Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
←前のパート
次のパート→

墨田川造船 株式会社
決断 ~ターニングポイント~

ナレーション

「決断」~ターニングポイント~。関東大震災、世界大戦、不況による経営危機。様々な境地を幾度となく乗り越えてきた先代たちから受け継がれてきた意志とは。また石渡秀雄自身のターニングポイントにも迫る。

石田:

続いては墨田川造船さんにとってのターニングポイント、転機はありますか?

石渡:

まず関東大震災のとき。墨田区の向島にあったので、火災を免れる事が出来なかった。会社が全焼したという形になるんですけど。その時も会社をあげて全力で復興したということがありました。

それと昭和初期は軍需といいますか、海軍の指定工場にもなって、従業員も多かったんだけども、終戦と同時にまったく受注が無くなって、工場もほとんど解散という形になりましたので。それを乗り切るためにどうすればいいかとか。

平成に入ってからも一時期受注が全く無くなった時期が過去数年間ありまして、それも何とか乗り切ろうと試行錯誤はいろいろしましたね。

朝岡:

関東大震災と戦争の被害というのは東京の会社は大体経験されているところも多いんですけど、受注が無くなっちゃう造船不況というときにどうするかというのは考えても難しいところがあったでしょうね。

石渡:

ただまあ造船の技術、溶接とかですね。

その頃は木船なんていうことがありましたので、例えば戦後は家具をつくったりとか、組み立て復興住宅をつくったりとか。それから鉄のセメントタンクをつくって、それを出荷したりして。

逆に溶接技術は船の方が結構良いもんですから、それで好評を受けて、なんとか乗り切ったということもありましたね。

朝岡:

船をつくる技術で、船じゃないものをつくることで会社としても意地できてきたと。

石渡:

ただ根底には船を造りつづけるということが重要でございますので、他の商売には手を出さないで、船に関連することはやるんですけど、いつかはもう一回船を造るぞという意志が代々受け継がれてきたというのがありますね。

石田:

石渡さんご自身のターニングポイントはありました?

石渡:

前職は旅行会社だったので、スキーツアーとかを主催していたんですよ。

そこを手配を色々する責任者だったんですけど。忙しかったんで、毎日バスが何十台も出発するので、その都度バスを手配するんですけど、ちょっと忘れてまして、夜の21、22時にお客さんはいるんだけどバスが来ない、なんでだと言ったら、私が手配し忘れていたと。その時のお客さんが「どうするんだ」と。大学生とかが多かったので、せっかく楽しみにしてたのにと。

すぐそこの原宿の体育館の前でやってて。そのときは逃げたかったんですけど、逃げられない、どうしたら良いんだっていうのはありましたね。

朝岡:

その時は乗り切れたんですか?

石渡:

その時はたまたま上司がいて、バス会社叩き起こして、「一台なんとかせえ」って言った形で持ってきてくれたおかげで、夜中の24時くらいには出発することができて。ちゃんとやんなきゃいけないんだな、忙しくても手を抜いちゃいけないんだなというのがありまして。

造船の世界に入ってからも段取りとか準備を大切にするようにしてましたね。

石田:

考えただけで胸が苦しくなりますけど。

朝岡:

ターニングポイントというよりも、自分の経験から得た鉄則になりましたね。