Story ~長寿企業の知恵~ 「 創業の精神 」
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株式会社 ういろう
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

ナレーション

今回のゲストは、ういろう25代目代表 外郎藤右衛門(ういろう とうえもん)。
創業は1368年。
ういろうは外郎家が営む、老舗の薬局・和菓子屋であり 小田原で存続する最古の企業である。

初代は、医薬に長けた渡来人。
元朝滅亡時に日本に帰化し、北条早雲の招きで小田原に移住。
以来、室町時代から一子相伝で作られている薬とお菓子は
どちらも“ういろう”と呼ばれている。

また、2代目市川團十郎が「透頂香」を愛用した縁から
歌舞伎十八番「外郎売」が創作される。

その伝統の店構えや伝統文化を伝える博物館は、観光名スポットとして認知され
近年は自家製の和菓子が味わえる甘味喫茶を併設し、街歩きの休息場所になっている。

ものづくりのこだわりを放棄し、販売を拡大する選択はあり得ないとし
地域の健康を守り、小田原と共に歴史を歩み続ける。

今回は、25代目代表 外郎藤右衛門の言葉から
次代へ継承すべきういろうの持つ長寿企業の知恵を紐解いていく。

外郎:

現在小田原市で薬と御菓子を製造販売している企業なんですけれども。創業は1938年、約650年続く老舗です。
ういろう家が母体となりまして、代々経営をしてきておりまして。ういろう家にまつわる歴史・文化を共有しながら営みを続けてきております。
もともと諸曽が医学に長けていた人間だったということもありまして、ずっと家伝薬を作り続けてきておりまして。
‟透頂香(とうちんこう)”というのが正式な名前なんですけれども、家の名前から“ういろう”薬のういろうと呼ばれて。あと室町時代におもてなしの菓子として作った御菓子、これが家名からいつの間にか‟ういろう“と呼んでいただけるようになりまして、その御菓子のういろうと。その二つを作り続けてきておりますね。

私共のこだわりというかずっとこれまでも丁寧に薬も御菓子も自分たちの目の届く範囲で丁寧にしっかりと作るということを続けてきておりまして、今でも人の手と時間をかけて薬も御菓子も作ることに精進しております。

店構えがですね、ちょうどお城みたいな白壁に瓦屋根で、棟が塗装になってますので。これ実は、小田原城と競い合っているわけじゃなくて、私ども伝統の店構えで、八棟造りと呼んでますけども、まぁ小田原に1500年初頭に来ましたけど、その時に多層棟の屋敷を構えまして、それが一つのこだわりになってですね、建て直す時はそういった八棟造りを建替えるということで今もその店構えを守り続けて来ております。
やっぱり小田原の市内の方、もしくは観光でいらっしゃる皆様に、なぜこういう店構えなんだろう、ういろうの歴史ってどうなんだろう、そういった興味を皆さんたくさんお持ちになっておられたので、活字のパンフレットではなく、もう少しこう見ていただく、体感していただく、そういう場が必要だろうと感じましたので。
明治18年の約130年前の家蔵がありましたので、それを改装して、ういろうの歴史だったり、小田原の歴史をご紹介するような、または、日本人の持っているものづくりの気質が分かるようなそういう資料を展示して、皆さんにこう感じていただく、または知ってもらうそういう博物館を作りました。
やはり日本人っていうのは、手先が器用なんだな、それから物をつくるという観点においては、長く使えるようにしっかりした物をつくってきたんだなと。それから、使う側がやっぱそれを大事にしてきたんだな、というものをやっぱ100年以上経っても、今でも全然使えるような桶ですとか提灯とか、そういったものを見ると、そういったものをすごく感じましたね。

一言で言うと、「いいものを見せてもらった」という風に言っていただけたり、「やっぱ歴史がある小田原なんだね」という風に言っていただける、そう言う言葉をいただけると、ガイドした社員も、そして私もほんとにすごく「あぁ、こういうものを皆さんに公開して良かったな」と思いますね。

ナレーション

ここからは、テーマに沿って、ういろうの持つ長寿企業の知恵に迫る。
最初のテーマは「創業の精神」。
創業者の想いを紐解き、現在に至るまでの経緯・家訓や理念に込められた想いを紐解く。

外郎:

ういろう家に伝わる家憲はありますけど、ここではあえてですね、ひとつひとつの家憲を語るのではなくて、概念を申し上げますと、薬と御菓子を商っておりますので、私ども代々、地域の人の健康を薬で守り、そして御菓子で皆様の笑顔を生もう、ということで、それを基本にして商いをしております。
特にですね、家憲を読むとか見せるとか掲示するということはしておりません。歴代の当主が、その家憲を知りながら、それを時代に合わせて、自分たちの営みのですね、上手くこうその時代に合わせて社員に別の形で時には行動で、時には自らの言葉でそれを誘導するという形で進めてきております。

~代表に就任して変えたもの~
社員の数も多くなってきたということもあるんですけども、もう少し風通しを良くした方がいいかなというのもありまして、一つは、社長室をですね、やめてしまいました。まぁ社長が社長室に居て、で、報告を聞くとか指示をするっていうことではなくて、自らがやはり現場に近いところに席を置いて、お客様の声だったり店員の動きだったり、時には取引先のそういった裏口から入って来られる方もお客様としてきちんと対応できているか、そういったものを自分自身がこう見て感じて、また、それを会議を一つ設けました。各セクションの人たちに情報共有させたり、もしくはお互いの情報交換できるようなそういう運営の仕方をして、みんなが同じような情報が共有できたり、言いやすい環境を作るように致しました。

まず、先代が他界してから丸3年が経ちまして。昔ですと、やはりその前の代が亡くなると次の代が名を名乗ったりすることもあったんですけども、まぁ三回忌が過ぎるまでは、その名跡を継ぐのは控えようかなと思っていて。
それから更に1年経ってから名を継いだのは、ちょうど私の長男が、その昨年の4月に社会人になりまして、外で今働いておりますけども、そういう一つの私ども外郎家にとっての、一つの時期が昨年であった。それからまた、11月というのも私が好きな月だったので、その時に襲名をすることを決意致しました。

~襲名からの変化~
あの・・・ぶっちゃけた話ですけど、中身はすぐには変わらないんですね。
ただ、やはり歴代当主が名乗って来た名前ですので、幼名となりました武というときはですね、外郎武だという風にこう普通に喋れたんですけど、今は、外郎藤右衛門ですという風にこうすんなり名乗りにくくはなりましたね。
やはりそれだけ、その藤右衛門という名に対して一つの敬意があって、あまりこう自分でさらりと名乗れるというような状態ではないですね。
ですから、もう少し自分が歴代当主に恥じぬように精進をして、しっかりと外郎藤右衛門であると名乗れるようにですね、頑張らなきゃいけないのかなという風に思います。

~日本における襲名制度~
日本の僕は文化だと思いますね。代々ものを受け継ぐということ。それが名前であったり、それから物であったり、精神であったり。受け継ぐっていうのが日本のこう一つの文化だと思いますね。
そしてやはり、資源の乏しい国だったということもあるんでしょうけれども、物を大切にする、また人の命を大切にするというのも、日本人の気質だと思いますので、そういう中で、名前を大切にして代々受け継いでくるということなんだろうと思います。