Story ~長寿企業の知恵~ 「 貢献 」
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株式会社 ういろう
貢献 ~地域、業界との絆~

ナレーション

地域や業界との絆。
ういろうが行なっている地域や業界での取り組み、そこに込められた想いとは?

外郎:

老舗の一つの課題として、地域に貢献すべきであるということがありますので、例えばですけど、私どもの駐車場。この駐車場を地元の催事の時にはですね解放して、小田原のお祭り、神輿が練り歩くお祭りの時には神輿の休憩所として提供したり、自治会の夏祭りの時は、全面的にそこで皆さんに屋台とかを出してもらって楽しんでいただいたり。それから私、ういろう太鼓というね、太鼓部を創設しまして、和太鼓なんですけど、せっかく和の会社なので、社員の人たちにも少し和の文化に触れてもらったらいいかなと思って、それから太鼓を打つっていうのも一つのこのエネルギーの発散になるので、そういう目的で創設したんですけども、徐々にみんなが演奏が出来るようになってからは、小田原城での催事だとか、それから地元の何かのパーティーの時に出演を頼まれれば、そこに行ってそれを盛り上げるというね、そういう太鼓部も作ったりして、地域の一つの活性化に繋がればと思ってやっておりますね。

歴史を振り返ってみると、小田原で500年以上存続できてるその大きな要因の一つは、地域に貢献したり、地域と共に営みをしてきたということがありますので、そういう意味でも、小田原の城下町・観光地として賑わいをしていかなければいけない時に、老舗が、まぁ私も観光協会の役員をしておりますけど、そういう観光・行政にも色んな形で協力をさせていただいて、全体を盛り上げて、そうすることによって小田原にお客様が来られて、また、うちのことも知って頂く。
逆にうちに来たお客様が、うちだけではなくて、小田原のそういう観光の色んなことの整備を私たちもさせていただくことによって、より小田原を回遊して頂くそういうことになろうかと思います。そうすることによって、老舗がただ1社遺るのではなくて、地域の発展と共に歴史を重ねる、これが大きなキーワードだと僕は思ってますので。

~小田原と共に歩む「ういろう」の歴史~
小田原は歴史・文化がある街です。北条時代から徳川時代まで約400年間、城郭に守られた非常に大きな都市であったと。
北条時代は、戦国の始まりが北条氏で始まり、また戦国時代の終焉も北条の五代が秀吉に小田原城を開城した時に終わってるとそういう歴史があり。
また、江戸時代は、東海道の重要な宿場、まぁ東海道の最大級と言っていいとおもいますけどそういう宿場でありましたので、非常に賑わい、また箱根越えの方々の多くが宿泊したそういう街であるという。
小田原城の天守閣、まぁ復興天守閣ですけども、天守閣の中が一昨年の5月にリニューアルをいたしまして、非常に中がこう美術館のように非常にわかりやすく見やすい施設になってるんですけども、その中にも、私どもの紹介のコーナーがあったりとか。

歴史がある分、そういうところでの展示をしていただいたりとか、あとは、昔の東海道の絵図とかそういったところには、必ずこだわりのその店構えの絵がですね地図とかそこに出てきますので、そういったところで、ういろうっていうのがここにあったんだなっていうことは見ていただけるかなと思います。

小田原の観光につながる取材であれば、本当に喜んで受けさせて頂きます。うちの店の事をこう紹介していただけるんですけども、それが小田原の観光につながればと思って受けていますし、よくそのインタビューっていうかこういうカメラの回ってるところで話をするんですけど、で、小田原の城下町の良いところとかを話したり、是非皆さん小田原に来てくださいっていう風な事をカメラの前で話しています。ただ残念ながら、だいたいそういうところはカットされる(笑)