カンロ 株式会社
決断 ~ターニングポイント~
会社やご自身にとってのターニングポイント、転機はありますか?
三須:私が以前勤務していた三菱商事で、2004年に食品流通の部長への異動という辞令がくだりました。
もちろん部長になるということで、それそのものは嬉しかったですけども、私の経歴というのはずっと乳製品の原料の輸入というのを20年以上やっておりましたので、当然その分野での道をずっと続けると思っていたものですから、急に流通の分野に変わって大変ショックをうけたといいますか、実は自分がやりたい仕事ではなかったというのがあります。
それが今考えると大きな転機だったのかなと思います。
突然言い渡された辞令。そのとき三須和泰は何を思い、どのような決断をくだしたのか。
私がその頃慕っていた取引先の、明治健康ハムの社長をされていた東野さんという方にグチを聞いてもらうということで飲みに誘って頂きまして。
その時に「三須さん、与えられた道が最良の道という言葉があるよ」と言われました。その時に東野さんからその言葉を書いた書まで頂まして。
それをきっかけに新しいところでもう一回頑張ってみようと感じまして。ちょうど管理職一年目になるところでしたので。自分の座右の銘にして、常に仕事が変わるきっかけがある時には「与えられた道が最良の道」という言葉を思い出しながら仕事を続けてきたということです。
そしてこんな歴史あるカンロの社長になると言われたときは相当なプレッシャーを感じられたのではないでしょうか?
三須:そうですね。結果として食品流通の部長をやったことがカンロの社長に繋がっていくことということになりますので。ある意味2004年の転機の時からカンロの社長というのは決められていたのかもしれないなと思ったんですけども。
カンロという会社は三菱商事の食品流通の中の菓子においては核になる会社でしたので、そこの社長ということで身の引き締まる思いというか、かなりプレッシャーは感じました。
三菱商事にいらっしゃって、老舗のカンロの社長になるというのは、カンロの生え抜きの方が社長になるのとはちょっと意味合いが違いますよね。歴史あるカンロの社長に外部からおなりになるということに関して思われたことはありますか?
三須:2代、3代前の社長の中原さんという方がいらっしゃるんですが、三菱商事で部長をしていたときに、三菱商事側からお付き合いをさせて頂いてた社長が中原さん。
私が中原さんによく言われていたのは「三菱商事から社長を出してもらうつもりはない。サポートはしてもらう。専務クラス、常務クラスは出してほしい」ということを言われていましたので、私が社長という辞令が三菱商事の中から出たときに、中原さんのことがすぐ頭に浮かんで、中原さんに電話しました。
「そういう辞令がくだっています」と。中原さんは「三須さんならしょうがないね」と言ってもらえて。それで一息ついたというか、ホッとしたというのはあります。
実際に社長に就任なさって、会社に行くと、一緒にお仕事をなさる管理職、幹部、社員の方がいらっしゃる。そことのお付き合いはスムーズでしたか?
三須:幸いなことに2004年に食品流通の部長をやった時からカンロというところとお付き合いをはじめていたので、我が社の幹部クラスの社員のことはほとんど知っていたので、わりと気心しれて仕事に入れたかなと。
朝岡:やっぱり流通のところに行かれた時のターニングポイントが活きて、カンロに行かれた時もスムーズだったということになるんですね。
三須:「与えられた道が最良の道」だったんだなと思います。
2つ目のテーマは「決断」〜ターニングポイント〜。百年の時を越えて食品菓子の製造をおこなってきたカンロ株式会社にとっての転機とは。