Story ~長寿企業の知恵~ 「 創業の精神 」
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永島医科器械 株式会社
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

ナレーション

今回のゲストは、
永島医療機器株式会社、5代目代表 平尾泰明。

初代永島廉平(ながしま れんぺい) 東京・日本橋で「いわしや永島器械店」を創業し、
耳鼻咽喉科・気管食道科の医療機器製造販売業を開始。

昭和16年には現在の社名である「永島医科器械株式会社」に改称。

終戦後の昭和21年には、現在の東京都文京区本郷にて本社業務を再開し、
その2年後、東京・本郷に第一工場と江戸川区にも平井工場を開設した。

その後、
昭和24年に、オージオメータを製造と販売を開始し、
翌年には国産初となる、耳鼻咽喉科診療ユニットの製造販売、
昭和33年には、手術用顕微鏡の国産初の製造販売を行った。

そして、
平成22年には世界初の機能を持つ内視鏡手術ナビゲーターの開発により
第5回モノづくり 連携大賞(中小企業部門賞)を受賞し、
また、経済産業省が毎年発表している
中小企業・小規模事業者に送られる「がんばる中小企業・小規模事業者300社」も受賞。

創業から受け継がれるお客様との信用・信頼を軸に、
最先端技術で、日本の医療界に貢献し続けている。

今回は、そんなの永島医科器械の
5代目代表 平尾泰朗の言葉から、
長寿企業の持つ知恵、物語に迫る。

平尾:

まぁ長い歴史の中で、相手が全部ドクターあるいは大学病院の教授なんですね。
で、当社は我が国で初めて耳鼻咽喉科の会社として107年前に創業したもんですからその間での先生の繋がりというものがパイプとなって信用を築いてきているということが当社の強みです。

これ病院独特の商慣習ではありますけど、なかなか先生方お付き合いし始めると、新規産業なかなかできにくい販路なわけですね。ですから当初は長年ずーっと築いてきた、最近になって近年2番目の競合他社が創業50年3番目の競合他社が創業20年っていうことでその3社がビック3になるんですけれども。その107年、50年、20年その差でもって私共は早めに着手してるもんですから、その間先生方との信頼関係も結ばれているということで、新規の者が売りに行ってもなかなか先生にも会ってもらえないという感じなんですね。
で、病院はご存知の通りドクターは就業時間中は会えませんので、昼の休憩時間とか就業後の終わった後にしか営業活動できないということなんで、まあほかの業者なんかも薬屋も含めて、有機メーカーがみんな廊下あたりで待って待機しているわけです。何時間も。
で、先生が出てきたちょっとの合間を狙って新しいのを売り込もうとするけれども、古いうちなんかは会ってくれるけれども新規の方はみんな会ってくれない。で、書類とか名刺とかカタログとかを事務局に預けといてくれだとかナースに渡しておいてくれだとか言ってなかなか会えないと。そういう特殊な関係がうちの強みがあるし。

医療現場の先生が普段使われてる、オペとかで使っていらっしゃる器具とかをそういったものを全部先生から改良・改善の情報をもらって、でそれをもとに共同開発して製品化して売り出す、ということを長年してきているもんですから、なかなかそういったものを崩せない先生も(いらっしゃる)。新規の方に頼みづらいということもあって。

人によって手の大きさ、体格的なもの骨格的なものが違いますので、同じもの(器具)でも先生によって、「短くしてくれ」「長くしてくれ」「軽くしてくれ」色々な要望がありますね。
で、同じようなものが海外からも入ってきますけれど、海外の者はやり・・・外国いわゆる外人のサイズですから、やっぱりそれを日本人向きに・・・最近の日本人も大きくなってきましたけれど、まだまだそんなものは使えないっていうとこがあるんで。そういった細かい微妙なものは、オプション的にオーダーメイドにしなきゃいけないというところですかね。


~機会を生み出す職人の技~
もうこれは供給者側と使用者側のなんですけど、いわゆる供給するのを作る方は刀職人のようなもので、いわゆるそういうオーダーメイドは本当に鍛冶屋みたいにして叩いて作って、手作りで。ある程度は最近機械で量産できるようにはなってますけど、そういうオーダーメイドのものは本当に刀職人の匠の世界に入ってるんですね。
そういう方がうちも下請けに2,30社ありますけど、そういった方々も最近高齢化している。そして次に世代に継ぐ人もいなくなってきている。これは医療業界全体的な問題になってきています。「こういう人たちがいなくなったら日本のそういう繊細な世界一と言われている医療機械のメスとかハサミ、ピンセット類がなくなるよ」と。政府はなんかバックアップしてそういうものを育成する制度なり、学校を作んなきゃいけないんじゃないかっていうのは4,50年前から言われているんだけど政府はなかなか中小企業、零細企業ですから、ほとんど5人10人の会社ですから、割とほったらかしで。

かたや世界的なIPSだのなんだーダヴィンチだとか世界的にアドバーの上げやすいものに、近代医療に力を入れているけれども、そういうローテクの中小企業はないがしろにされている。いずれこれは問題になってくると思いますね。我々はそれをどうしようかってことで、最後はドイツのように、あそこは制度があって大学行くとか職人になるとか、工業国ですから分かれてて。でその職人がちゃんと育成される学校があり、働く場所が表敬されている。
だからドイツも刃物で有名ですけど、ああ言ったちゃんと制度が、マイスター制度があればいいんですけれども、それも我々業界で提案しているんですけれども、マイスター制度もない。だから、だんだんこう・・・そういう匠の日本の誇る匠の技術がなくなっていくのではないかと思います。そういうことを本当に危惧してますね。

ナレーション

ここからはテーマに沿って長寿企業の持つ知恵、物語に迫る。
最初のテーマは、「創業の精神」。
創業者の想いを紐解き、家訓や理念に込められた想いに迫る。

平尾:

創業者の永島廉平、初代社長ですね。が、「人間皆福祉のために医界に貢献する」というようなことを言っております。これを社是としているわけなんですけれども、「医界」というのは医療業界のことなんですね。
「医療業界では儲けは二の次にして社会・福祉に貢献しろ」ということを言い残しております。それを掛け軸のようにして今でも会社に飾っています。

せっかくメーカーとして医療業界に創業したので、それを通じて医療福祉のために貢献しようと。そういったことをしていれば利益は自然についてくるもんだからって。こういう時代だからまずは利益ありきじゃなくって自然にそういうことをやっていく。特に医療業界っていうのは流行とかそういう商品を売っているわけではないんで、人間の健康とか生命を維持している企業なんで、そこから理念を走っているということなんですね。


~理念の浸透~
いつも何かに触れて、会合とか社内の会議とか必ずそれを掲げたようなテーマを必ず表紙につけてみたり。で、社内の回覧物もつけてみたりして、常にこう社員の目に触れるようにやってます。
で、最近思ったんですが、名刺の裏にもちょっと色を変えてつぎ込むのもいいかなって思って。ちょっとさっき車の中で思ったくらいで、それも一つのアイディアだなと思って(笑)なかなか社是を名刺に入れているところも少ないと思いますので。


~屋号「いわしや」の由来~
医療業界といわし、魚のイワシを売ってるんですけれども、おおよそ関係のないように思われます。で、初代社長の永島廉平もはじめは「いわしや長島商店」という名前で出発して後に永島医科機械という名前に社名変更してきておりますけれども。
イワシっていうのはもともと医学っていうのは日本の場合は昔は東洋医学いわゆる漢方だったんで。で、漢方医学で大陸から薬とか大阪の商業街・・・商業港ですか?大阪港に入って、それを帆船、当時「紀伊國屋文左衛門」っていうんですか?あの大型の帆船を持ったひとが江戸に運んで。で、江戸の街で売ってたと。そういうルートがあったわけですね。

でそのころだんだん漢方東洋医学から西洋医学に変わって、まあその西洋医学っていうのはオランダの出島の中に初めてオランダのシーボルトという方がついてきて、そこで蘭学を始めたっていうことから始まっているわけなんですけれども。
で、国内の人たち初めてその出島に行って今までタブーとなっていた人体を切り開いて、 内蔵を見たり骨を見たり・・・まだ漢方にはないですから。上から薬塗るとか飲むとかそういう医学しかなかった歴史の中に、ひとの人体を切り開くっていうのはびっくりしたわけですね。

で、そこから学んでたときに、開くメスとか刀とかやはり必要だということで。で、たまたま薬の大問屋が東京に運んでいたときに、ちょうど大阪の境港が今でも刃物関係が盛んな商業地なんですけれども、そこに匠の職人たちがいて、そういうものを作り出した。

で、これからはもう東洋医学は西洋医学に変わっていくんだということで、そういったものを作ってやはり売れるかどうかわかんないって、とにかくたくさん船に積み込んで江戸に向かったと。で、その時にイワシの大群が、イワシっていうのはこうたくさん、何万匹となって群れをなして表面をこう・・・泳いでますよね。それに当たったときに、太陽に当たったように閃いて、まるでそれが昇り龍のように虹のように光ったんで、「これは縁起がいい、きっとこの医療器械は、江戸に持ってったら売れるぞ!」っていうことで、事実本当に売れ始めたんで、縁起のいいイワシということで名前をつけて。

で、関西・京都・それから東京・・・大体6系統くらいその漢方薬から転身して、東洋医学から西洋医学へ移っていった商店がいわしや何とか、いわしや佐々木商店、いわしやなんとか・・・松本商店とか色々みんな付けて始まってるんですね。そのくらい今は全部医療器科に最近は名前変わってますけど、そんなとこからイワシ、縁起がいいってことで付けたんですね。まあそれを知らないって人たちはいわしやいわしやって本郷でも未だに全国に30社くらいイワシの名前をつけてる会社があります。メーカーではなくほとんどがディーラーです。それは。

で、未だにその看板付けてるんですけども。知らない人、イワシっていうのは、ある見方は、ちょうどメスかなんか店頭に並べてあるとピカピカ光って、長さがこーゆー長さなもんですから、いわゆるイワシをめざしを干してあるふうに見えるから、それでイワシって言うふうに見えるんだと言うように一般の人は誤解してたようですけど。それは俗説であって本音はそういうことだと言う事ですね。


〜企業ロゴに込められた想い〜
私どものロゴというか社章ですか?あのマークを見てわかりますけど、像なんですね。で、よく見たら像の顔の部分を昔は絵の描くパレットはこのくらいの形をしてましたね。ピカソの絵なんかに出てくる。あのパレットの上に像のマークを乗せたと言うイメージでできているんですね。
像はご存知の通り「哺乳類で鼻が長くて大きくて、耳が大きな」ということで耳鼻科と言うことの象徴になる、と言うことでしかも大きくて力持ち、だけど優しくておとなしくてインドなんかだと神様扱い、尊ばれてますけど、そんなイメージで非常にいいんじゃないかと思って、初代の社長がマークにした。って言うことになっております。現にあれがうちのマークになってから、街の耳鼻科の先生方でも、それをもじって象のマークを看板に何とか耳鼻科って言うのをつけているお医者さんも結構いますね。


〜行った改革〜
古い会社なだけに私が入ったとき非常に定年制がなかったんでしょうか。35年前に入りましたけれども、70歳80歳の人がいっぱい働いてるんですね。おじさんたちが。その人たちが電話をとっているような状態の会社だったんです。いつもドクターから怒られて。

普通会社にかけたら交換手の女性の若い声が聞こえるのに、おじさんでボケたような声が「何やってんだ」と随分と怒鳴られたことがありました。
私どもが入ってきて、「受付ぐらいは女性を置きましょうよ」と上の方に言ったくらいで、非常に改革もなくで。当時はうちの1社しかなかったですから。本当に殿様商売で「売ってやる」と日の丸親方で「売ってやるから買いに来い」って言う営業をしてたです。そんなことを2代目の長島二郎課長は感じて、私の入るきっかけになったわけなんですけれども、
とにかくこの古い体質、ぬるま湯の体質を改革してくれと、違った分野で働いした人に入ってもらって、「新風を巻き込んでくれ」と言うことで入ったんですね。
そういった状態の会社でしたから、何もなくて当時は皆さんお分かりかわかりませんけれども、コピーなんかはみんな青紙で液体の中を通すようなものだったり。それからタイプライターと、今みんなパソコンですけどその当時はみんな漢字タイプライター。ガッチャンガッチャンってこうやる・・・そういうもんだったんで、他の会社とかは逆に、電話は変える、コピーは入れるワープロは入れる。ありとあらゆることで近代化していきました。

で、もっと大きなことをやったんですけど、古い高齢の方がいっぱいいらっしゃるんで、「うちは大会社一流会社じゃないんだからそんな制度は要らないよ」と言うことで、みんなほとんど反勢力で潰されちゃうんですね、計画が。で、また1人で戦ってもなかなかどうしようもないので、あまり他部門の合理化はせずに当初はそういう周辺機器、インフラ職場環境を変えていくようなところから、だんだん改革していった。その後私の代になってからいろんな抵抗でできなかった事、一気に30年できなかったことを3年の間に全部やろうと思って今どんどんスピードアップして、ありとあらゆることをやっています。