Story ~長寿企業の知恵~ 「 貢献 」
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片倉工業 株式会社
貢献 ~地域、業界との絆~

ナレーション

地域や業界との絆
長寿企業にとってかかせないもの…それは…地域との関わり
片倉工業が行っている社会貢献、地域との取り組みとは?

石田:

現在地域での貢献活動など、何か取り組んでらっしゃることはございますか。

佐野:

一つは埼玉県のさいたま市にあります、さいたま新都心駅前にございます、コクーンシティでございます。さいたま市とは、旧大宮市なんですけども、製糸工場に進出してから100年余りの乾繭がございます。地域の歴史とともに、工場が歩んできた土地でございますので、現在は商業施設の「コクーンシティ」という名前を付けておりますけれども、このコクーンシティを通じて地域に貢献して、さらに環境への取り組みをしています。
「SEGE2016都市のオアシス」という商業施設として認定もされておりますし、今後もさらに地元との関係を深くしていきたいと思っております。

朝岡:

コクーンていうのは、片倉工業あるいは佐野さんとも大変深い関わりがあると伺ったんですけれども、そのあたり、ちょっと説明してもらえますか。

佐野:

片倉工業の創業でございます、製糸工場ですね、製糸の繭という意味です、「コクーン」というのは。それから取って、コクーンと命名しました。現在それが拡大して、一大商業エリアのコクーンシティとして成長したと。このエリアは製糸工場の跡地でございますが、そのあとにホームセンターですとかゴルフ練習場ですとか遊園地ですとか、前の形のショッピングセンター、そういう施設になって、30年くらいたった後に今の形に変化させてったわけです。
私も一番最初は、街づくりに参加したかったですね。片倉工業が工場も閉鎖して広大な土地が空きますので、またその土地を活用してその地域地域にあった、時代に合った求められる施設にしていきたいという思いがあったんですけれど。私がそういう事業につけたのは入社して30年後だったというわけですねえ。でもそういうところに就けたところが大変その時には、やっと自分が片倉工業で実現できる仕事に就けたと思ったときはいろいろそれまで思い描いていた沢山のことをですね、実現しようという思いで仕事に取り組みましたね。

朝岡:

繭から出てね、いろいろこう蚕になってみたいな。変化のね、シンボルですよ、コクーンは。

佐野:

地域とも親しく、ずっと持ちつ持たれつで来れているというのは、地元のお祭り氷川神社のお祭りに町内神輿を寄進しています。そのおみこしが町内を、片倉を中心にして盛り上げていこうという気持ちを町内の方々にも思っていただいておりますし、私も前のコクーンシティのできる前の施設、大宮片倉パークの支配人をさせてもらったときから、それまで大宮の駅まで神輿が行っていたわけですね。ですがせっかくさいたま新都心の駅ができてコクーンができたんだから、このエリア内でお神輿を担ごうよ。町会の会長さんですとかお神輿の会を説得して理解してもらってお願いをして。今はコクーンから出発して、さいたま新都心の駅周辺を登用しているということで大変思い出深いことですね。

朝岡:

そういうことですか。

石田:

他にも地域との交流はございますか。

佐野:

群馬県の富岡市ですね。これはユネスコの世界遺産に登録されておりますのでいろいろな情報で伝えさせてもらっていると思いますが1939年から2005年まで66年間保有をしておりました。民間としては最後のオーナーで務めたわけですけれども富岡市に寄贈するまでの最後の18年間は建物の保全管理をしてきました。
現在も2010年以降富岡市に(片倉工業の)株主優待の一つとして富岡製糸場への寄付というのを選択できるようになっております。株主さんが優待の中のチョイスしたものの中に、富岡市への寄付を選んだ方々の資金は私どもがお預かりして富岡市に毎年寄付させていただいております。それは私どもからではなく株主様から富岡市へ、という風にしております。

朝岡:

そうですか。やっぱり世界遺産の時にまた一気に脚光を浴びましたけれどもこれはもともと片倉工業が工場としてお使いになっていたというところってのはね。

佐野:

実際に使っていたものがそのまま残されているっていうのが大事なところで。

朝岡:

そうですよね。

佐野:

明治政府から、ずっと工場に携わった先人たちのどれだけ努力されたかという。私たちにしてみれば、畏怖の念があるから大事に私ども保存して世界遺産に結びづけたというわけですね。