Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
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株式会社 新正堂
決断 ~ターニングポイント~

石田:

続いては「決断」〜2つのターニングポイント〜」ということで、まず新正堂さんのターニングポイントを伺えますか?

渡辺:

大正創業なので、関東大震災でうちは燃えてしまいました。その後空襲でまた燃えてしまいました。新橋界隈はやたら燃えるんですね。それでも新橋を離れなくて、位置がちょっとずつ駅から離れていって、だんだん土地がおおきくなっていったんです。三番目がマッカッサー通りといいまして、進駐軍のマッカッサーが竹芝桟橋からアメリカ大使館まで戦車で行こうっていって線を引いたところにうちがかかってしまって、12年前に移動したのが三回目です。それでも新橋を離れなくて良かったと思いますね。

朝岡:

厳しい中で新橋を離れなかったのはそれだけ愛着がある?

渡辺:

結果的に新橋にいて良かった。一度新橋を離れたら二度と戻れないという方がいっぱいいらっしゃいました。小さくなってもいいから残そうと。母も白金に土地買って移ろうよって、どうせ東京都が土地を買い上げてくれるから、向こうで200坪買えるわよって。こっちは40坪なんですよ。でも新橋でやらせて頂いて良かったなと思います。

石田:

他に大変だったことはありますか?

朝岡:

和菓子の商品開発とか?

渡辺:

色々やりました。苺大福が出た時はマネジメントしましたし、皮を赤飯にして赤飯饅頭とか、わけのわからないものをいっぱいつくりましたがほとんど売れませんでした。やっぱり定番のもが美味しいんだということに至りまして、最中のネーミングを考えようというので切腹最中が出てくるんですね。その後あまりに名前がひどいんで、景気上昇最中というのを出しまして、不景気の時には良いだろうと。

あとは愛宕神社の出世のおじさんというお菓子とか。パソコンを始めたものですから、「e-monaka,com」というドメインをとったのですが、点をドットと読むのを知らなかったものですから、ドットの最中もつくったりしたんですけど。ネーミングの面白さと基本的な味が良ければ売れると思いまして。

ネーミングが面白いとハードルを下げてくれるんです。こんな名前のお菓子だから美味くないだろうって。新橋物語とかより切腹最中の方がグッとハードルが下がるんで、意外と美味いじゃんという、それが結果的に良かったと思います。

子供4人いまして、女房が月に一回学校に行くんですがPTAのお母さんに切腹最中を渡して怒られたことがあって、帝王切開だったらしいです。それで女房にほら見なさいと怒られて、それで諦めようかと思ったけど諦めなかった。

119名にアンケートとったんです。その当時の第一勧銀とか弁護士さんとかに、あげるからアンケートとってってやったんです。切腹最中を良いと言ったのは119名中たった1名だけなんです。あとは絶対やめなさいと言った。その1名のおかげで薄皮一枚残ったので結果的に今がある。ゼロだったら諦めてたでしょうけど。今は反対が割合としては凄く減りましたので。

朝岡:

なかなかお話伺っていると和菓子屋のご主人というよりも新しいものにトライするのが大好きという方ですが、もともと小さい頃から継げと言われてたんですか?

渡辺:

嫌でしたね。女性にモテたかったからデザイナーになろうと思ったんです。連れて歩く女性に良い洋服を着せたいと、バカな事考えてたんですね。

結果的に和菓子屋になったんですけど、全然つくれなくても当時職人さんがいたので、任せてプー太郎みたいなことしてたんですね。親父が具合悪くなったからやらなきゃとものすごく焦りましたね。その感覚が味を変えちゃいけないとかいろんなことに。

職人に新しいものつくってよって言うと、「いや、味を変えちゃ新正堂が朽ちるからよしなさい」と。結局そいつが面倒くさかっただけなんですね。親父が亡くなってから色んなものをつくらなきゃいけないと思ったけど、味を変える勇気が必要でしたね。それがあんこのかけ方を変えるということに至ったんですけど。

本来なら一晩水につけて朝ぐつぐつと煮るんですが、今はぐらぐらした湯に生のあずきを入れて炊くんです。昔のあずきはもの凄いアクが出たんですが、最近のは品種改良でアクが少なくなってまいりまして。京都は2度も3度もさらして品の良いあんこですって、私も憧れてたんですけど、なんだかあずきの美味さを捨ててる気がして、アクが少なくなったからそんなにさらさなくても良いだろうというのでやってみたら、ちょっと濃い切腹最中の味になったんです。

石田:

かつてデザイナーさんを目指して勉強したのがパッケージに役立っている?

渡辺:

印刷屋が凄く嫌がりますね。色にこだわるからパッケージの良さになる。普通トレーは白ですけど、金赤にしないと美味しく見えないと思って金赤にしていただいて。そのへんはこだわりましたね。

朝岡:

和菓子屋っていうと淡い色とか、白と黒だけとかね。

渡辺:

業者が言うんですよ。ほとんどは品の良いオフホワイトですって。やかましい馬鹿野郎と思って。赤もってきちゃいました。この箱も切腹最中のイメージで、黒にしちゃあれなんで、濃紺にして間を赤にして、パッと開いたイメージに。

朝岡:

赤がすごく活きていてね。

渡辺:

嬉しい。そこですよそこ。

朝岡:

色々デザインもご自身のことから反映させていると。

渡辺:

印刷屋任せだけど、良かったと思う。

石田:

やはり忠臣蔵の勉強をされたりとか?

渡辺:

大好きだったの。ちょうど田村屋敷の中にいたので、じいさん達が石碑を建ててるのに切腹最中に頭がいかないのは何故なのかと思います。親父も12月14日の近くに町会の餅つき大会もやってるんですよ。それでも忠臣蔵関連のものをつくろうとこれっぽっちも思わない。欲が無かったのかな。親父が亡くなってから思い出して、そういえばここは田村屋敷だぞって。ずっといるから当たり前になってて、そこに思い至らないのが不思議で。親父が亡くなってから忠臣蔵関連商品が沢山出た。

朝岡:

気がついたら凄い財産があったと。

渡辺:

それがわからなかった。どら焼きも陣太鼓どら焼きに名前変えちゃいましたしね。名前からやっていこうという精神で。