長寿企業の知恵を、
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花嫁わた株式会社〜「モノが甦る」という喜びを届ける

オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

今回のゲストは、花嫁わた株式会社 6代目代表 吉村祐介
創業は1881年(明治14年)。製棉業として、明治に創業した花嫁わたが大きな成長を遂げたのは東京大空襲の影響で布団の原料となる玉綿の需要が上がり、大きく売り上げを伸ばした。
そして高度経済成長の時代に、婦人会を中心とした販売網を構築高い収益率のもと規模を広げた。
その後時代は変遷し布団の価格は下落、4代目吉村光正(みつまさ)の時代には、会社整理を余儀なくされる。
後に花嫁わたの代表となる吉村信一郎(しんいちろう)がお客様宅に「多くの捨てられない布団」が眠っていること、「本当はその眠っている布団を蘇らせたい」というニーズがあることを知り、会社整理後、のれんを引き継ぎ平成2年に新生花嫁わたを立ち上げた
綿布団打ち直しだけではなく羊毛・羽毛布団リフォーム、布団丸洗いと範囲を広げ「モノが甦る」という喜びと、そこから生まれる思い出をお客様に提供し続けている
今回は、そんな花嫁わたの6代目、吉村祐介の言葉から次代へ継承すべき花嫁わたの持つ長寿企業の知恵を、紐解いていく。

吉村:弊社はですね、布団を販売するのではなくて、布団をお預かりしてそのお布団を新品同様に蘇らせるというサービスを提供させていただいております。
それによってですね、普通のいわゆる物を買っただけでは、買ってただのモノじゃないですか。でもやっぱり今まで使っていた愛着のあるものが壊れたり使えなくなってしまって、それを蘇って来た時に、「あ!あれがこんなに蘇って帰って来たんだ」って言う喜びを提供するっていう仕事をしております。

創業が明治14年になりまして、今年でちょうど138年目になるんですけれども、その時代は当初は布団の販売を行ってたんですけれども、その傍らですね、「今ある古くなってしまった布団を使いたい」「またきれいにして使いたい」というお客様がたくさんいらっしゃったので、その声にこたえるために平成2年から今の業態で行っています。

昔は布団って非常に高価なものだったんですよね。質(質屋)に入れることもできるくらい本当に高価なもので。昔例えば若い男女が結婚した時に花嫁さんに嫁入り道具としてお父さんが布団を持たせるんですよね。家内安全で、ぐっすり眠れるように。で、いざっていう時には布団を売って財産にできるようにって。そういう想いがありまして、その時代の名残りで社名を「花嫁わた」という会社にしました。

~モノを直す仕事~

まず弊社の一番の強みは、モノを直すという仕事をやっていることですね。普通の製品の販売では得られない、そこに“直ってくるという喜びの価値を提供していくこと”です。

その際に、この会社に本当に私の大切にしていた物を預けて大丈夫なのか、という声があるんですね。そういったものに対応できるようにするために、コールセンターを設けております。お客様の悩みを一つ一つ真摯に受け止めて、それに対して「こういったことをやるので大丈夫です安心してください」って言う部分を隠さないでご案内できるようにしています。

それともう一つは、弊社の場合モノを預かるという、普通の物販ではないシステムが必要になってきますので、そういったものにも柔軟に対応できるように、自社システムを構築しておりまして、さらにその中で預かった布団の管理ですとかそういったものもしっかり行いながら常にお客様に安心を提供できるような仕組みを常に開発しているのが強みですね。

~布団を蘇らせる術~

まず布団をお預かりするところから始めるんですけれども、お預かりしたお布団が工場に届きましたらですね、まずカルテを用意して個別にお客様のお布団を管理をするために準備をします。 そしてその後実際預かったお布団の生地を裂いて、中の綿ですとか羽毛ですとかそういったものを洗浄します。そのうえで新しく新たな羽毛や綿を混ぜ合わせて、また成形して新しい生地に詰めなおすんですね。

ですからわかりやすく言うと、お客様のお布団を原料にして一枚一枚お布団を作り直しているということですね。なおかつ他の会社の者と混ざらないように一枚一枚ずつやらないといけないんで、そういう意味でいうと製品を作るよりも実は手間がかかる形での仕事となっております。

例えば綿ですと、例えば綿の状態を見て「こういう洗浄をしよう、こういう足し綿をしよう」というのは職人が判断しておりますし、あるいは羽毛の場合だとちょっと職人とは違って、羽毛の洗浄はどちらかというと機械でやるんですけれども、ただそこの根底にあるのは一枚一枚混ざらない作業をやっていくという、手間のかかる仕事をしっかり間違いなくやっていただける作業員、作り手さんたちがそこにいるということなんですね。

~モノを直すという文化~

できることなら直して使いたいって誰もが思っているはずなんですよね。ただ、実際に今は直して使うよりも買っちゃったほうが安かったり、早かったり。あるいは、直せるって事実を知っていたとしても、直したいなと思っても治せる場所を知らなかったり。
そういうその世の中で「買う」っていう選択肢しかないっていうふうにみんな最初から思っているからそうなるんじゃないかと思うんですよね。

実際直せますよと。じゃあその直せる・・・治せるのはいいけど、じゃあ価格は?っていったらその製品を買うよりも同じくらいか、あるいはその製品を買うよりももしかしたら安いってなった場合、「だったら直して使おう」っていう方は間違いなくいらっしゃると思うんですよね。

というのがやっぱり長年使っていくうちに、買った時の価格ですとか、そのものを手に入れた経緯によってだんだんそれに対して愛着が湧いてくるケースというのもあるんで、やっぱりその愛着っていうものを、そのまま・・・なんていうんですかね、捨てて新しいの買えばいいって人はそんな多くはないと思う

海外の場合ですね、例えば今出てきた羽毛布団とか原料的なもので言うと一番優れているのはドイツっていわれてるんですけど、実はそういう世界で羽毛を使い捨ての文化なのかっていうと、実はそうではなくて。お客さんが使わなくなった布団を集めて、それをまたごちゃ混ぜにして、混ぜて洗ってそれをまた綺麗に再生して、またそこから布団を作るっていう文化自体はあるんですね。
海外の方っていうのは清潔で機能的に問題がなければ、別にそれが中古の素材であっても構わないよっていうのはもしかしたらあるのかもしれないですね。ただ、布団に対して「誰かが使ってたものは嫌だな。自分が使っていたものが自分に戻って来てほしい」って思われるのはやっぱり日本独特のものなのかもしれないですね。

ここからは、テーマにそって、「花嫁わた」の持つ長寿企業の知恵に迫る。
最初のテーマは、「創業の精神」
創業者の想いを紐解き、家訓や理念に込められた想いに迫る

吉村:新たな布団のリフォームという分野を切り開くために、本当に目の前にある仕事をただこなす、ということで将来を見据えた理念というのは考えている余裕がなく、自分も自分の代に変わってから同じような状態でやっていたんですけれども。

その中で経営に精通した方とお話しする機会がありまして、その時に「あなたの会社の理念はなんですか」って問われた時に何も答えられなかったんですよね。で、「会社をどうしたいんですか」と聞かれた時にとにかく「今あるこの仕事をみんなのために長く続けていきたい、それだけが望みなんですよね」って話をしたら、「いいじゃないですか」と言われたんですよ。「それがあなたの思っている企業理念でいいじゃないですか」って言われた時に、すごい胸が・・・なんていうんですか、(胸に)つかえていた重しが取れて、じゃあその想いをもう少し具体的に数字やどういう企業でいたいのかとかそういうものを織り交ぜたものを作ろうとして考えた結果が今の企業理念になってます。

例えば電話一つとっても、やっぱり50年先を目指すのであれば、やっぱりちゃんと応対のできた会社でなければいけないとか、他の仕事も全部そうだと思うんですけれども、そういうことを問うことができるようになるんじゃないかなと。それがやっぱり理念を持つことの、良さなんじゃないかなと思いますね。

今うちでは社員に対してそれを投げかけた時に、じゃあそれに対してどうしようっていうのを考えていく、話ができるようになった方がいいですよね。

そうすると今までどちらかというとトップでワンマンでトップダウンでやってた。例えば会社とかっていうのが言われたことはやるっていうような人材は増えると思うんですけど、そのために何をすればいいのかっていうのを考えるっていうのが育つ文化っていうのがなかったんじゃないかと思うんですよね。やっぱり企業理念を作ることによって、自ら何をすればいいのかを考えるっていう土台っていうのができていくんじゃないかと。まあ道半ばではあるんですけど、最終的にそういう形になればいいなと思ってやっております。

〜自身が行った改革〜

うちの仕事は先ほども申しましたが“預かる”っていう作業が入るので、これが世の中にある、いわゆる物販のシステムみたいな一切存在しないものなんですよね。で、自分が独学では有るんですけどシステムを勉強して、そういうITを導入したことによって、それまで例えば布団を入れるための梱包資材のセット数だとか今まで人海戦術でやっていたものがかなり効率化できるようになりまして。
次第に取引先も最初は註文書も紙できていたのがだんだん電子化に変わってきたんですけれども、そういったものにも柔軟位対応ができる。

他にも工場内の管理の仕組みとかも、もっと精度を上げていくっていうのも、自社で開発できるようになりましたので、まずそこのシステムを構築したのと。

あと、昔は電話一つも社員が一人一人が・・・仕事しながら取っていたんですけど、それじゃあ本当の意味でのお客さんにきめ細やかな対応ができないねってことで、コールセンターも作ったりもしましたし、その辺がまず実際に自分が代を変わって大きく取り組んだことの一つだと思います。

布団の知識、あとリフォームの座学的な知識っていうのはやるんですけれども、それだけではなくて実際に工場に行ってですね、現場の人がどういうようにその作業をしてるとか、場合によっては一部・・・、作業の一部を自分でもやったりしながら、布団を一枚一枚作るってことの大変さも身をもって体験することによって、お客さんにその部分を・・・しっかりと説明ができる。

決断 ~ターニングポイント~

続いてのテーマは決断・ターニングポイント。
会社の発展とともに訪れた過去の苦難。
それらを乗り越えるべく、先代たちが下した決断に迫る!

吉村:うちの会社がまずはじめに一番大きく動いたのは戦後なんですよね。戦後はもう・・・ご存知の通り焼け野原になって、ものが全部なくなってしまって、その傍らで布団の製造をできる・・・製造によってどんどん売り上げを伸ばしていきました

昔は、婦人会っていうのがあったんですね。いわゆる布団を口コミで広げて販売していく趣向なんですけど、ご購入いただいた方が例えばまた別の方に紹介して、また布団をご購入いただくと、ご紹介いただいた方に少しマージンが入ると。でそういったもののネットワークで広げていって、一時期ものすごい全国的に布団を販売して行ったんですね。

ただ、それはあくまでものがない時代だったからこそ成功していた状態だったんですけれども、その時に例えば他のメーカーは高額でも布団は売れるようにブランドっていうものを作っていったりとか、あるいはよりローコストで布団を作れるように、例えば生産拠点を海外に移していったりとか、いわゆる“大量消費時代”っていうものに合わせた販路、企業戦力っていうのを練って行ったんですけれど、うちはそこに胡座をかいてしまったんですよ。そこで何もしなかったんですね。

それによって、“ブランドもなく、価格は安くなく”っていう状況に陥り、その結果売り上げがどんどんどんどん縮小して4代目の吉村光正、私の父の兄にあたる方なんですけれども、その頃の時代にはもう会社整理というのを余儀なくされる時代が来ました

その時に、今度は弊社の私の父の吉村信一郎が、もともと別の仕事をしていたんですけれども、うちの祖父から「会社の整理をするんで、ちょっと手伝え」ということで、花嫁わたに入ってきたんですね。

で、その中で少ないながらも、お客さんはいたわけです。そのお客さんの家に布団を納めに行ったんですね。その時にペッチャンコになった布団がたくさん押入れにしまわれていたんですよ。「この布団・・・なんで新しい布団を持ってきたのに捨てないんですか?」って聞いた時に、「本当はこの布団をなんとかして欲しいんだけど、どこもやってくれないんで仕方なく買ったのよ」って言われたんですよ。そういう方が一人や二人じゃなかったんですね。「あ!これだ!」と。このものを、布団を直すっていう仕事をやれば、間違えなくニーズがあると、需要があるというふうに気づいたのがそこだったんですね。

ただじゃあ、もともと布団の打ち直しっていうもので、綿布団を打ち直すって言ってもサービス自体はあったんですけれども、それ実はそんなに普及していなかったんですよね。

まず一つ目が、顧客サービスが充実している時代に、わざわざ布団を布団屋に自分で持っていかない。価格がいくらになるかが、明記されていない。なおかつそもそも布団をどこで直せばいいか知らないし、縦しんばどっかでやってるよって知ったとしても、そこがちゃんとやってくれるかがわからない。そういう色んな諸事情、問題があって普及してないってことに気づいたんですよね。

そこでうちの父が目を付けたのが生協さんだったんですけれども。その生協さんっていうところで、“布団を蘇らせますよ”っていうことをやろうと。尚且つ、布団も全部自分で取りに行く、収めに行く。ですからお客さんからしてみれば、注文さえすればやることは布団を預けるだけ。尚且つ価格もチラシに「いくらで全部やりますよ」と明記しておく。さらに間に生協さんというところが入っていただくことによって、だったら預けても大丈夫ねってところを担保してるんですね。そうすることによって、最初は一か所の生協さんで始まったんですけれども、そこで大きな成功を収めて。そうすると生協さんって全国組織ですから横に横にとどんどんどんどん広がっていって、さらには通販っていうところも取引させていただくこととなって、そこでうちの会社が持ち直したという経緯があります。

私がやっぱり一番転機となったのは、社長を継いでからだと思いますね。
それまでは息子ではありましたけれどどこか雇われて働いていた、ある意味サラリーマン感覚というのがあって、それがリーマンショックの翌年に「会社を継げ」と言われて、その時は社長業ってどんなことなのか全くわからない状態で継いだんですよね。

一番最初に私に訪れた転機は、それまで会社が抱えていた負債の保証人の印鑑を全部自分が継いだ時ですね。もうものすごい金額で「こんなの本当に返せるんだろうか・・・」って(笑)不安になったのを覚えています。

今度はその不安心からですかね、今の仕事もいつか立ち行かなくなくなると思って、どんどんどんどん新しいことをやらなければ、という気持ちばかりが空回りしていって。その中で自分だけが勝手に動いて行って、社員との軋轢とかも生んでいって本当に訳が分からない状態に陥って。
当時父が前の先代の父がひどいワンマン経営でやっていたもんで、自分・・・まあ自分はそうならないようにしなきゃいけないとは思っていたんですけれども、知らず知らずのうちにそういう事態に陥っていたような気がします。

うちの若い社員の一人から、「今やっている仕事をちゃんとやってくださいよ」って言われたことがあったんです。それが気づかされた転機だったと思いますね。「俺は何をやっていたんだろう」と。「ものを直すという仕事をちゃんとやっているじゃないか」と。「でもやっぱりまだまだ穴だらけだな」と。「そこをじゃあしっかり埋めていかなければな」という風に考えを新たに、そこで変わりましたね。

その時に自分への戒めとして思ったことって言うのが経営者も会社っていう単位で見てみると、一つの必要な役割の一つであって絶対者ではないっていうところの部分と、あと相手の言っていることの感情を無視して聞くと。相手も皆人間なので時には感情的になったりするときもあると思うんで受けれども、相手の言っていることとかをその辺の部分を隠して無視して聞いてみると、案外言っていることって正しいことが多かったりするんですよね。

だからそういう意味で「自分に慢心せず、尚且つ人の話を聞ける自分になろうっていう風に変えられたことが、自分の本当に転機だったんじゃないかなあと思いますね。

実は私は会社を継ぐ気は全くなかったんですね。前職も自分で就職活動して、自分でその会社を見つけて入ったんですけれども、そこがいわゆるカーナビ・カーオーディオの製造メーカーの販売会社、いわゆる車のカー用品を扱っている量販店、そういう卸している会社だったんですけれども、お世辞にもその会社の製品が優れているものではなかったんですよね。

そうすると、買いに来たお客さんに対して、その・・・ほっといたら売れないわけですから、自分の会社の製品の欠点は隠して、良いところだけを言って。そのようにして当時の会社の製品を売っていくって作業をしなければいけないという状況下の中で、やっぱり・・・その胸につかえるといいますか、良心の呵責っていうものがどうしてもあったんですよね。

その最中、父がやっていた「布団を預かって蘇らせて、お客さんのところに返してあげる」という仕事をやっているといったときに、「あ!これはお客さんに感謝される!胸を張れる仕事をやっているな」と思ったんです。
そこで、「働いてみたい、そういうことをしたい」と思ってうちの会社に入ってきました

貢献 ~地域、業界との絆~

「地域や業界との絆」
「花嫁わた」が行っている地域や業界での取り組み。そこに込められた想いとは?

吉村:同業者同士って言うのはないんですけれども、異業種っていう意味での交流会には参加してますね。経営者なので自分で思う内容を社内で相談することもできないので、逆にそういうところに参加したことによって、悩んだり、もがいたり、苦しんだりとか、それに対してこうやってやってるとか強みを持っている人だとかいう人がたくさんいて、それに感化されて自分も経営者として、徐々に徐々にではありますが、成長できるようになったんじゃないかなあとは思ってますね。

同じ仕事をやっている競争相手が少ない、ニッチな市場ではあるんだなと思うんですけど、そこに逆にうちの活路があるのかなと感じたりしてますね。

ただやっぱりほかの会社はいわゆる競争の中を勝ち抜くために日々考えている状態のところがほとんどなので、そういう人の話を聞くって言うのは本当に非常に勉強になるなって思いますね。

~あたたかさを850枚の布団に込めて~
お客様から布団を預かって、尚且つリフォームのための費用を1枚3千円負担していただいて、私共でリフォームした布団を東北に届けるという取り組みを行いました。

それを告知した途端にですね、うちの電話がパンク寸前に(笑)なりまして、1枚3千円なんですけど、多い方は10枚で3万円分のご協力をいただけた方もいます。合計850枚の布団をNGOの団体の方の力を借りまして、東北に届けた。そういうことを昔やりました。

実際に布団を一枚作るのは物流コストも含めたら当然3千円じゃできないんですけれども、うちが全額もってやるって言うのはどうしても厳しかったんで。ただ、嬉しかったのはその「費用を負担してでも、自分のものを困った人たちのために活かせるのであれば」という想いを持っていただいた方が本当にたくさんいらっしゃったってことが本当にうれしかったですね。

普通に布団の製造メーカーが申し訳ないんですけど、倉庫に売れ残った在庫をただ送るっていうのとは全然違う価値や感動っていうのがそこには間違いなくあったと思いますね。

NEXT100 ~時代を超える術~

最後のテーマはNEXT100、時代を超える術。
未来を見据え、変える必要のあるもの。
「変革・革新」を吉村祐介が語る。

吉村:うちもこの時代の最中いろんな時代を生き抜いてきたんですけれども、昔はものが無かった時代、ないがゆえに作ればいくらでも売れた時代っていうのはあったと思います。 その次に“大量消費時代”って言うのがあって、今度はものがそれなりの価格であればいくらでも、“ある程度価格に見合っていればいくらでも売れる時代”が来て、今は“ものがいいのは当たり前、安いのも当たり前。それ以上の喜びを感じられないとモノが売れないという時代”になってきたと思うんですよね。

その喜びはこの商品にすごいありますよと、すごいありますよと連想させるために、もうものだけではなくて、いわゆる宣伝だとかプロデュースだとかマーケティングだとか、本当にそのもの以外の部分の価値って言うのを創出しなければいけない時代になってきてしまったんじゃないかなあという風に思います。

でもその中で、モノを直すって行為の場合はそことは全くかけ離れた、今まで使っていたものが蘇って戻ってくるっていう感動っていう軸があるんですよね。この感動の軸っていうのが、これからその100年生き残っていくための非常に重要なキーワードになっていると思うんですよね。この感動自体は誰もが感じる人間共通の本当に普遍的なものなので、ここを大切にしていくって言うのが100年先のための非常に外してはいけないところなんじゃないかと。

~求められる革新~

この、ものを直すっていうことが絶対変えないで、でもモノを直すっていうことが、何が直っていくのか、あるいはどのように直っていくのかっていうのを、しっかりお客様に伝えながら、それを何をなすべきなのか、そのために何をなすべきなのかっていうのを考えていくっていうのが、考え抜いていける人材っていうのが必要なんじゃないかなっていう風に思っています。

常に人の持つ普遍的な価値観、このものを直すって言うことからブレることなく、何を直していくか?どのように直していくか?っていうことを常に探求しながら100年後の未来も生き残っていける企業であってほしい。それはお客さんのためだけではなくて、社員のため、工場の人たちのため、うちのこのものを直すっていうことに関わってくれている人たちが笑顔で入れるようにするために、そういうふうにいてほしいと思っております。

〜長寿経営をしていく上で大切なこと〜

やっぱり時代に合わせて変化していくことなんじゃないかなと思うんですよね。
要はオリジナルを作る必要はないと思うんですよ。実際に布団のリフォーム、うち直しも・・・仕組み自体は昔からあったものなんで。ただやり方が時代にあっていなかっただけ。

今度先代が作り上げてきたものも、今度やり方は構築できたけれどもそれを伝え方が仕組みの作り方がまだまだ未成熟だっただけ。
今はさらにそれを50年先にっていうところでいくと、それを考え見抜ける力を、自分も含めてなんですけれどもまだまだ持てていないだけ。でもそれは、学んだり変化していけば良いことなので。ただ、ただ守るだけじゃダメなんじゃないかなと思いますね。

花嫁わた、6代目、吉村祐介が、次代へ届ける長寿企業の知恵…。
「モノを蘇らせる」という仕事は、時代は変わっていっても普遍的なものであり、甦るという価値が色あせることはない。
お客様に喜ばれていくために、社員や関わる人達が笑顔でいるために探求し続け、100年先も会社を継続させて欲しい。
この想いは、100年先の後継者へ受け継がれていく・・・。

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