株式会社 赤坂福田屋
1865年(慶応元年)創業
役者、花柳界から上流階級のお客様へ、店を持たず御用聞きのスタイル
芝居世話情浮名横櫛の舞台とされた「玄冶店(げんやだな)」(今の人形町)が発祥の地。
別注の着物、帯を得意とし現在でも工房を抱え、自家製品を主としている。
和装の意匠に優れ、各階級のお客様より愛されている。昔ながらの店独自の図柄で染める江戸友禅
また、代々継がれてきた着物を活かして、現在でも着ることのできるものを作っている。
赤坂福田屋の歴史
1865年 (慶応元年) |
曾祖父森田萬兵衛が新和泉町(現日本橋人形町)にて呉服太物商創業(玄冶店福田屋) |
---|---|
明治後半 | 次男千吉(祖父)堺町で独立(現日本橋人形町) |
大正の頃 | 築地新喜楽・大阪灘萬にて呉服催事を行う |
1922年 (大正11年) |
矢ノ倉町に移転 |
1923年 (大正12年) |
関東大震災で萬兵衛宅とともに焼失。その後日本橋浜町、芝区葺屋町、赤坂田町に移転 |
1931年 (昭和6年) |
永田町に㈱森田萬兵衛福田屋商店設立 |
1941年 (昭和16年) |
三笠宮様ご婚礼の衣装を手掛ける |
戦争末期 | 埼玉県久喜市に疎開 |
1948年 (昭和23年) |
呉服同業者の支援を頂き商売再開 |
1950年 (昭和25年) |
京都東本願寺で第1回「東西名匠老舗の会」出展。この催事は現在まで続く |
1963年 (昭和38年) |
㈱赤坂福田屋を設立、赤坂仲ノ町の水戸幸ビルに出店 |
1967年 (昭和42年) |
東急百貨店本店開業時に出店 |
2007年 (平成19年) |
水戸幸ビルの建替えにより八丁堀に移転。長女眞知田千恵美代表取締役就任 |
公式ホームページはこちら
代表紹介
取締役会長
三代目 森田 昌宏(もりた まさひろ)
昭和6年生まれ。
幼い頃から父親に連れられ多くの舞台・古典芸能を鑑賞、
自宅では親の仕事を見ながら育つ。
終戦後、親が高齢だったため他店での修業はせず
文化学院に通いながら千吉のもとでもの造りを学ぶ。邦楽・舞踊・能・歌舞伎役者との交友を広げ
自身も小唄・長唄・河東節を嗜む
幼い頃から父親に連れられ多くの舞台・古典芸能を鑑賞、
自宅では親の仕事を見ながら育つ。
終戦後、親が高齢だったため他店での修業はせず
文化学院に通いながら千吉のもとでもの造りを学ぶ。邦楽・舞踊・能・歌舞伎役者との交友を広げ
自身も小唄・長唄・河東節を嗜む
Another Story
呉服屋にとって氷河期の時代といわれる今「東京友禅を守る」
東京友禅は東京の呉服屋にとってなくてはならないものであり、友禅職人も多かった。しかし戦後、日常着が洋服主流となり、着物の需要はますます激減。老舗呉服屋は次々と店をたたみ、職人の数も減った。呉服屋にとって氷河期の時代といわれる今、東京友禅をしっかり守り、職人を育てる呉服屋が何軒かある。その一つが東京都八丁堀に事務所を持つ、赤坂福田屋である。