鳥料理 玉ひで
言魂 ~心に刻む言葉と想い~
ちょうど私が高校1年生の時に祖父が他界したんですが、その時にですね、おじいちゃんの所謂お友達の方から、「耕之亮くんちょっとこっちにおいで」って言われて、『何ですか?』「君は鶏肉が食べられないんでしょ?」って言われたんですね。いや正直ですね、こう何と言うんですか、身の凍る想いみたいな…玉ひでのですね8代目でここまでまでやってて、孫が鶏肉が食べれないってことをおじいちゃんは何でそんなに吹聴してたんだろうってびっくりしました!で、これは隠さなきゃいけないことだと思ってたんですね。鶏肉が食べられないってことを。ところがですね、それを複数の方から同じことを聞かれまして、それで『はい、食べられません』と、正直に言ってしまったんですね。そしたら「おじいさん喜んでたでしょ?」って言われたんです。で、僕もですね、祖父が喜んでたっていうのを正直忘れてまして、そういえば小さい頃『鶏肉食べたくない』って言うと、「食べなくていいよ、よしよし」って言われてたなって思ったんですね。それで、「あっ、そういえば、子どもの頃、食べなくていいよって言われてました!」って言ったら、『そうでしょ』って。
おじいさんはね、今の鶏肉はとても不味いと。こんな美味しくない鶏肉をね、美味しい美味しいって食べてる人が世の中に大勢いるけど、これは自分が子どもの頃…まぁ明治時代ですよね。食べた鶏肉とは全く違うものだと。で、こんなに美味しくない鶏肉を孫が食べて美味しいって言うようだったら死んでも死にきれないけど、この子はこの不味い鶏肉をはっきり不味いって言うから、この子は自分の隔世遺伝で、鶏の味の分かる子だから、その孫に玉ひでを託して死ねるのは幸せだ!みたいなことを。
ほぉー
山田:で、それで、自分が他界したら孫に伝えろと、どうも数人に言っていたようで、私はほんとに数人から言われました。で、その時に、「あっ、鶏肉をいいものに変えていかなければいけない」っていうのが心の中に芽生えたんだと思います。
朝岡:はぁー!
山田:だから、自分の食べられる鶏肉だったら、他の方も美味しく食べられるんではないかって思ったんですね。そしたらですね、その1ヶ月後くらい、祖父が他界して1ヶ月後ですよ、父が「この鶏だったら食べられるか?」って、東京軍鶏の最初の試作品を持ってたんですね。
石田:へぇー!
山田:だけどね、今から気づいてみるとですね、ひどい奴ですよね。祖父には食べさせてないんですよ。
朝岡:あぁー!
山田:確執ですね!
朝岡:あっはっはっは(笑)お父様がね!
石田:あったんですね!(笑)
山田:だから、祖父は父だったら「あいつは店潰す」って言ってたんですよ。きっと。
石田:あぁー…
山田:自分の周りには。何かあの、そういう家ですね。ですけど、その時に僕もまたもう一回びっくりしました!父の前では食べてたんですよ実は。鶏肉を。
ただ、噛まないで全部水で飲み込んでたんでましたけど。噛んだら気持ち悪いんで。全部水で飲み込んでたんですけど。父の前では、食べるそぶりを見せてたのは間違いないんですよ。だけど、おじいちゃんの前では誉められるから、全部捨てて、鶏肉は一切食べないで。
そっかー
山田:で、だけど、父にバレてたようで、「この鶏だったら食べられるのか?」って言われて東京軍鶏を食べてみたら、『あっ、この鶏だったら食べられる』って言ったら、「じゃあ、この鶏をこれから玉ひでのメインにしよう」ということになりまして。
朝岡:そうですかー
山田:父の想いと祖父の想いを嫌々ながら、引き継いではいるのかなという風に(笑)
朝岡:いやいやいやいや、それはね、やっぱりおじい様とお父様のそれぞれのね、孫であり子どもなんだけども、そこへ対する色んな愛がね重なっているように僕は受け止めましたけどね。
続いてのテーマは、 「言魂、心に刻む、言葉と想い」
強い想いと信念が込められた言葉には魂が宿り、 人生に大きな影響を与える・・・
山田耕之亮が家族や先代から受け取った言葉、そこに隠された想いに迫る。