株式会社 大川硝子工業所
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~
大川硝子さんの創業から現在に至るまでの経緯をお教えください。
大川:大川家のルーツは長野県にあります。初代大川清作が明治5年に長野で誕生して、18歳の時大志を抱いて上京したんです。鐘ヶ淵紡績(現在のカネボウ)に火夫見習いとして入社しました。
その後、硝子工場に入社し、硝子業に従事し始めます。その後、2代目となる大川清造も硝子業に従事し、親子で硝子業に取り組みました。大正5年に、現在のスカイツリーがある場所の目の前で、大川硝子工業所を創業しました。
大川硝子で受け継がれている社訓などはありますでしょうか。
大川:“熱心は事業の精神なり 常に笑顔で親切に 努力なくして発展無し”という言葉が創業当時ありました。これを見ると古くから続いている会社なんだなと実感しますね。
朝岡:事業形態はどのような形になっているのですか。
大川:もともと手で造るとこから始まり、徐々に機械化が進み生産量も増えてきて、規模も生産も拡大しました。
しかし、昭和50年頃、全国的に公害が社会問題のひとつでした。硝子を造る際、火や燃料を使い、煙や排ガスが出ることもあって、硝子工場も規制の対象のひとつになってしまいました。移転したり、設備を整える手段もありましたが、昭和54年に工場は閉鎖しているんですよね。
製造業から販売へ移り、社員さんの求められるスキルも変わってきたんですか。
大川:今までは、お客様から受ける仕事で賄ってきたが、今後は自社から発信する能力が問われると近年痛感しています。発信することができる基礎となる人材が確保できればと思います。
営業力もそうなんですけど、硝子瓶は見方によって色々な使い方が出来るんですよね。一個の使い方に限られない、柔軟な発想があればなと思います。しかし、アイデアだけでは商品として成り立たない時代なので、まとめるような、デザインする力、魅せる力が必要だと思います。
本日のゲストは株式会社大川硝子工業所代表取締役社長大川岳伸さんです。
朝岡:今おいくつなんですか。
大川:今37歳です。
朝岡:大川硝子さんはガラスを扱っているのですか。
大川:そうですね。硝子の瓶を扱っています。瓶と名のつくものは全て扱っています。
朝岡:最近は、カラフルな蓋のついた瓶も最近は多いんですか?
大川:実は最近というよりも、40年くらい前からこの色で展開しているんですよね。色合いもよく見ると昭和レトロな感じですよね。一時期廃れた時期もありましたが、時代が巡ってきて、今受け入れられています。
朝岡:家庭はもちろんですけど、お店などでも見ますよね。
大川:そうですね。こちらはハチミツ養蜂場のお客様向けに作られた商品もあります。ただ、使い勝手がいいので、一般向けにキッチンウエアとして販売されてもいます。
朝岡:蓋に穴が開いているものもありますが。
大川:去年くらいに瓶で飲み物を飲むのが流行り、ストローをさせるものも面白いかなと思い作ってみました。しかし、実際そんな売上が伸びなかったんです。
朝岡:瓶と蓋の穴で他に何かできないかと考えたとき、編み物する人って毛糸がコロコロ転がって不便だろうなって思ったんですよね。そこで編み物関係のお店に営業をかけて、編み物と瓶のコラボレーションも実現したんですよね。
改めて、大川硝子の強みは何ですか。
大川:私たちはもともと製造業から始まっています。60年くらい製造業をしていたので、卸から始めている他の会社さんと違い、製造のノウハウが豊富にあるのが強みですね。依頼があって、ただ予算はあまりないって時に、専門的な知識を活かしたより良い提案ができますね。