Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
←前のパート
次のパート→

株式会社 大川硝子工業所
決断 ~ターニングポイント~

ナレーション

「決断・ターニングポイント」会社にとっての転機経営者自身のターニングポイント。その裏側に隠された物語とは。

大川:

長い間製造業で(従事してきて)ちょっとずつこれからよくなっていこうという時に、公害問題があったりとかして操業を停止せざるを得なかったんですけれども。

単に公害問題ということではなくて、色々移転というのも国とか行政の指導で移転していたんですけれども、移転できなかった理由の一つとして、その当時僕も思い出せば歴史でそんなの聞いたかなと思うんですけど「持ち家制度」というのがあったんですね。

朝岡:

持ち家?

大川:

はい。従業員の方に家を持たせて、仕事と家庭をうまく両立できるようにというか、そういうのがあって家を持っている社員が多かったんですよね。

その中で移転となると、従業員の了解を得ないと、要は職人がいないと瓶は造れないので違う場所に行って(素人を)採用するってわけには行かないんです。技術がどうしてもね。従業員の了解を得ることもできずに、移転もできず操業停止せざるを得なかったというのが理由で、そこはなかなかつらい決断だったと思いますね。

朝岡:

工場があって、働いている職人さん達にお家を持ちなさいと、だからわりと工場に近い所にお家持ってて、移転するとなるとお家をどうしようかって言うことになっちゃって、結局移転が難しくなって、じゃあ操業停止だねっていう…それは会社にとってすごく大きなことでしたね。

大川:

あと当時、そっちのほうが主流になってきてしまっているんですけど、樹脂容器ペットボトルとか新しい包材がどんどんあったので、ガラス瓶がどんどん売れてるかというとそこもちょっと疑問に残るところではあったんですね。

世の中の流れから見ると操業停止も一つの選択だったのかなと思いますね。

朝岡:

確かにね、大きなポイントでしたね。

ナレーション

続いては大川硝子の5代目大川岳伸にとっての、ターニングポイント。現在37歳という若さで長寿企業の代表を務める男が、家業を継ぐまでの経緯、その決断の裏側に迫る。

大川:

僕は大学まで出させてもらってその後すぐ家の仕事に入ったわけではなくて、外で働いている期間があったんですね。若いんで、野望じゃないけど夢もあって飲食店で働いてみたいやってみたいなって言うのもあったんで、勢いで脱サラをして飲食店で2年間くらい調理場で働いている時期があったんです。

でもやりたいこととできることっていうのは違うってことにぶつかったりして、その中で僕は4人兄弟で僕以外全員女なんですね。姉2人に妹1人で。僕しか(家業を)継ぐ人が居なかったんです。

父も当初は長男なんだから継ぐのは当たり前という考えだったので会社に入ったんですけれども、自分の子供にはそういう思いをさせたくないというのがあって、「継ぎなさい」というのは一切言われなかったんですね。

だけど、考えていく中で他の仕事もうまくいかない、家は誰も継ぐ人が居ないとなると自分が継いでここで頑張るしかない、頑張ろうと言うふうに思いが変わって家の仕事に入ることになりました。

朝岡:

いざ大川硝子入ってそこからまた色々ご苦労もあったりしました?

大川:

入社当時は何十年もしている下町なので、上に家があって下に会社があったので、物心ついた時から硝子を扱っている会社という事はよくわかっていたんです。

ただ、どういう風に仕事が回っているかは幼いので全く理解できてなかったんです。入っても、会社がどのように運営されているのかがわからなくて見てるだけというところがあったんです。

入社して2~3年の間にメインの製造を委託していた工場が閉鎖してしまったりメインの取引先が倒産してしまったり、入社して数年がすごく激動の年だったんですね。入社して間もないので自分もどうすることもできなかったんですね。

当時社長、今は会長の自分の父が日々奔走している姿をただ見ているだけで自分は何もできなくて、自分はここで何をすべきなんだろうかとその2~3年の間は葛藤してましたね。

朝岡:

入社した途端に荒波に揉まれちゃってるわけですよ。溺れそうになっちゃったでしょ?

大川:

溺れそうになりましたね。大変な時期もあったんですけど、後継者問題が深刻な中、家業に入ったこともあり、お客さんも仕事を依頼したくてもいつ潰れるかわからない会社に依頼できないですよね。ですが、「どうやら大川さんのとこには跡継ぎがいるらしい」「とりあえず続くことは確かだから仕事を頼んでも大丈夫だ」という感じで、そういった依頼は増えてきたことは事実なんです。

その時に、同業各所に思われているのであればその期待にちゃんと答えなければいけないと、だんだん自覚が芽生えてきたところはあります。

石田:

最初から大川硝子さんではなくて前職の経験を積んでらっしゃったんですけれども、そこでの経験が活かされた出来事は何かありますか?

大川:

大学時代もそんなに勉強はできなかったんですけれども(笑)食品製造工学という理系の学部だったんですよ。食品と言っても所謂調理師とかではなくて、例えば瓶詰めの方法とか食品工場で働く人のために勉強する大学で学んでいたので割りと近いことを学んでいたんですね。

大学出てすぐの時は営業職で、ルートセールスではあったんですけれども、お客さんのところに行って値段の交渉とかしたり、また飲食店では料理をする仕事をしたり食べ物を扱ったりしていたので、会社に入って数年間はよくわからなかったんですけれども、だんだんこれまで勉強してきた知識が結構活かせるなと途中で気づいたんですよね。

自営業は「良くも悪くも好きなようにやっていい」というところがメリットなんじゃないかと、それで人様に迷惑をかけず仕事として成り立つのであればそれはどんどんやっていくべき何じゃないかということに気づき始めてから自分の過去の経験とかそういうのを活かして仕事に取り組めるようになりましたね。

朝岡:

結果的にはいいタイミングで入社していいタイミングでいま社長におなりになっているということがあるんじゃないですか。

大川:

楽して(社長に)ならなくてよかったと言うのは思いますね。色々自分で経験して疑問に思ったりとか壁にぶち当たったりとかがあった中で自分で解決策を見つけていく、そういう仕事の取り組み方みたいのがやっと家の仕事に入ってから学べたかなと思います。