Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
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ホットマン 株式会社
決断 ~ターニングポイント~

ナレーション

続いてのテーマは…「決断 ターニングポイント」
過去に襲った危機、それらを乗り越えるべく、先代達が取った決断とは。
そこに隠された思いに迫る。

坂本:

やはり、戦争だと思いますね。戦争が始まってですね、まぁ織機、その織物というのはひとつの平和的な産業ですので、そこから軍需産業を強化していく中で、織機の教室、あの織る機械ですね、これ鉄製ですので、これを出して、それをスクラップしてそこから武器を作ったりということが必要だということでですね、全ての機械を出さなければいけないということになりました。

さらに工場自体もですね、特に東京都青梅の場合はですね、200坪以上敷地をもっている工場から優先的にそれが始まったんですけれども、で、その工場も軍需産業に貸さなければいけないというような状況になりまして、一時的にですね、言ってみれば廃業に追い込まれるようなそういった時期が数年ありました。
これがやはり一番大きなポイントになるんではないかと思いますね。

朝岡:

まぁその実質的に工場がなくなったり、商売ができないって形に。

坂本:

はい。

朝岡:

で、戦後はそのやっぱり着の身着のままだから、皆さんね、そんなにいっぱい織物が売れるかっていうとそういう時代も来なかったし、まぁその危機の時代をどのように乗り越えて、また繋げていらっしゃったんですか?

坂本:

創業者、創業者以前から、青梅の織物を広めていきたいと言うことで、色んな役職に就いた家系でしたので、例えば、織物組合の理事長とかですね、そういったものを立ち上げたりもした人でしたので、やっぱり青梅を盛り上げていきたいともう一度その繊維産業を復興させていきたいという想いが非常に強かったんですね。
そこからやはり、戦争が終わってこれからまた新たに生きてく道を探す中で、やはりこの繊維産業をもう一度復興させたいというところから取り組んでいくわけですけど、先程仰って頂いたように、機械もひとつもないですから、まず、その整備されなかった会社、古くから付き合いのある会社をまわってですね、なんとか4台の機械を借りる事が出来まして、ただその織る機械だけでは生産は出来ないので、その他のものも借りに行ってですね、休電日と言って、電気が流れない日が当時はあったんですけど、その日だけ貸してもらって、電気で動く機械を手動でまわして準備をしたりですね、そういったこともしながら、なんとか進んでいったというような形ですね。

朝岡:

ご苦労多かったですね。

石田:

そのご苦労が、何て言うんでしょう、教訓になったりするんでしょうか?

坂本:

そうですね。やはりその想いという覚悟というところですね。
どの道を進んでいくにしても、覚悟を持って取り組めば必ず再開できるという想いが非常に強かったですね。

ナレーション

続いて、7代目坂本将之のターニングポイント。

朝岡:

坂本さんはまだね、40ですか?若いですけども、ご自身のこれまでのターニングポイントっていうとどんなことがありますか?

坂本:

そうですね、やはり一番大きなターニングポイントというと、社長に就任と言いますか、これでしょうね。

朝岡:

いつだったんですか就任。

坂本:

昭和…昭和じゃないです、すみません。38歳の時ですね。

朝岡:

じゃあ、2年前

坂本:

2年程前ですね。

朝岡:

38歳で社長やれ!って言われたら、なかなかねぇ!

石田:

ねー!

坂本:

そうですね。

石田:

その他にも、上司だったりは、もちろん上の目上の方々がたくさんいらっしゃった中で、ですよね?

朝岡:

これだけの企業で!どういうタイミングというかあれで言われたんですか?社長やれって

坂本:

そうですね、最初に言われたのが(就任する)3ヶ月前くらいだと思いますね。前社長に食事に誘われて、突然そういったことを打診されたというところですね。

石田:

青天の霹靂というか

坂本:

そうですね、ほんとに、もう何を言ってるんだろうというところですよね最初は(笑)全くそういうつもりもなかったですし、ほんとにどうすればいいのかよくわからないというところでしたね。

朝岡:

あれでどういう理由で、君に任せる。というかそういうことを言われた理由というのは?

坂本:

そうですね。我々歴史も長くてですね、正直、景気が、日本の景気が伸びていく時にどんどん成長した時代もありましたんで、そういった意味では、伸び盛りの時期もあったんですね。その頃は、良いものを作っていれば売れるということで、もう我々ほんとに良いものを作ることに特化してやってきたんですね。
ただ、もう物も情報も溢れる時代になってきてですね、良いものだけ作っていても、だんだん知ってる人が色んな物が出て来ますんで、薄らいでくるということで、数年前からですね、知って頂こうと。知って頂かないと存在していないのと一緒だとということを言い出して、会社のプロモーション活動ということも始めるようになったんですね。
それを始めたのが前社長であったり、というところで、会社の方向性のところがしっかり定めたまま知って頂く活動もやっていくと。で、その方向にやはり最初社員もですね、今までのように粛々と良いものを作っていればということで、なかなかこう定まった動きが出来なかったのが、しっかりと方向性が見えたと。
で、その後、今度やっていくのは、やはり商品がわかる人間。歴史がわかる人間が想いをしっかり伝えていかなければならないと。
前社長はどちらかというと財部畑の方の方でしたので、商品がしっかりわかって、歴史を伝えられて、かつ、伸び盛りの頃の、成長した時の、成功体験を持っていない若い者がやっていかなければならないという風に言われまして、私を(就任を)受けたというところですね。

石田m:

坂本社長は世襲ではなくて、普通に新卒でホットマンさんに入社されて、ということですよね、どういった経緯で入社されたんですか?

坂本:

私はですね、元々出身は岡山県なんですね。一番元になるのは、ジーパンが好きだった、というところから始まるんですけど、高校時代にジーンズが大好きでして、そこから繊維の勉強をしたい、と。で、大学を選ぶときに、信州大学という、日本の今、国公立大学では唯一、繊維学部という学部があるところを選びまして、信州にいきました。

そこから就職するにあたってですね、やはり繊維の道に進みたいという想いの中で、例えばものづくりをしているだけの会社、販売だけをしている会社だと、どうしても、そこで終わってしまうような、学生なんで、よく分からない中でそういった想いがあったんですね。
で、「両方やってる会社ってないんですか?」って、当時の教授なんかに聞くとですね、「無い」、と。基本的にはですね。で、じゃあ無いのかと思っていたところに、「あ、一社だけあるよ」、と。
当時、30年前から自分たちで作って自分たちで販売している会社がある、ということで紹介されたのが、このホットマン、梅花紡織だったんですね。

石田:

そして入社されて、どういった部署にいらっしゃったんですか?

坂本:

最初はですね、タオルをまさに織る、織物を織る部署ですね。そこから染める、色をつける部署に異動して、で、また織る方に戻ってですね、そこから工場全体を見る工場長とか、そういったところの、本当に物づくり畑を歴任してきました。

朝岡:

いろんな会社への入り方があって、ものが好きな人と、それからその、それが出来る仕組みが好きだとか色々あると思うんだけど、坂本さんの場合は、もともとそのジーンズが好きでね、それが好きでそっからまた大学もまあ繊維を勉強になって、そして作るのと売るのと両方にまた興味がおありになって、なんかこのホットマンに入るべくして入ってきたみたいなところがね、ちょっとあるんだよな、伺ってるとな。
社長になるとずいぶん立場も違いますけど、気持ちの部分、環境の部分で変わるところがあると思いますが、以前と比べて、相変わらずタオル、織物はお好きでしょうけど、自分のまわり、あるいは自分の中で変わった部分ってありますか?社長になって。

坂本:

そうですね、やはり物づくりが好きで、現場が好きで、どうしてもそこに偏ったものの見方をしていたのが、やはり全体を見るようになりますし、当然数字の責任も出てきますし、そういった意味では、大きく変わりましたね。
ただ目指すべきところとして、我々の経営の理念であるんですけど、お客様の心豊かな生活に貢献する、というところに、製造で何が出来るか、物流で何が出来るか、販売で何が出来るか、そういう広い目で見るようにはなりましたね。

朝岡:

会社って、社長1人で幹部が居るわけではなくて、まわりにたくさん重役と呼ばれる方がいらっしゃいますよね?たぶん、坂本さんより年上の方が多いと思うんですよね。
そういうときに、社長だから一応方向性とか決断なさいますが、やっぱりまわりが、「まあちょっとまちなさい」と、そういうこともままあるんじゃないかと、私も昔サラリーマンやってましたけど。
そう思うんですがそのあたりはどうなんですか正直?

坂本:

そうですね、私の場合は中小企業ですので、そういった派閥とかも無いですし、やはりその方向性に向かってという意味では、年関係無く尊重してくれますし、我々の会社の行動指針として置いているんですけど、自ら考え、自ら行動する、というのを置いてます。
ですので、まあ機関車タイプのようにですね、私が1人動力で全部を連れて行くというタイプではなくて、全員動力を積んでくれと。ただ、方向性は示していく、と。
みんなの力でみんなで考えながら進んでいこうという方針でやってますんで、そういった意味では軋轢等々は起きていないと、私は思っています。

朝岡:

なるほど。そう思わないとね、社長がぐらついているとちょっとね。

石田:

本当に物腰柔らかくていらっしゃるんですけど、日頃から社員の皆さんと接するうえで心がけていらっしゃることはございますか?

坂本:

そうですね、やはり常に前向きでいることと、やはり笑顔というのは意識していますね。
やはり私が仏頂面でやっているのも、ひとつ危機感を感じて良いのかもしれないですけど、やはり我々最終のお客様にまで接する会社ですので、常に自分たちが明るい気持ちでいないと、お客様にそれは伝わらないですし、そういった意味では笑顔を心がけているというのと、あと、前向きに同じ時間を過ごすのであればと、やはり前向きに新しいことを模索できるような、精神性、気分でいるというのは重要ですね。常に社員と接するときもそういった形で接しています。