Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
←前のパート
次のパート→

株式会社 明電舎
決断 ~ターニングポイント~

ナレーション

続いてのテーマは「決断・ターニングポイント」
社長就任間もない稲村を襲った苦難とは、そして、それを乗り越えるために取った方法とは?その裏に隠された思いに迫る。

稲村:

私の一つ目のターニングポイントというのは、私は実は2008年の6月に社長に就任しました。その秋にですねリーマンショック起きまして、世の中全地球的に全世界的に景気が後退するというですね私どものもですね例外ではなくて、非常に不況の中に落ち込んだというのがですね、私の一つ目のターニングポイント。これをどうやって乗り越えるのかなって言う私の社長になってからの初めての仕事でしたね。

朝岡:

当時の一般的な風潮としてはリストラせにゃいかんだろうという話で、明電舎さんはどうだったんですか。

稲村:

私どもはですね、リーマンショックというのは会社の責任ではないと。ましてや、従業員の責任ではないという思いが非常に強かったんで、これをですねじっと乗り越えようと。そのためには、例えばリストラをやってですね会社を持ちこたえる云々言う方法もありますけれども、何の責任もない従業員がそのことによって職を失うというのは、従業員に優しい明電舎としましては許せないことだと。ですから非常に苦しい時期でしたけど苦しさ厳しさを社員が分かち合って、頑張っていこうと。リストラはやりませんでしたけど多少の賃金カットを協力いただいて、そして人には手を付けない、皆で頑張っていくんだよっていうことで乗り越えていこうと私は思ってですね。
企業は人がいなくなると存続できませんのでじっと我慢して、仕事がなければその間に開発なりシビアに値段を下げるactionをとってそして必ず戻ってくる世の中にその時にきちんとですねスピーディに立ち上がれる会社を作ろうということをですね、皆で頑張ろうねって言ってました。

朝岡:

それはね、創業者の重宗芳水さんが世の中の役に立つことをやりたいってはじめられた会社ですけど、いつも世の中の役に立つためにスタンバイしたいって思いにつながるような事があったんですか。

稲村:

私どもインフラを大きく関わっている会社でございますので、なおかつ120週年の間に世の中にあるいはお客さまに必要とされてきた会社だと私は自負しております。
そういう中で明電舎が要らなくなる時代と言うのは多分ないなと。ですから世の中不景気な時はじっと我慢をして、たぶん創業者の重宗芳水も色んな意味で苦労しながら売れなくて非常に困ったそういう時代も経験してきていますので我々は総業者の意思は活かしていきたいな、それでみんな頑張ろうよという感じでしたね。

朝岡:

創業者の精神を脈々とね。

石田:

ねー。受け継がれてますよねー。

ナレーション

創業者の意思を受け継ぎ、会社全体が一丸となり逆境に立ち向かっていた明電舎をさらなる困難が襲う。

石田:

他にもターニングポイントがお有りということで。

稲村:

ええ。その後やっとリーマンが立ち上がった来たなって思ってた時に来たのが「3.11大震災」ですね。
私どものインフラの世界で、水処理という仕事があるわけですね。これは下水を処理するですとか、場合によっては浄水の制御をするですとか色んな仕事があるんですけど、あの震災のときにですね、下水処理場というのはだいたい海の近くの端末にありますのでそこで汚水をきれいにして海に流すというそういう基条ですのでみんな津波でやられたんですね。津波でやられてしまいますと街の中が汚水の海になってしまうということで何が何でも下水処理場を一日でも早く一時間でも早く復旧をさせなければいけないという強い思いでですねその時従業員が動き始めました。

朝岡:

それは大きな災害時の時に人の役に立つそのあれが…

稲村:

それともう一つは長年そういう仕事をしておりますので例えば電気の復旧は早いぞというのは経験的にわかったわけです。浄水というのも比較的高いとこにあるわけですね。津波の影響を受けてない。これも電気が復旧してくればすぐに(浄水も)復旧してくるぞと。電気が復旧し浄水が復旧してきたら汚水の山、汚水の海なるぞと。何が何でもそれは避けなければいけないという従業員の強い使命感があって一部の人達は震災の次の日から現場に入ってました。
それで、何を作らなければいけない、完全に(下水処理場は)水没しちゃってるわけですからとりあえず動かすためには何がいるのかというのを(把握するのに)経験がかなり重要なポイントだったんですけれども、何から復旧すれば良いのかと。最終的には穴ほったりブルーシートひいたり水中ポンプを入れてですね、海へ流す仮の復旧をスピーディにやって、これは非常にお客さまに非常に感謝をされました。
ただ私共は使命感、津波でご家族が被害に合われている方も次の日から現場に入って復旧にあたってくれているという、これには私も涙が出る思いでした。

石田:

翌日というとそれこそまだ余震もまだ続いていだでしょうし、その危険な中いわば皆さん命がけで皆さんのために動かれたってことですよね。

稲村:

そうです。他にも同じ年にタイで大洪水があったわけですね。タイには現地に会社を持っていまして、明電舎の中で一番古い現地法人、昨年50週年を迎えましたけれども一番古い現地法人なわけですね。あの洪水に関しても私たち従業員はお客さまの危機の復旧の際のために本当に頑張ってくれて。うわさによると、ワニが泳いでるぞとか、コブラが泳いでるぞというとこにボートを出してお客様の設備の復旧に当たったという。
明電舎サイドから細かく指示をだすのではなくて現地の会社が段取りを取ってスケジュールを作ってそしてお客さまの復旧に当たったと。これは私共の製品だけじゃなくて全然他の会社の製品も水に浸かって止まっているというものに対しては全面的に復旧に協力して非常に後にお客さまに感謝頂きました。