Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
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株式会社 教文館
決断 ~ターニングポイント~

ナレーション

続いてのテーマは「決断 ターニングポイント」
会社の発展と共に訪れた過去の苦難、
それらを乗り越えるべく先代達が下した決断に迫る

渡部:

そうですね、歴史の中で一番大きかったのはやっぱり関東大震災っていうのがもたらしたものが一番大きかったと思いますね。
関東大震災の時にですね、銀座の地域は全部焼けちゃったんですね。私共の会社も前の建物ですけれども、全部焼けました。地震そのものでは建物は倒壊しなかったんですけれどもね。まあご存知のように、火事が起こって銀座の地域はほとんど焼けまして、それで持ってる在庫から商品まですべて焼いて焼失してしまったということがありました。

特に私共の会社はキリスト教を専門とする書店・出版社ということもありましたので、戦争中はアメリカと戦争したわけですから、キリスト教は‟敵性宗教“っていう言葉で呼ばれて、事業は難しかったと思いますね。
仕事自体は続けたようですけれども、実際には大っぴらに商売をやるってことは難しかったと思います。
もう一つ空襲がありました。東京は空襲があった。銀座はですね、1945年の1月27日とそれから3月ですか?大空襲ですね。その時2回空襲があったのですが、幸い私共の会社は焼けずに残ったんですね。
銀座の4丁目という場所を思い浮かべていただくと、和光さんというのが交差点にありますが、和光さんも焼けないで残ったんですね。私共のビルと和光さんのビルは残って、その間にあったお店はもうほとんどというか全部焼けてしまったと。ですからそういう大変な時期をくくり抜けたと思います。
戦後はですね、アメリカ軍が進駐してきてやっぱり一時期占領時代というのがあったんですね。その時キリスト教がブームになった時代があるんですね。そういう時はかえって私共の会社はかなり景気が良かったというか非常に良かった時代もあったようですね。
それが済んだあとは通常のっていうか(笑)今と同じような感じで推移してきたとは思うんですけれども。それが一番大きなターニングポイントですかね。

ナレーション

続いて、7代目 渡部 満のターニングポイント。

渡部:

そういう意味では私が社長になるつもりがなかったので、社長になったというのがこの会社においての大きな経験だったと思います。
私は実は小売ではなくて出版関係の仕事をして編集者として長くしてきたもんですから、あまり自分が経営に向いているとは思わなかったんですけれども、実は私の前の社長が脳梗塞で急に倒れまして、2年間ほどもう口もきけない・・・不随状態になって、どうしてもこれ以上続けられないというと時に、私が代わりに社長をやるように言われまして。
その前に専務とういう形になったんですけれども、代表権のある専務、になったんですが、私の時に葬儀を・・社長の葬儀を行って、社長に就任したということですね。それが個人的には大きなことだったと思いますね。
私は両親がそういうキリスト教の家庭に生まれたので、キリスト教については幼いころからそういう環境に育ちましたから、関心がある・・・というかそれが当たり前のような世界で育ったんですけれども、やっぱりそれは自覚的に青年期に自分の生き方を決めなきゃいけないときに、色んなことはありましたけど、個人的にその道を選んだということだと思います。

日本でもキリスト教の専門的な勉強をする学校に行って、その学校を卒業しましたが、私が扱っている編集者として扱っている書物自体が非常に専門的なものなので、もうちょっと勉強したいと思って。今の会社に入ってからですけれども、入ってちょうど10年・・・7,8年かな?10年近くたった時に、奨学金をもらってドイツの大学でキリスト教を学ぶ学部があるんですね。そういうところで1年間勉強はした経験があります。
日本の人はね、比較的無宗教と考えている人が多いんですよね。でもこれは世界的にはまれなほうなんで(笑)実は。もちろん今の社会って宗教が存在していても、あえて宗教から離れる人っていうのは増えていて、そういうのは世俗化っていう言葉でいうんですけどね。ですから世俗化している社会で必ず社会生活の中に宗教が顔出す場面は少ないと思うんですね。新聞をみてもほとんど記事が出てこない。
しかし、だれでも宗教的な“問い”は持っていると思うんですね。「なんで自分が生きているのか」「なんで人間は死ぬのか」「なんで自分は生まれてきたのか」って。やっぱりそういう問いに答えるのが宗教だと思うんですけれども。
既成の宗教を選ぶ・選ばないは別にしても無関係な人はいないと思うんですね。ただそれが、特定の宗教を選ぶって形になるかならないかっていうのがその人の人生の経験の中での出会いで選ぶ人もいるし、選ばないままそのままいってしまう人もいるし、決断して、そういう特定の宗教に自分がコミットするということはあると思うんですけれども、それはなかなか理由を説明することは難しいですよね。

多くの人が考えるのは人間の最も基本的なその上層面と言いますか、心の持ち方っていうか。それから筋の通ったものの考え方をするとかそういう面ではそういう人間の内面の形作るというのが宗教は非常に力があると皆さんが思っておられると思うんですね。そういうことを期待して、そういう学校におられる方は多いんじゃないでしょうかね。まあもちろんそういう面はあると思いますね。

今実は公立の学校では“道徳教育”っていうのをやろうということになって、「公教育」一般の学校でも始まりますよね?で結局そういうところで問題になるのは「人間の生き方」なんですよ。だから皆さん宗教は関係ないって思っておられるけど、実は同じ問いを問われるんですね。ですから答えをどうこたえるのかって言うのは、だれでも問われていることなんで。ですからそれは日本の公教育から欠けているから政府もやろうという考えになってきたと思うんですよね。
例えば戦前だと、“教育勅語”って言うのがあって、あれはいわゆる儒教ですよね。基本はね。儒教は宗教か?っていう問題はありますけれども。かなりモラルっていうか倫理的な教えですよね。倫理と宗教って関係があるんで。だけど同じ問いは避けて通れないじゃないでしょうかね、やっぱりね誰でも。