Story ~長寿企業の知恵~ 「 創業の精神 」
次のパート→

株式会社 平凡社
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

ナレーション

今回のゲストは株式会社平凡社 6代目下中美都。
1914年創業、日本の知識の礎として創創業の書である「や・此れは便利だ!」をきっかけに人文社会・美術・歴史・自然科学…と様々な単行本、そして事典を手がけてきた「平凡社」。

そんな中でも、社の象徴とも言える、「世界大百科事典」と「国民百科」の刊行は、のちに「百科事典の平凡社」と呼ばれ、現在では冊子の百科事典を刊行する日本唯一の会社へと押し上げるきっかけとなった。

――名前は平凡でも作るものは非凡――

その言葉通り、過去の蓄積にもとづき、現代を映し出す、温故知新の編集力そして、役立つ教養、わかるよろこび、を伝え続ける責務、その集大成で、この国の文化を「美しい本の形」に残し続けている。
今回は、取締役社長・下中の言葉から、平凡社が紡ぐ「歴史」や「伝統」に隠された物語、そして「長寿の知恵」の真髄へと迫る!

石田:

本日のゲストは、株式会社平凡社 代表取締役社長 下中美都さんです。
よろしくお願い致します。

一同:

よろしくお願い致します。

朝岡:

この番組に女性の社長がいらっしゃったのは、下中さんが初めてなんでございますが、平凡社でも女性の社長っていうのは初めてですか?

下中:

はい、初めてです。

朝岡:

あー、そうですかー。まぁ、色々ね、本をお出しになっているのは、重々知っておりますけども、やっぱり事業としては、出版ということになりますよね?

下中:

はい。

朝岡:

平凡社といえば、やっぱり百科事典というイメージがとてもあるんですけども、、、

下中:

ありがとうございます。

朝岡:

やっぱり、百科事典をそもそも扱うようになったというか、出版するきっかけって何かあったんですか?

下中:

創業者が下中弥三郎と言いまして、私の祖父にあたるんですけど、弥三郎の悲願というか念願というか、それで勉強して、百科事典がなければ、多分出会ってなければ、今、平凡社もないだろうといことがありまして。
小学校3年しか出てないものですから、家が貧しくて、ですから、百科事典を隣のお医者さんにもらって。それで家は、焼き物を焼く、丹波篠山の立杭の里の焼き物を焼く家なんですけど、お医者さんから貰った百科事典を窯の火で勉強して、それで、これさえあれば学校へ行かなくても勉強できると思って、田舎から出て来て東京で出版社を興したという話なんです。

朝岡:

偉人伝にあるじゃないですか。そういう少年の頃のそういう何か苦労なさったっていう、そのまんまかなって

下中:

日本昔話みないな(笑)

朝岡:

そうそうそう。

下中:

すごく恥ずかしいんですけども

朝岡:

何かとても印象深いお話ですよね。

石田:

その百科事典ですけれども、下中社長は、その百科事典の魅力はどういったところにあるとお考えですか?

下中:

「あ」から順にアトランダムに並んでるじゃないですか。
例えば、「カモノハシ」で引くと、次が「賀茂真淵」だったりして、なんか全然違う世界に入っちゃうっていうか。寄り道感っていうかワクワクする。
つい隣を読んじゃって、可愛い絵があると、次々読んじゃって、あれ?私は何を調べたのかしたら?っていう、そういう何か直ぐ役に立つわけじゃないんですけども、一つの項目を読むとその成り立ちがわかるように百科事典って編集されてるんですね。
所謂、スマホで調べてっていうことよりも、もうちょっと深く、調べたかったことの背景と知識の体系になってるというか、「あ」から「ん」まで一応選んで、何を選ぶべきか、何が大事か、そしてこれは何と繋がるのか、つまり、物事の繋がりがわかるっていうことが、おもしろがる力がつくようなそんな書物だとは思うんですけれども。

朝岡:

なんか遊園地に居るようなものですよね。ここ新しいなって思って横見るとメリーゴーランドがあって、でも、メリーゴーランドと違うこっちの乗り物と、全然違うけど両方おもしろくて、なんか色々グルグル回ってるうちにドンドン広がっていくみたいな。

下中:

そうそう、そうです!どっから来たかわからなくなるけど、まぁ、それはそれでね。

石田:

そして、今こちらにですね、平凡社さんの書籍をご用意頂きました。こちらには、クラゲの図鑑なんか!

下中:

ははは(笑)クラゲの図鑑て、ちょっと見て頂いて、宇宙船みたいでしょ、これプランクトンから全部入ってるんですね。クラゲの一種に入るんですね。プランクトンってクラゲの扱いになっていて、宇宙みたいな写真じゃないですか?

朝岡:

ほんとにこれ、宇宙の星を見ているような!

下中:

ミクロとマクロを行き来するような気分になるような不思議な。
これ全部日本のクラゲが全て入ってるんですね。これを編纂するのに、10年かかってるんですよ!10年かけてやりなさいって言ったわけじゃなくて、1〜2年で出来ますって、じゃあ始めてって言ったら10年かかったていう(笑)
もう全部そんななっちゃうんで、なかなかそのこんな大きくするつもりなかったんですけども。

朝岡:

でも、これ見たら、決して「あ、クラゲ、そう。」って感じにはならないですね。
見たら、ページ開いたら「えぇぇ!!」ってなって、次また見て「おぉぉ!!」ってなって、また次開くじゃないですか。で、気がついたら30分1時間すぐ経っちゃうみたいなね。
こういうのが正に、百科事典的な楽しみ、知の世界なんですけど、平凡社というと、私なんかは「別冊太陽」などもね、大変好きで。

下中:

(「別冊太陽」のシリーズの中の本である「草間彌生」の本ですが)今、大人気の草間彌生さんて、グッズ買うのに50分待ちとかですよ。今ちょうど展覧会やってる。

朝岡:

こういうやつですね。これもまた、草間さんが表紙だから余計に印象深いんですけど、でも、このもともと「太陽」って雑誌がね、ありましてね、それでこの別冊の世界なんで、またちょっと違った。

下中:

これ、ムックの「太陽」で、今言って頂いた「月刊太陽」っていうが1963年に創刊されて、このムックの「太陽」は1973年に創刊されて

朝岡:

これもね、読み始めたら好きなあれが止まらないんですよね。

下中:

あと、1冊を深めるっていう。入門だけれども、深いところまで読者を連れていけたらいいなって思って一つ一つ編集をしています。

朝岡:

今はね、逆にコンピューターがあまりにネットとかも発展しちゃったもんですから、書籍としての百科事典っていうその意味が、もう一回問い直されてるような時代ではないかとも思うんですが。

下中:

デジタル化は90年からやっています。
今はやっぱり、百科事典ってこんなですから、住宅事情でかつては百科事典を応接間に並べるっていうのが、インテリアみたいに「一家庭一百科」っていう宣伝文句でとっても売れた時代あったんですけど、今はもちろんデジタルの方が便利です。
ですから、今は、百科事典は、今一番使いやすいのは、ジャパンナレッジっていう日本のすごく優れたレファランスていうか辞典類を集めているサイトがあって、そこに搭載しているので、だから、百科事典と日本国語辞典を一緒に調べられるとか、だから、デジタル化はして使って頂くようにはなっています。
まぁ、紙の百科は紙の百科で、やっぱり図書館では必ず置いていただいて、ということはあるんですけど、だから、今ほんとに多様化してるんですね、書籍の形態が。紙もあれば、電子もあるし、それに向く形態を探してるっていう、その丁度過渡期の時代ではないかと思います。
それで、百科はやっぱりデジタルが向くので、いち早くやってきたとことはあります。

石田:

そして平凡社さんは、もちろん百科事典だけでなくて、写真集だったり、そして新書も出していらっしゃいますよね。

下中:

百科事典は創業者が一番最初に作った本ですけど、世界美術全集であるとか、社会化辞典であるとか、書道全集であるとか、百科事典も児童百科であるとか絵本百科事典であるとか、それから百科以外では、東洋文庫っていうあまり知られてないんですけど、1963年に創刊されたアジアの個展叢書ということで、知る人ぞ知るシリーズがまだ今も続いていたりとか、さっき言って頂いた「太陽」があったり、それから、平凡社新書。こういうのもあります。
あの所謂、色んな知識、知のベースに色んな出版物が生まれてきているということがあって、何に特化しているということはないんですけど、調べて基準になる、知の基準になるものを作りたいということはあります。一貫して。

朝岡:

なるほど。

ナレーション

ここからは各テーマをもとに6代目下中美都の言葉から平凡社がもつ長寿企業の知恵に迫る。
最初のテーマは「創業の精神」
創業者の想いを紐解き現在に至るまでの経緯、百科事典そして数々の書籍誕生の裏に隠された物語に迫る。

下中:

今年103年になるんですけども、最初の1冊が「や・此は便利だ」という、いわば現代用語の基礎知識のようなものなんですけど。まぁ、これは弥三郎が書いた、著者なんですね。

朝岡:

創業者が。

下中:

ええ。1930年に百科事典初めて作るんですけども、百科事典を1回作ると情報をドンドン新しくしていかないといけませんね。
だから、改訂版、改訂版を作っていくんですけど、つまり百科を作ると、最初の百科は1000人の著者と仕事をしましたから、つまり理科の先生、所謂国語の先生、色々会うわけですよね、その方々とご縁ができて、その方々とまた本を作ったりとか多様なものが、百科事典を出版してると多様な著者とご縁ができて、たくさんの本が出来るということがあって、そういう百科を作りながら、その中から文系・理系と色んな本ができていったということがあります。

一つは、さっき言って頂いた「太陽」という。ビジュアルで、つまり写真で文化が分かるというこの流れがあって、相当たくさんの写真集を出したり、写真て一つの軸だったんですけど、写真年鑑があったり、「太陽」がありますから、ですからビジュアルの百科事典と言ってみれば、っていうことがあります。
そのまぁ100年の歴史なので、つづめて言えば、そこでその時代時代に合わせた色々な本が出て来てるわけですが、今はもう親書であるとかそういう小さな本もたくさん出しています。
でもまぁ一貫しているのは、さっき申しあげた、物事のそもそもが分かる、今何故こうなのかが分かる、そういう本を作っています。

朝岡:

ベースは百科事典で、そこからビジュアルなものもあって、そっから時代に沿って色んなものが今至ってるということですよね。
でもこの平凡社という名前は、考えてみるとね、とてもね、良い名前なのは勿論なんですけども、付けた時によく平凡社っていう名前をお考えになったなと思ったんですけど、これはどういうあれなんですか?平凡社の名前の由来は?

下中:

平凡社のホームページを見て頂くと、「世界一平凡な名前の出版社」って言ってみんなに笑われてるんですけど、平凡って、創業者の下中弥三郎がわりと大風呂敷な人で、もうおっきなことが好きで、色々社名は何にしよう何にしようって悩んでるところに、奥さんの祖母にあたる下中みどりが、「あたな、そんな大風呂敷なことばっかり言って、平凡が一番よ、平凡はどう?」って「あぁそうか。じゃあ、平凡にしようか」っていう流れがあるんです。
で、その心は、弥三郎は高尚なことはやだ。高尚で何か独りよがりなそういうのはやだと。また、その俗に流れるのもやだと。あんまりその一過性の、今興味のあるそういうのじゃなくて、所謂、平凡って付けたっていうことが一つの平凡社のその後を作っていて、平凡って、スタンダードってことだと思うんですね、スタンダードってとても大事で、スタンダードがないと世の中が色々になってる時に、じゃあこれはどうなってるかっていうそういう意味もあるんじゃないかなって今は思っています。それは、その辺を私は汲んで、本を作っています。

石田:

弥三郎さんから美都さんに至るまで、全て一族で経営されてきた?

下中:

そうなんです。弥三郎は1914年に会社を興しましたけれども、で、その創業者は40年やりました。
で、7人子供がいたんですけど、2代目は私の父で、下中邦彦という、下中邦彦が30年やりました。そして、その後に…

朝岡:

三代目が?

下中:

えぇ(笑)叔父の下中直也が2年やりまして、兄が10年。で、従兄弟の下中直人が15年。そして、私が3年。
こうやって話してると、100年企業って言うけれども、おじいちゃんから一家総出で襷を繋いでるという、そういうところの100年企業なんですね。誰も下中以外、誰もやっていないという。

石田:

そして、美都さんが就任された時にですね、平凡社さんのシンボルマークも一新されたそうですね。

下中:

元は、マークはあったことはあったんですね、ごく初期に。
で、弥三郎は壮大な世界とか世界平和を志している人ですから、地球をまん丸くして、まん丸い地球を2つに割って、そこちょっと繋いで、Hマークのそういうマークを作っていたんですけど、ちょっと抽象的ですよね。分かり難いというか。
私は出来れば、今、大変変化の激しい時代で、これから何十年もものすごくガラガラ変わっていくその時代に、出版を続けていくのに、何かとても一番大事なのは、やわらかい発想だと思っているんですね。やわらかい、シンプルで、そう平凡でね(笑)シンプルでやわらかい、だけど何か新しくて何か明るい未来が感じられるようなという。それでこのマークを。(マークを出す)

朝岡:

これが新しい方。マークですね。こちらがね。本が重なってるんですね。

下中:

食パンみたいだって言う人がいるんですけど(笑)一応、これ本なんです。本が3冊。

朝岡:

あーなるほどね。

石田:

上に本が2冊乗ってる形ですね。

下中:

そうなんです。

朝岡:

これがあれですか。美都さんが社長におなりになった時に、新しく決められたマークで。
その他に何かお作りになったり、変えたりしたものってあるんですか?

下中:

まずそのマークを作るにあたって、佐藤卓さんというデザイナーにさっき言った、頭がやわらかくて明るい未来というイメージのデザインをしてくれるのは誰かなと考えて、佐藤さんにお願いしました。
佐藤さん、平凡社でも仕事してますので、まぁその仕事の為に平凡社に来て頂いて、その本が、もうそれこそ本がこんなに積み上がって崩れかけている社内を見て、いちいち感動してくださって、「あぁ、こういう現場で百科事典が出来ているんですね。」こんなに、私は汚いだけだと思ったんですけども(笑)とにかくもう積み上がってるそれを見て、このイメージを作ってくれたんです。
で、その、せっかくだから、このこういう(トートバッグ見せる)

朝岡:

あ、トートバッグ。

下中:

トートバッグも作りました、100周年で。こういうもの作りたかったんですね。
で、出来ればその、平凡社って百科事典だっていうこうやって言ってくださる方はだんだん少なくなってきて、百科事典って何ですか?って人がいるんですね。テレビのバックに並んでるあれだよ!って言うわけにもいかなくて(笑)
それで、だから、その、つまり私達が目指している知の標準のようなことが、マークで分かるって、ビジュアルってとっても大事ですよね。ビジュアルマークで。しかもこれって、そんなに気難しそうじゃないでしょ。っていうものを作って、つまり私達が、作ってきたものが外から見える形で、創業の精神が、中の人もそれから外の人も分かるような形にするっていうのが、私が100周年で志したことなんです。

石田:

美都社長が、初の女性社長ということで継がれたんですけど、女性ならではのご苦労もあったのではないでしょうか?

下中:

出版業界って、本当に男性社会なんですね、それで、ただ、本を作る人は女性が多いんです。根気強くやるので、コツコツやるので、積み重ねて。わぁー!とかやらないで、本当に薄皮1枚ずつあれしていく(はがしていく)様な仕事なので、割と女性に向くんですね。
で、編集の現場は、女性が多いんですけども、経営者とかそれから営業の世界です、営業ってつまり本を売ってくれる人たちですね。あの人たちは本当に男性ばっかりなんですよ。
で、私は社長に就任する3年前に営業の現場に入って、そういう業界の集まりなんかに出たりしても、400人くらいの会合で、男性が泊まりがけの会合でね、男性が、お膳を前に青い丹前姿で、だぁーっと並んでるんですね。もう遠くの方は霞んで見えないくらい男性がいるっていうそういう世界。
そういうとこに飛び込んで、クラクラしましたけど、でもこれは考え直せば、女性が少ないから顔を覚えて貰えるのよ!

朝岡:

あぁー、なるほどなるほど。

下中:

あの、逆にあちらは覚えてくれるんです。でも私は、おじさまはほんとに同じに見えることがあって(笑)こんなこと言ったら失礼なんですけど、やっぱりいっぺんに10人くらい会うと、名前覚えられないですよね。だから、名刺が3枚出てきたりしてあぁ悪かったな「初めまして」って言って、「こないだ会いました!」とか言われて、そういうことあるんですけど、だから逆に覚えて貰えるっていうメリットがあるっていうふうに思っています。

朝岡:

でもね、良い方に考えればね、開けてくるってことですよね。
それにしても、下中さんは、そのまぁ、おじいさまが創業者でいらっしゃるし、代々下中のご家族というのが平凡社をやっていらっしゃったわけですけど、この業界に入るのはもうちっちゃい頃から、こういう出版業界にいくのは当たり前っていう雰囲気だったんですか?それとも、何か具体的にあって、で、何かこう出版の世界を志されたってことなんですか?

下中:

えっとですね、さっき、下中家一族で襷を渡したという(話をしましたが)私の一つ上の兄がおりまして、兄は10年やったんですけど、下中弘といいまして。彼は、百科事典を「あ」から「ん」まで読んだ人なんですよ。つまり百科事典を読んだ歩く百科事典になっていて、で、本が好きで、自分の部屋を天井まで本にしていたと。私は何でも、お兄さんに聞けば何でも教えてもらえるというんで全然勉強しない子で、だから、兄がやるだろう!というのがありましたから、私が継ぐというのは思ってもいなかったんです。
ですから、とはいえ本が好きで、料理が好きだったんで、あの…お恥ずかしいんですけど、くまのプーさんとか好きで、くまのプーさんの料理の本を出している文化出版局っていうところに入ったんです、最初に。
で、そこはファッションの殿堂で、ファッション雑誌「ミセス(MRS)」とか「high fashion」とかそういうことをやりました。で、そこで17年も居たんですけども、その間にもうあらゆるデザイナー、色んな人たちのインタビューをして、インタビューして原稿を書くというのを膨大にやったんで、その点あの、なんていうか、対面の力はついたというか、人に会うのがすごい好きになったというそういうことはありますね。
そうこうしてたら、兄が平凡社に助けてくれないかというんで行ったということなんですけど。で、入ってすぐ、もうちょっとしたら、兄が従兄弟に渡したというそんな流れで、で、従兄弟が15年経ったら、もうそろそろ美都さんがやりなさいって急にまわってきて驚いた。そんな流れです。

石田:

そうですかー

ナレーション

続いては平凡社に代々受け継がれし家訓や理念、そこに隠された想いに迫る。

下中:

出版ってつまり言葉を遺す仕事なので、家訓ってわざわざ書くこともないんですね。
でも、家訓って言い方はされてませんけど、一番の、下中弥三郎がこの会社の一番のベースとなるとう言葉で遺しているのは、「出版は教育である」という言葉です。彼自身が窯の火で勉強して、ていう。それから、誰もが勉強する学習権ていうんですけどね、誰もが学ぶ権利があるっていう、それこそマララさんが「1本のペンが、1冊の本が世界を変える」って言ったじゃないですか、あれに似たような流れがあったと思います。ですが、家訓ていう形では、特には遺っていません。

朝岡:

でも、百科事典読むとなんとなくそうだなっていうことがいっぱい。それがね、受け継がれていくというか、自分で考え…

下中:

まぁ、自分の頭で考えろってことですね。

朝岡:

そうですか。企業の場合はよく社員に、企業の理念といいますか、考え方をいかに浸透させるかというのが大事なテーマだったりするんですが、平凡社はそういう特別なことはあるんですか?

下中:

一応、社史を編纂しておりまして、社史はそのどういう考えでこういう本を作ってきたかっていうのが分かる様に編集してあります。
で、まず「六十年史」っていうのがあったんですね、これが尾崎秀樹(おざき ほつき)さんて人が書いたおもしろい社史なんですよ。で、私はそれがあるお陰で、歴史を、社の歴史を勉強できました。

で、それをベースにありまして、さっきの2代目の下中邦彦という私の父、この人は第2創業者だと思っているんですけれども、彼が亡くなった時に、私はもう平凡社に居ましたから、「下中邦彦」っていう薄い本を作ったんです。ここに歴史、それから彼が何を考えてこういう「太陽」を作ったのかとか全部入っていて、これを自分で編集して社員に配るということをしました。

あともう一つは、100年を迎えるにあたって、スーパーOBを3人、スーパーOBに声掛けて、「百年史」を編集するのにっていうんで私も入って4人で「百年史」、これを編纂しました。
だから、平凡社を知る百科事典みたいな、またさっきのクラゲじゃないけど、またこんなに大きくなっちゃってどうするんだっていうことで、これは社員に100年の時に配りました。あの、ですから、その他はまぁ、私が昨年から毎月朝礼で、平凡社はこういう本が出たけど、どういう意図で作られているか。
それから、今の時代、この変化の激しい中でこうすべきだとか。心がけることは、なるべく言葉にして話すようにしています。それから、社員に片っ端から声掛けてお昼誘って、「ねぇ、あなた今何考えているの?」とか「どういう本作りたいの?」とか、2周しましたかしらね、順々に全部。スケジュールに入れて。
で、サシで話すとやっぱりみんな面白いこと言うんですよ。「この子こんなこと考えてたんだ」とか、それから「あなたがこないだ作ったこの本はこのように面白かったけれども、これはこの後どういう、この著者で他にアイディアあるのか」とか、そういう実際にどういう本を作るかっていう話にまで繋げてやり取りをしています。

朝岡:

やっぱり活字とね、直接コミュニケーションとね、そういう形で。

下中:

やっぱりね、サシでやらないとね、これが人数が増えるともうだめなの。サシが良いんです。対面しか方法はないです。今ね、電話とかね、なかなか人に会わないっていう仕事が増えてますけど、やっぱり対面が一番大事ですね。
で、私はインタビューを山ほどやった前の会社の多少の経験が活きて、インタビュアーとしては今でもすごくそういう人に話を聞くのが好きなんですよ。