今から8年程前に、3代目の社長、この方が私と同い年で、もちろん創業家出身なんですけれども、M&Aで会社を売却しようということを極秘に進めておりまして、それを私がひょんなことから見つけてしまいまして、一体何をしているんだと。私はM&A自体には賛成でも反対でもないですけれど、事業承継の仕方のひとつなのかなあとその程度には思っていないです。その金で、あと遊んで暮らすのかと。それは良くはないでしょうというふうに思いまして、かなり色々悩み、考えましたけれども、今まで通り会社を存続させて、今居る社員と一緒に仕事をしていく為には、自分が会社を買い取って、自分が社長になってやっていくしか方法はないだろうと。他に選択肢はないなと思いまして、決断をして、先代の社長に申し伝えて。もちろんすぐにはOKは貰えなかったですけれども、数ヶ月に渡って色々議論を進めている中で、最終的にそういうことであれば、小林に全部渡すよということになりました。それからは銀行をまわって金策ですね。私はお金がないものですから笑
そこで自分が先頭に立つぞ、リーダーになるぞというのは、想いが無いとできないですよね。
先代の社長がM&Aで会社を売却しようとしているという話を出来る様になった時点で、社員をひとりひとり応接間に呼びまして、今こういう状況になっていると。だから、今私が考えているのが、株式をすべて私が買い取って、私が社長になって、皆と一緒に今まで通り仕事をしていこうと思っているんだけどどうだと話したら、ある男性の社員が泣き崩れまして、多分先代の社長に裏切られたと言う想いだったと思うんですけれども、それを見たときに、やっぱり自分がやるしかないんだと。
なんだか下町ロケットの製作所の社長とちょっとだぶりますよ!あれはドラマだけど、こっちは現実ですからね。
そこで、よし、自分が引き受けると思われた理由というものはあったのでしょうか。
真面目に、必死になって仕事をすれば、こうなるんだよということを知らしめたかったという想いはありました。能力のあるなしに関わらず、必死になって頑張れた、そうなるんだよということを、誰にという訳ではないんですけれども、それを知らしめたかった、見せたかったという想いは強かったと思います。
ご自分が、引っ張っていくというか、会社を先代から引き継ぐという形でスタートされて、ターニングポイントを迎えて、ポイントの先は順調だったんですか。
リーマンショック以降色々な企業の業績が悪化していましたけれども、弊社も、同じ様に売り上げが下がりました。最盛期が今よりも12年位前ですかね。17億8千万円の年商だったのが、私の買い取る直前の年商というのが12億5千万円まで下がりまして、丁度3割程下がりまして、非常に厳しい状態からスタートしました。ただ、先代の社長がかなりの役員報酬をとってましたのでこれが無くなれば、資金繰りも良くなるのではないかといういい加減な気持ちもあってんですけれども、実際に始まってみると、そんなに甘くもなくてですね、非常に厳しい状態にどんどんなっていきまして。その、社長になった翌年に東日本大震災がありまして、当時私も東京に居りましたけれども、あのひどい揺れを経験しながら、なんていうときに俺は社長になってしまったんだろうということはちょっと考えてしまいました。
それくらい切羽詰まっていたときに震災があったんですね。
学生時代にも相当ご苦労されたと伺ったんですけれども。
家が非常に貧乏だったものですから、夜学に行って昼間は働いていました。大学3年位のときに父親の借金が発覚しまして、借金の一部が暴力団関係に債権が移ってしまいまして、大変な思いはしました。数年かかりましたけれども完済しました。私は28歳のときに今の家内と結婚をしたんですけれども、結婚して2.3年で2度目の借金が見つかり、それもなんとか完済したんですけれども。それから2年くらい経って3度目の借金が見つかり、そういう意味では20代前半から30代前半というのは人生で一番楽しい時期ではないかと思うんですけれども、そんな余裕は全くなかったですね。ただ、今となってはそういう思いをさせてくれた父にはすごく感謝をしています。世界一の父親だと。
まだトップウェルに入られる前でしょ?
はい。私は元々出来が悪かったものですから、転職を何回も繰り返しまして、36歳の時にトップウェルに出会いました。36歳での転職ですから、出世は勿論無理だと。ただ、仕事をする上で、遅れは一日も早く取り戻したいということで、とにかく遅れを取り戻す為には、人の2倍3倍時間をかけて仕事をするしかないだろうということで必死に頑張りました。会社に入って半年くらい経った時点から「この会社は一体何をやっているんだ、こんなことをしていたら、商売は伸びないだろう」という思いでいました。色々勝手なこともしました。自分で勝手に倉庫を見つけてきて、仮契約したりですね。そういうことをやらせてくれたのも先代の社長なんですね。ですので、先代の社長がいなければ、今の自分は無いと思います。
今から8年程前に、3代目の社長、この方が私と同い年で、もちろん創業家出身なんですけれども、M&Aで会社を売却しようということを極秘に進めておりまして、それを私がひょんなことから見つけてしまいまして、一体何をしているんだと。
朝岡:私はM&A自体には賛成でも反対でもないですけれど、事業承継の仕方のひとつなのかなあとその程度には思っていないです。その金で、あと遊んで暮らすのかと。それは良くはないでしょうというふうに思いまして、かなり色々悩み、考えましたけれども、今まで通り会社を存続させて、今居る社員と一緒に仕事をしていく為には、自分が会社を買い取って、自分が社長になってやっていくしか方法はないだろうと。他に選択肢はないなと思いまして、決断をして、先代の社長に申し伝えて。
もちろんすぐにはOKは貰えなかったですけれども、数ヶ月に渡って色々議論を進めている中で、最終的にそういうことであれば、小林に全部渡すよということになりました。それからは銀行をまわって金策ですね。私はお金がないものですから笑
そこで自分が先頭に立つぞ、リーダーになるぞというのは、想いが無いとできないですよね。
小林:先代の社長がM&Aで会社を売却しようとしているという話を出来る様になった時点で、社員をひとりひとり応接間に呼びまして、今こういう状況になっていると。
朝岡:だから、今私が考えているのが、株式をすべて私が買い取って、私が社長になって、皆と一緒に今まで通り仕事をしていこうと思っているんだけどどうだと話したら、ある男性の社員が泣き崩れまして、多分先代の社長に裏切られたと言う想いだったと思うんですけれども、それを見たときに、やっぱり自分がやるしかないんだと。
なんだか下町ロケットの製作所の社長とちょっとだぶりますよ!あれはドラマだけど、こっちは現実ですからね。
石田:そこで、よし、自分が引き受けると思われた理由というものはあったのでしょうか。
小林:真面目に、必死になって仕事をすれば、こうなるんだよということを知らしめたかったという想いはありました。能力のあるなしに関わらず、必死になって頑張れた、そうなるんだよということを、誰にという訳ではないんですけれども、それを知らしめたかった、見せたかったという想いは強かったと思います。
朝岡:ご自分が、引っ張っていくというか、会社を先代から引き継ぐという形でスタートされて、ターニングポイントを迎えて、ポイントの先は順調だったんですか。
小林:リーマンショック以降色々な企業の業績が悪化していましたけれども、弊社も、同じ様に売り上げが下がりました。最盛期が今よりも12年位前ですかね。17億8千万円の年商だったのが、私の買い取る直前の年商というのが12億5千万円まで下がりまして、丁度3割程下がりまして、非常に厳しい状態からスタートしました。
朝岡:ただ、先代の社長がかなりの役員報酬をとってましたのでこれが無くなれば、資金繰りも良くなるのではないかといういい加減な気持ちもあってんですけれども、実際に始まってみると、そんなに甘くもなくてですね、非常に厳しい状態にどんどんなっていきまして。その、社長になった翌年に東日本大震災がありまして、当時私も東京に居りましたけれども、あのひどい揺れを経験しながら、なんていうときに俺は社長になってしまったんだろうということはちょっと考えてしまいました。
それくらい切羽詰まっていたときに震災があったんですね。
石田:学生時代にも相当ご苦労されたと伺ったんですけれども。
小林:家が非常に貧乏だったものですから、夜学に行って昼間は働いていました。
朝岡:大学3年位のときに父親の借金が発覚しまして、借金の一部が暴力団関係に債権が移ってしまいまして、大変な思いはしました。数年かかりましたけれども完済しました。
私は28歳のときに今の家内と結婚をしたんですけれども、結婚して2.3年で2度目の借金が見つかり、それもなんとか完済したんですけれども。それから2年くらい経って3度目の借金が見つかり、そういう意味では20代前半から30代前半というのは人生で一番楽しい時期ではないかと思うんですけれども、そんな余裕は全くなかったですね。
ただ、今となってはそういう思いをさせてくれた父にはすごく感謝をしています。世界一の父親だと。
まだトップウェルに入られる前でしょ?
小林:はい。私は元々出来が悪かったものですから、転職を何回も繰り返しまして、36歳の時にトップウェルに出会いました。36歳での転職ですから、出世は勿論無理だと。
ただ、仕事をする上で、遅れは一日も早く取り戻したいということで、とにかく遅れを取り戻す為には、人の2倍3倍時間をかけて仕事をするしかないだろうということで必死に頑張りました。
会社に入って半年くらい経った時点から「この会社は一体何をやっているんだ、こんなことをしていたら、商売は伸びないだろう」という思いでいました。色々勝手なこともしました。自分で勝手に倉庫を見つけてきて、仮契約したりですね。そういうことをやらせてくれたのも先代の社長なんですね。ですので、先代の社長がいなければ、今の自分は無いと思います。