最後に次の100年に向けて変えるべきもの、または変えないもの、会社にとってコアになる部分を教えていただけますか?
難しい質問ですね。私は5代目の孫までは面倒みれると思っています。私も親父に継がせてやるとは言われてなくて、繋げてくれと言われたのが印象に残っています。菓子屋なんかと思っていましたが、繋ぐというのは非常に難しいんですね。だから息子にも継げとは言わなくて、繋いでくださいとお願いしました。じいさんもそう言っていた気がしますので。同じ歳くらいの菓子屋が継がせてやると偉そうに言ってたんだ。あれはやめた方が良いと思いまして。朝早く起きて面倒くさい仕事して、だったら銀行マンになった方がいいやって、大体後継者がいないんですよ。私と女房が楽しそうにやってたんでしょうね。息子が高校の時に団子屋やると言ったときは嬉しかったね。うちは和菓子屋だぞと思ったけど。息子がそういう風に変わってくれたのは嬉しかったですね。それで繋いでくださいってお願いしたら、「うん」と言ってくれたので。上から目線はダメだなと思いましたね。
その他にあんこのこだわりとかも繋いでいってもらいたいという想いはあるんじゃないですか?
小豆も生産者の方の努力で年々品種改良なんです。アクがどんどん減っているんです。カナダとか中国、オーストラリア産もありますが、日本人がつくったものと全然違います。恐ろしいくらい違います。中国に6年間教えにいったんですよ。あいつら手抜くんですね。十勝と同じ緯度で大きなところで小豆をつくって、加工して輸入すれば安くすむのでやってみたんですが、手抜くので諦めました。日本人の品種改良でアクも少なくなって、実も大きくなって、美味しい。それは良い変化です。江戸時代のうなぎのタレが脈々となんて、マスコミがつくったやつだ。酒も醤油も今の精製の仕方の方が美味いに決まってますから。それを間違えない方が良いと思いますね。食べ方もそうですけど、ちゃんと正しい食べ方で。年々色々なことが変わってくると思いますけど。味を変えなきゃ繋がらないんですよ。それを自然に変えていくのが良いなと思います。そこが難しさで、原材料の良さを見極めなきゃいけない。砂糖も上白糖からグラニュー糖になり大ザラというお砂糖に変わってまいりました。さぱりした味になった。糖度は変わりませんですけども。そういうことだと思います。
ずっと続けてたら繋がるということじゃなくて、どんどん取捨選択しないと。
昔のものが美味しいというのは妄想で、江戸時代の酒と醤油がうまいわけがないじゃないですか。それを変えなきゃいかんですよ。マスメディアの方が江戸時代から戦渦をくぐり抜けて来たって、そんなもんでありがたがるなと思っています。
これからの100年もそういう形で?
はい。今良いものを生産者のところに見に行って、苦労を聞いて、なるほどと。若い頃北海道の小豆の作り方の勉強会に行ったら全然違う炊き方をしてる。それじゃダメだよということで4年に1回行くようになって。生産者の方に「私どもはあなた方のおかげでこんな美味しいお菓子をつくっています。お客さんの笑顔頂いています。今日はあなた方のために私の笑顔を届けにきました。」っていうことをやっているんですよ。300人くらい、全国から37社、とらやさんをはじめ、全員でお菓子をもって北海道に行きまして。
事業を長く続ける秘訣は何だと思いますか?
ご縁だと思います。一期一会と言いますが、一会は一笑としまして。甘いもの食べて怒る人はいないですからね。一期一会の出会いを頂いたら、それを笑いに変えていければいいなと思っています。
今後の目標は?
多店舗展開するつもりはなくて。美味しいものつくり続けるにはキャパが決まっていると思います。頑張らないでいいと思うので、新橋で美味しいものをつくり続ければいいなと思います。
今従業員は何名?
バイト入れて21名です。
家族みたいなもんですね。
本当にそうです。高校三年間バイトしてくれた子が辞めるので、お別れ会をしたんですが、泣くんじゃないかと思った。
最後に次の100年に向けて変えるべきもの、または変えないもの、会社にとってコアになる部分を教えていただけますか?
渡辺:難しい質問ですね。私は5代目の孫までは面倒みれると思っています。私も親父に継がせてやるとは言われてなくて、繋げてくれと言われたのが印象に残っています。
朝岡:菓子屋なんかと思っていましたが、繋ぐというのは非常に難しいんですね。だから息子にも継げとは言わなくて、繋いでくださいとお願いしました。じいさんもそう言っていた気がしますので。同じ歳くらいの菓子屋が継がせてやると偉そうに言ってたんだ。あれはやめた方が良いと思いまして。
朝早く起きて面倒くさい仕事して、だったら銀行マンになった方がいいやって、大体後継者がいないんですよ。私と女房が楽しそうにやってたんでしょうね。息子が高校の時に団子屋やると言ったときは嬉しかったね。うちは和菓子屋だぞと思ったけど。息子がそういう風に変わってくれたのは嬉しかったですね。それで繋いでくださいってお願いしたら、「うん」と言ってくれたので。上から目線はダメだなと思いましたね。
その他にあんこのこだわりとかも繋いでいってもらいたいという想いはあるんじゃないですか?
渡辺:小豆も生産者の方の努力で年々品種改良なんです。アクがどんどん減っているんです。カナダとか中国、オーストラリア産もありますが、日本人がつくったものと全然違います。恐ろしいくらい違います。
朝岡:中国に6年間教えにいったんですよ。あいつら手抜くんですね。十勝と同じ緯度で大きなところで小豆をつくって、加工して輸入すれば安くすむのでやってみたんですが、手抜くので諦めました。日本人の品種改良でアクも少なくなって、実も大きくなって、美味しい。それは良い変化です。
江戸時代のうなぎのタレが脈々となんて、マスコミがつくったやつだ。酒も醤油も今の精製の仕方の方が美味いに決まってますから。それを間違えない方が良いと思いますね。食べ方もそうですけど、ちゃんと正しい食べ方で。
年々色々なことが変わってくると思いますけど。味を変えなきゃ繋がらないんですよ。それを自然に変えていくのが良いなと思います。そこが難しさで、原材料の良さを見極めなきゃいけない。砂糖も上白糖からグラニュー糖になり大ザラというお砂糖に変わってまいりました。さぱりした味になった。糖度は変わりませんですけども。そういうことだと思います。
ずっと続けてたら繋がるということじゃなくて、どんどん取捨選択しないと。
渡辺:昔のものが美味しいというのは妄想で、江戸時代の酒と醤油がうまいわけがないじゃないですか。それを変えなきゃいかんですよ。マスメディアの方が江戸時代から戦渦をくぐり抜けて来たって、そんなもんでありがたがるなと思っています。
朝岡:これからの100年もそういう形で?
渡辺:はい。今良いものを生産者のところに見に行って、苦労を聞いて、なるほどと。若い頃北海道の小豆の作り方の勉強会に行ったら全然違う炊き方をしてる。それじゃダメだよということで4年に1回行くようになって。生産者の方に「私どもはあなた方のおかげでこんな美味しいお菓子をつくっています。お客さんの笑顔頂いています。今日はあなた方のために私の笑顔を届けにきました。」っていうことをやっているんですよ。300人くらい、全国から37社、とらやさんをはじめ、全員でお菓子をもって北海道に行きまして。
石田:事業を長く続ける秘訣は何だと思いますか?
渡辺:ご縁だと思います。一期一会と言いますが、一会は一笑としまして。甘いもの食べて怒る人はいないですからね。一期一会の出会いを頂いたら、それを笑いに変えていければいいなと思っています。
朝岡:今後の目標は?
渡辺:多店舗展開するつもりはなくて。美味しいものつくり続けるにはキャパが決まっていると思います。頑張らないでいいと思うので、新橋で美味しいものをつくり続ければいいなと思います。
朝岡:今従業員は何名?
渡辺:バイト入れて21名です。
朝岡:家族みたいなもんですね。
渡辺:本当にそうです。高校三年間バイトしてくれた子が辞めるので、お別れ会をしたんですが、泣くんじゃないかと思った。