えてもらえればいいなと思いながらも、私の方としては、お米食べても太らないよ。食べ続けることによって太らない体質になるんだよっていうのは、会った人には言っていたりとかはしていますね。
(外国産のレベルは)実際には上がってるとは思います。外食では使ってるところももちろん増えてきてるっていうのもありますし、そういう意味では、レベルとしては上がってきてるのかなというのは実感していますね。

やはり日本人なので、食べた時の粘りであったり、香り、甘みっていうのは、やはり日本のものが1番強いですので、それは外国産ではやっぱり得られないので、そういう意味では違いはありますね。
試食をやる時は、実際同じ炊飯器なんですけど、同じメーカーのものを使って、同じ水分量、加水率ですよね、であったりとか、その浸漬時間。もう全部同じ条件でやって、それを同じタイミングで炊き上がって、同じように蒸らして、それで食べることによってその違いっていうのを感じるという感じですね。

敏夫:中には新種的にも加工米のようなものがありますけども、たまにそういうものを炊いてみて研究してます。
私のところでは従業員さんにも食べてもらって「この米はどんなふうなの?硬いの?粘りがあるの?味があるの?」というのは逐一聞いて調べます。いろんな種類が出てきてますから、それでやってますね。

ここからは、テーマにそって、
「鍋屋商店」の持つ長寿企業の知恵に迫る。
最初のテーマは創業の精神
創業者の想いを紐解き、現在に至るまでの経緯、家訓や理念に込められた想いを紐解く。

敏夫買って喜ばれる、売って喜ぶっていうことですね。喜ばれるっていうことです。お米にしても買って、なおかつ生産者に喜ばれて、また良い品物を販売すれば消費者に喜ばれるっていうことで、売っても喜ばれて、買っても喜ばれてっていうことを考えてますよ。生産者ありきですよね。米を作ってもらう農家さんには、裏切らないようにいろんな話をしても聞いてやるっていうことで、できる範囲、そのことに協力するっていうことなんですけどね。

敏之生産者である農家さんを大事にしろ。っていう言葉もありますし、実際に態度とかそういうのでは結構大事、っていうか重んじてるなっていうのは感じますね。

敏夫:行かないときは、取りに来てよと言われれば、取りに行ってやるとか、そういう少しのサービスっていうことが、単価は少し違っても、必ずいつか埋め合わせするよっていうようなことでやらせば、それなりについて来ますね、農家さんは。

理念の浸透

敏夫:従業員さんたちにも一応言ってるんですけども、農家さんもお客さんも大切にするようにっていうことは言ってますけど。浸透はしてませんね。

敏之:浸透はしてないと私も思ってはいます。けど、社長が言ってることとかは、理念のことを言っているので、そこをやはりもっとわかりやすく伝える必要だったりとか、っていうのは必要なのかなというのは思っています。
理念っていうのは時代に合わせて変えていいものだと思いますか?

敏夫::根底を変えなければ、時代に合わせて変えてもいいと思いますよね。昔はもう指図と目の合図で全部用たりちゃうんですけども、そこの差がだいぶありますよね。時代のもんかなと思います。

敏之:後は、昔は長く働くっていうのが普通にあったけども、最近は社員とかがサイクルが早いっていうのもあって、そのへんもあるのかもしれないですね。

敏夫:直接話して怒ると、今の人は返答して来ますよね。だから、そういう時は全部専務さんに話してからっていうことで。あとは、急用の時は、紙に書いて持たしてやるっていうことで、昔とはだいぶ違いますよね。

敏之:社長の中では、やらなければいけない優先順位とかが多分いろんなものがあったりとか、その状況を見てると、なかなかそうじゃない場合もあったりとかもするんですけども、やっぱ社長なので、そうなるようにしなきゃいけないんだと思いながらですね、調整が大変な時もありますね。
基本的には、社長が直接、細かい話というかちょっとしたことは言っていいと思うんですけど、ちゃんとした指示っていうのは、逆に、直接されると困るから、しないでくれとは言ってますけども。

決断 ~ターニングポイント~

続いてのテーマは、決断〜ターニングポイント〜
会社の発展と共に訪れた過去の苦難。それらを乗り越えるべく、先代たちが下した決断に迫る。

敏夫:私が社長に就任する前、1年前でしたっけね、冷害で。お米が取れなかった。それで、米の単価も、1俵確か6万円まで上がって、スーパー、デパートにはほとんど国産米が高くて、並んでるのがタイ米と中国米。そう言う形で、国産米買うのはすごく高くて、外国産米の方が安いからって言うことで、お客様は買っていたような気はいたしますよね。

新規のお客は取らなく、既存の今まで買ったお客様に優先的に普通の価格よりちょっと上げた程度で買ってもらったってことですよね。それで、農家さんにも高く買って喜ばれて、反面、買ってもらったお客様にも安くっていうことで喜ばれましたね。

敏之:当時、ニュースだったり周りから、「お米がないよ!」っていう話は結構あったけど、うちにはお米っていうのが普通にあったから、逆にいうと実感はあまりなかったっていうのがあるなぁとは思ってますね。

敏夫::そうだね。うちはやっぱり小売さんよりもその時からやっぱり業務用店さんが多かったもので、そのためにお米は確保してあったもので、米は持ってましたよ。新規のお客様には売らなかったから、その後にも業務用店さんにも喜ばれて、ずーっと長続きする商売ができてますよね。

続いて、7代目代表 齋藤敏夫の、ターニングポイント。

敏夫大口の倒産ですよね。それと、親しくしてた人が夜逃げしたことですよね。
それも、12月の二十何日かの時に、お米を1台積んで行ったら、そのままトンズラで夜逃げして、それが本当に今でも印象に残ってますよ。
でも、それをしてたんじゃ、もう商売は大きくならないので、それはもう自分の失敗だと思って、二度と同じようなことを起こさないように、ということで商売をやってましたよね。

敏之:社長自身は幼少期から鍋屋商店を継ぐっていう覚悟はあったんですか?

敏夫:それは・・・私は兄弟4人のうちの次男坊なので。兄貴は千葉の学校に行って、もう米屋はやらないよっていうことで、じゃあもう私が継ぐしかないって思って、その時からもう、中学の時から思ってましたよね。

敏之:大変でしたか?

敏夫:それはね、やっぱりね、先代にね、よく面倒を見てもらって、よく教わったから、そのところは大丈夫だったですね。

敏之:先代とは喧嘩とかしたんですか?

敏夫:うーん・・・石橋を叩いて渡るような人だったから、細かかったですよね。だからもう、私とは結構ぶつかりましたよね。特に店を出そうって言うと、出しちゃダメだよ!とよく私言われて、相談はみんなおばあちゃんにしてましたよね。

敏之私のターニングポイントは、鍋屋商店に入ったことだと思うんですけど、私が生まれたときから「将来継いでほしい」って思ってましたか?

敏夫:最初はそう思ってましたね。

敏之:社長っていうよりも、祖父母から結構、お前が後継だよ!お前が継ぐんだよ!っていう風に、ずっと常々言われてたっていうのは覚えてますね。

敏夫:それはよく言ってましたよね。後は必ず継いでよね!って話はね、してたよね!

敏之:小学校とかにたまにあだ名とかで「8代目」とかって言われるときがあったりとか、名前で呼ばれるよりも、「鍋屋」って呼ばれることが多かったっていうのがあるので、それが嫌なときもあったんですけど、その頃から、大きくなったら継ぐもんだなっていうのは、もうそれしか考えてなかったっていうのは実際そうかなっていうのはありますね。今考えたら、洗脳なのかもしれないけど(笑)

Q:専務入社時の印象は?
敏夫:従業員が年上なもんで、何もわからないから早く教えてやってってよく言い聞かせてました、従業員には。

敏之:もう早く仕事を覚えなきゃいけないなっていう思いでやってましたね。

敏夫:やっぱり話を聞いて、それに一緒に働いてるような気がして、これなら大丈夫だなという風にして思ってましたよね。

敏之:やっぱり周り長くやってもらってる方がいたので、本当に色々教えてもらいましたね。厳しく怒られたっていうよりは、本当に支えてくれもらえたなっていうイメージが強いですね。

言魂 ~心に刻む言葉と想い~

心に刻む言葉と想い。家族や先代、恩師から受け取った言葉、そこに隠された想いとは?

敏夫「農家さんは絶対に大切にするように」って言われましたよね。それと、兄弟は仲良くということと、嘘はつかないということを先代は言っていましたよね、よく。
いろんなトラブルがある前に、農家を先に立てるというような感じで。たまには農家さんが変わったことを言っても、よく話して納得させるように、トラブルがないようにっていうことでね、よく大切にするんだよ!ってことは言ってましたよ。
全部違いますから、個性的にね。まぁそれ、よく性格を知るっていうことですよね。

敏之:農家さんとのそのやりとりだったり、言い方悪いんですけど、わがままというか、言ってるのをよく社長が聞いて、それなりに向こうが求めているものに、応えられてるかどうかわかんないですけど、それなりには応えながら、結局農家さんも「わかったよ」とか「じゃあ、いいや」っていう形にはもってってるなっていうのは感じるので、そのへんは上手いなというのは思っています。

敏夫::それは思います!

敏之::上手いと思ってる?

敏夫::うーん、察するんじゃないですか、商売やってる以上は。

続いて、7代目 齋藤敏夫が現在胸に刻む言葉。

敏之“無理”っていう言葉を発言しないし、思いたくない。あとは、“一期一会”っていうところですね。商売に関しては、“三方良し”っていうのを心がけています。
物事、いろんなことが起きたときだったり、与えられたものに対して無理って思ってしまうと、可能性がなくなるというのもあるので無理っていう言葉を発したくないし、思わないようにして、常にチャレンジして行きたいなという風に思っています。

会社での役割

敏之僕が完全にいろんな口うるさく言う方ですね。

敏夫:そうですね。言ってますよ。「専務はきつい」って。ていう話がきても、「まぁそれが普通じゃないの?」って、私がなだめる方で。そういう形をとってるようで、従業員にも。

敏之:でも、必要だと思っているので、はい。だから、そういう役目かなと。
最初の頃は私も、社長に言われたことをやってるだけだったので、最近というかここ数年は、白米の方を私が担当してるっていうのもあるので、そっち方向では、ある程度決めて、こういう風にするよっていう報告と最終確認的な感じで社長と確認して、言ってるなっていうところで。
その中でもたまにというか、指摘を受けたりとかありますけど、基本的には、やれてるのかなというのはありますね。

敏夫:うん、あるね。最近私がやっぱり抑えちゃうんですよね。ほんとにもう、すぐにどうにかしろって言っても、それはダメだよとか、判断がつかないってことはないんですけども、専務が構えてやることが多いですよね。車1つ買うにも、なかなか判断つかなくて。どうするの?って言ってもなかなか決めないってことでね。自分は考えてるんでしょうけど色々と。もっと決断力がそういうとこではどうかなっていうとこがありますよね。それがいいか悪いかじゃなくてね。もうちょっと決断を早くすればなぁっていうところが見えますよね。

敏之:家でも代々僕が結構「社長」と呼んじゃいます。

敏夫:私も「専務」って言ってます。「敏之」って呼ぶときはちょっと出た時に呼ぶことはありますけどね。食事行ったりするときなんかは名前を呼びますけど、会社にいるときはほとんど専務って呼びます。

敏之父親としても旦那としてもあまりいい親だったり旦那ではないと思ってますね。一般的なイメージからすると。でもうちの母親からすると「これでいい」ってことでいるようなのでそういう意味では結果良かったのかなと思ってますけど。客観的に見たらあまり良くはないと思います。

敏夫:それどころか、結構面倒見がいいですよね。先代でも、私商売で忙しく出てても、結構話を聞いてやって、その中でもやってるし。私の女房にも、親なんですけどもね、色々話を聞いて、私は「わかったよ、わかったよ」って言うけども、「うん、うん」って聞いてるところをみると、どっちがあれでしょうね、話が合うでしょうね。親子ですからね。私は他人ですから。

敏之:それどころかいい意味で、適当というか、って言うのはすごく感じますね、いろんなものに。あまりそれやってどうなるかまでは考えずに結構やれちゃうところが羨ましいなってとこはあります。

敏夫:あるね!やってから考えてることと、本人が決まってからやるからズレちゃうんですよね!私はもう先に先行してやって、あ、じゃあ次を考えて言ってこうやってああやってってことを全部書いていくけども、専務は決まってからやるから、いつもそこのところの点がズレて、思えるところが一つのあれですよね、話の食い違いまではいかないけども、早く走れば?って思うのも多分にはありますよね。

私も色々冒険はしましたけどね、スーパーをやるとか、色々千葉市内に支店を出すとか、それは長年の時勢でその時は良かって、それが規制緩和でどうなってきたって変わってきましたけど、専務はこの米のこういう時代になってきて、やっぱり海外に進出しようっていうことで、それが今に至って、ここまでは多分4年ちょっとかかってると思うんですけども、まぁ軌道に乗れたっていうことは、私にはできないことだなという、そこだけは褒めるようなところはありますよね。

伝燈 ~受け継がれる伝統~

敏夫辰巳の蔵なんですけども、母屋から見て辰巳の方向にうちは蔵があるんですよ。その蔵は、商売繁盛で、今までそういう形できたもので、まぁ空っぽでも何もなくても壊さないでっていうことと、壊れても壊すなっていうことを先代が言われて、30年前の東方沖地震のときも、一応近所の蔵があるんですけども、結構瓦が落ちちゃって大変な思いをしたんですけど、うちの蔵は1枚も瓦が落ちなかったんですよね、いや、ほんとに。そういうことで、企業の一団として手狭になってきちゃって、そこも撤去するか今考え中なんですけども、残してもらいたいなと思ってるとこなんですけども。

敏之:限られたスペースの中でやっぱり商売をやってますので、どんどん事業が大きくなってる中で、実際にちょっとスペース的な問題で邪魔というか・・・になってる場合もあるなぁとは思っています。でも、実際今までこうやってうちが残ってこれたのも、もしかしたらその辰巳の蔵っていうものがあるのかなぁと思うと、なかなかそこでそれを潰すとかっていうのもしにくいなと思うので、そのへんはちょっと悩みどころだなと思っています。
先代というか祖父母から、辰巳の蔵は私が生きてるうちは壊さないでくれっていうのを聞いたら・・・

敏夫:重々言われてましたね!で、戦前はね、結構衣服倉庫として使ってて、結構入ってたようですけど。今は事務倉庫として、あとは落花生の加工工場という形で使今ってるんですけども。今のところは利用度はありますね。

敏之:社員は知らないですね。言ってないですね。だから、なんでこんなところにあるんだと。邪魔だなと。多分思ってるんだろうなとは思っています。

習慣に隠された想い

敏夫毎年、二の酉に大鳥神社に参拝して、同じお店で熊手を買います。毎年一回りずつ大きくするっていうことを聞いてますけども、うちも何年か経つうちにはもう大きくできないもので、徳八っていうかたちで、それを長く、末広がりっていうことで、長くそれを保っていこうかなと思っております。

敏之:私は特にはないんですけど、出張前に先代の仏壇に手を合わせてから出張するようにはしています。海外に行くっていうか飛行機に乗るっていうこともあるので、商売うまく生きますようにとか、守ってください的なことを思いながら手を合わせて、それで出張して、帰ってきたら、帰ってきたよという感じでやっています。

敏夫普通でしょうね。先祖があって今があるって言いますからね、そのくらいはね、手を合わせるくらいは普通じゃないかなって私は思っています。

NEXT100 ~時代を超える術~

最後のテーマは、「NEXT100 時代を超える術」
100年後にも変わらない核となるもの。
そして未来を見据え、求められる鍋屋商店にとっての革新を語る。

100年先にも変わらないものは?

敏夫「生産者は大切にする」ってことと、「裏切らない」って言うことですよね。それで、今までのやっぱり200年のこう言う商売が続いてるって言うことを思いますよね。
鍋屋の家はやっぱり商にはだいたい“屋”をつけるじゃないですけどね、一般に船橋屋とか越後屋とか長屋とかっていう商人の屋をついてるのはやっぱり、江戸時代から商人の屋っていうことを話を聞いているもので、鍋屋って言うロゴは遺してもらいたいと思いますよね。

敏之:鍋屋っていう名前は私も変えるつもりは今のとこないですし、それがカタカナになるのか英語になるのか漢字のままなのかっていうのは勿論あるんですけども、鍋屋っていうものは変えずにいきたいなとは思っています。

100年先を見据えた進化・変革

敏夫:今ある工場もだんだん忙しくなって手狭になってきてますので、住宅地なもので、これ以上どんどん大きくなると、やっぱり工業団地の方に出て、そちらの方に工場を移転して貰えばなと思っております。
米と言ったら鍋屋ということで位置付けてもらいたいと思いますけどね。

敏之売り上げも大事なんですけど、地域貢献っていうものも大切かなと思っているので、会社が大きくなれば、雇用もありますし、いろんな意味で地域に貢献できるのかなっていうのもあるので、そういう意味でも会社を大きくしていかなきゃなっていう想いはあります。
あとは、国内も勿論そうですけど、海外っていうものにも今後注力していきたいなっていう想いがあります。

敏夫お米はなくならないと思うんですよね。他の業種はいろいろありますけども。米は今のところ主食ですけどね。いろいろ変わってきてもやっぱり食べるんですから、いろんなそこの知恵を加えてやって行けば、絶対にそれはいいと思いますよ。

敏之:その想いに応えられるかわからないですけども、会社を大きくしていきたいなというのはあります。

後継者への想い

敏之社長はいつ、社長を譲るんですか?

敏夫:そうですね。いろんな世間の話を聞くと、結婚して、こどもが7歳になると一応披露して、その時に、だいたい社長交代、相続の件で・・・という話をよく聞きますけどね。私はそういうことないから、いつでもいいです!

敏之:毎回毎回そう言うと、いつでもいいって言うんですけど、でも、そうでもないですよね?(笑)

敏夫:あとは、上が女なんですけど、それで上手くね、相続の件で言えば、と思ってますけどね、一応遺言は書いておくつもりです。もう一応書いてあります!いつでも譲るから、相続も。財産も。あと、後継者を作って欲しいってことですよね、結婚して。うん。それは常に思っています。

私は、顧問でもいいし会長でも・・・でも、会社はちゃんとフォローしてやるつもりなんですけども、出していいところは出すし、出さないところは出さないように、そんなところは自分で考えながらやっていこうと思います。

長寿企業の秘訣

敏夫生産者、従業員も大切にする
ってことなんですね。それが第一かと思いますね。
敏之:やはり、商売を真面目にやるっていうことが一番重要なのかなと。わかんないけども、真面目にやっていれば長続きっていうものはできるんじゃないかなと思っています。

敏夫信用第一。人を裏切らないってこと。それがほんとに根底でしょうね。

株式会社鍋屋商店、7代目代表 齋藤敏夫、8代目 齋藤敏之が次代へ届ける長寿企業の知恵…。
「買って喜ばれる・売って喜ばれる」
お米をつくる生産者を大切にし、時代の変化と共にどんな困難が訪れようと寄り添い信頼関係を築く。
そしてその生産者が作った「安心・安全」で美味しいお米を消費者へ届けていきたい。
この想いは100年先の後継者へ受け継がれていく・・・。

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