Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
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株式会社 鍋屋商店
決断 ~ターニングポイント~

ナレーション

続いてのテーマは、決断〜ターニングポイント〜
会社の発展と共に訪れた過去の苦難。それらを乗り越えるべく、先代たちが下した決断に迫る。

敏夫:私が社長に就任する前、1年前でしたっけね、冷害で。お米が取れなかった。それで、米の単価も、1俵確か6万円まで上がって、スーパー、デパートにはほとんど国産米が高くて、並んでるのがタイ米と中国米。そう言う形で、国産米買うのはすごく高くて、外国産米の方が安いからって言うことで、お客様は買っていたような気はいたしますよね。

新規のお客は取らなく、既存の今まで買ったお客様に優先的に普通の価格よりちょっと上げた程度で買ってもらったってことですよね。それで、農家さんにも高く買って喜ばれて、反面、買ってもらったお客様にも安くっていうことで喜ばれましたね。

敏之:当時、ニュースだったり周りから、「お米がないよ!」っていう話は結構あったけど、うちにはお米っていうのが普通にあったから、逆にいうと実感はあまり全然商売やってなかったんで、なかったっていうのがあるなぁとは思ってますね。

敏夫::そうだね。うちはやっぱり小売さんよりもその時からやっぱり業務用店さんが多かったもので、そのためにお米は確保してあったもので、米は持ってましたよ。新規のお客様には売らなかったから、その後にも業務用店さんにも喜ばれて、ずーっと長続きする商売ができてますよね。

ナレーション

続いて、7代目代表 齋藤敏夫の、ターニングポイント。

敏夫:大口の倒産ですよね。それと、親しくしてた人が夜逃げしたことですよね。
それも、12月の本当に思いますよ、二十何日かの時に、お米を1台積んで行ったら、そのままトンズラで夜逃げして、それが本当に今でも印象に残ってますよ。
でも、それをしてたんじゃ、もう商売は大きくならないので、それはもう自分の失敗だと思って、二度と同じようなことを起こさないように、ということで商売をやってましたよね。

敏之:社長自身は幼少期から鍋屋商店を継ぐっていう覚悟はあったんですか?

敏夫:それは・・・私は兄弟4人のうちの次男坊なので、兄貴は千葉の学校に行って、もう米屋はやらないよっていうことで、じゃあもう私が継ぐしかないって思って、その時からもう、中学の時から思ってましたよね。

敏之:大変でしたか?

敏夫:それはね、やっぱりね、先代にね、よく面倒を見てもらって、よく教わったから、そのところは大丈夫だったですね。

敏之:先代とは喧嘩とかしたんですか?

敏夫:うーん・・・石橋を叩いて渡るような人だったから、細かかったですよね。だからもう、私とは結構ぶつかりましたよね。特に店を出そうって言うと、出しちゃダメだよ!とよく私言われて、相談はみんなおばあちゃんにしてましたよね。

敏之:私のターニングポイントは、鍋屋商店に入ったことだと思うんですけど、私が生まれたときから「将来継いでほしい」って思ってましたか?

敏夫:最初はそう思ってましたね。

敏之:社長っていうよりも、祖父母から結構、お前が後継だよ!お前が継ぐんだよ!っていう風に、ずっと常々言われてたっていうのは覚えてますね。

敏夫:それはよく言ってましたよね。後は必ず継いでよね!って話はね、してたよね!

敏之:小学校とかにたまにあだ名とかで「8代目」とかって言われるときがあったりとか、名前で呼ばれるよりも、「鍋屋」って呼ばれることが多かったっていうのがあるので、それが嫌なときもあったんですけど、その頃から、大きくなったら継ぐもんだなっていうのは、もうそれしか考えてなかったっていうのは実際そうかなっていうのはありますね。今考えたら、洗脳なのかもしれないけど(笑)


Q:専務入社時の印象は?
敏夫:従業員が年上なもんで、何もわからないから早く教えてやってってよく言い聞かせてました、従業員には。

敏之:もう早く仕事を覚えなきゃいけないなっていう思いでやってましたね。

敏夫:やっぱり話を聞いて、それに一緒に働いてるような気がして、これなら大丈夫だなという風にして思ってましたよね。

敏之:やっぱり周りにいた方が、長くやってもらってる方がいたので、本当に色々教えてもらいましたね。厳しく怒られたっていうよりは、本当に支えてくれたなっていうイメージが強いですね。