本日のゲストは、株式会社ダイヤモンド社代表取締役社長石田哲哉さんです。よろしくお願い致します。
ようこそ。ダイヤモンド社というと経済の雑誌、あるいは本というイメージがとても強いんですが、改めて事業の内容をお教え頂けますか?
はい。経済、ビジネスに関わる雑誌の刊行、それと経済、ビジネスから少し広げた自己啓発ですとか、ライフスタイル系の書籍の刊行。その二つを軸として、広告ビジネスや人材教育のビジネスのような法人に対するサポートサポートみたいなものも事業としておこなっております。
こちらにはダイヤモンド社さんの書籍が並んでおりますが、社長からご説明頂けますか?
一番メインになるのが週刊ダイヤモンド。これはもう創刊から100年経っています。ビジネス誌書店売上ナンバーワンという私達の主力商品になります。それからダイヤモンドZAiというマネー誌があります。これはマネー誌のシェアではナンバーワンになります。それと、ダイヤモンドハーバードビジネスという、アメリカのダイヤモンドビジネスレビューと提携して、もう40年くらい関係があるんですけど、経営雑誌ではナンバーワンといわれている雑誌を刊行しています。加えて書籍が、先ほど申し上げたような様々なタイプがあるんですけども、主立ったものでいうと、もしドラで有名な「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーのマネジメントを呼んだら」、それから「嫌われる勇気」、「ロスジェネの逆襲」、「マネジメント・エッセンシャル版」これはドラッカーの著作ですね、等々100万部以上突破しているミリオンセラーがこのあたりなんですけど。こういった書籍を中心に事業を展開しています。
そうですか。大きい本屋さんにいくと雑誌売り場があって、いろんな雑誌があるけど、この赤帯の週刊ダイヤモンドはすぐ目につくよね。
目に飛び込んできますよね。
ダイヤモンドという名前は宝石のダイヤモンドと関係があるんですか?
創業時に「小さくても光る」という、この会社は創業者が本当に小さなベンチャーで始めたんですが、小さくとも経済界にしっかり足跡を残したいという意味でダイヤモンドという名前がついています。もう一つ、私達の会社の社章が、菱形が4つなんです。これはそろばんの玉なんですけど、それは数字で全部を語れという意味でそろばんの玉を社章にし、会社の由来になっているんですけど、そろばんの玉を横から見るとダイヤモンドの形に見えるので、それもかけているんだと思います。
あと、経済関係じゃないけど、旅の時に持っていく「地球の歩き方」、私も大好きですけど、あれもダイヤモンド社?
ダイヤモンド社が発売していますが、編集は別の子会社でやっています。ですがあれも私達のブランドを大きくアピールしている、長いこと旅行関係の本ではナンバーワンブランドを築かせて頂いてます。
そして「嫌われる勇気」はまさに今ドラマ化されてオンエアされていますよね。
ミリオンセラーになった後もずっと売れ続けていて、かつ韓国でも人気を博してしている書籍になっています。韓国語に翻訳されて向こうでは日本以上の売れ行きを示している状況です。
でも100年をこえると言いますけど、今でこそダイヤモンドってこういう雑誌とか本を出してるなって思うけど、創業当時の週刊ダイヤモンドというのはどういうものを扱ってたのかなという興味があります。
これが週刊ダイヤモンドの創刊号のレプリカなんですけど、この通りのものです。
確かにそろばんがデザインされてる。
ドンモヤイダじゃなくて右からダイヤモンド。
後ろには三越呉服店さんが入り、こちらには三井、三菱の広告を入れさせて頂いてる。
1913年ね。
当初からビジネスを成り立たせながらジャーナリズムの活動をしていこうというのが創業者の意志で、わりと表紙に最初から広告を入れていたというのは目立っていたみたいですね。
内容的には経済関連の。これ見ると論文集みたいな雰囲気がある。字しか無いもん。
当時まだビジュアルは全然対応できてなかったんだと思います。
だけど基本的な内容は創刊時から同じ経済ものという形ですか?
そうです。とはいえ当初は経済界の出来事の全てを、数字をもって語らせるんだと。数字をベースに全てを語れというのが創業者の理念としてありましたので、数字をもって企業の分析をすると。噂だとか出来事だけを追っかけていくのではなくて、裏付けとなる数字を全て説明するという、分析することが主体でありました。かつ当時の読者は銀行、株主、公社債の持ち主、それと商店経営社なので、すごくセグメントされたといいますか、絞られた読者だったですし、大正2年の創業なので、まだ資本主義経済の揺籃期といいますか、その頃に船出をした小さな出版社。経済界に少しでも足跡を残そうという野望といいますか、そういう想いで、31歳だったと思います。石山賢吉31歳の時に創刊した雑誌ですね。
今は当然専門家が読む本じゃ成り立たないし。
そうですね。100年の中でも色んなターニングポイントがありまして、大きいのは不況があったり戦争があったり色々あるんですけど、内容的なことで言いますと、高度成長期に向かう中で、1960年代、読者が変わってくると。つまりビジネスマンが凄く増えてくる時に、ダイヤモンド社の中でもどういう読者にどういう内容を提案していくべきなのかと。今まで通りでいいのかという議論がかなりあったようなんですね。従来は投資家向けが多かったんですけども、ビジネスマンにとって役立つ企業の情報を増やしていこうだとか、高度成長期になって、海外の動向をレポートしていこうとかということに少しずつ幅を広げていったことがあります。今は1990年代にもう一度大きなモデルチェンジをしまして、ビジネスマンのあらゆる関心に資する雑誌にしていこうということで。もちろん経済、経営、産業はメインに置くんですけど、少しライフスタイル系の、自己啓発的なテーマを追っかけたり。あるいは教育だとか健康だとか、そういうテーマに幅を広げて今日に至っているという状況ですね。
やっぱり時代とともに扱う内容と読者層をきちっと整理しながら、大きく変わるときは変わってきたということですよね。
こちらの週刊ダイヤモンドは地政学と書いてありますけども、このテーマが毎号違う中で、テーマによって売上は?
大きく変わりますね。私が入社したのは30年くらい前になるんですけども、当時は月曜になると週刊ダイヤモンドを買おう、この曜日になったらこの週刊誌を買おうという習慣があったと思うんですね。今は号によって買う方が全部変わっているという状況であります。ですから特集のテーマを設定するのは編集長の非常に大きな仕事でもあるし、最も神経をすり減らせる作業かなと思います。
さじ加減ひとつで随分変わってくるんでしょうね。
とはいえ、ビジネス誌、経済誌という性格上、売れるものだけを追っかけるというわけにもいかなくて。ビジネスパーソンにとって必要なことが今何なのかということを各記者は業界担当を持って各業界に張り付いて取材をしていますので、その中から今このテーマを扱わなきゃいけないというものについては、売れ行きのことは気になりながらも、これは今やらなきゃいけないというものを出していく、そのバランス。一冊の中でもニュース、レポート、特集というバランスもありますし、年間通しておよそ49冊出す中でも、どうしてもこの時期にやらなければいけないこと、今起きていることをレポートしなきゃいけない部分と、ある程度部数を取りにいかないといけない部分とのバランスを考えながらやっていますね。
ビジネスという大きなくくりがあるから、あまりそこから違うとこ行っちゃうと、本が売れたって何のための本なんだかよくわかんなくなっちゃいますもんね。
おっしゃる通りで。私達の読者は誰なんだろう、創業以来読者ターゲットを模索しながら。これは書籍もビジネスも同じなんですけど。読者は誰なんだろう、彼らは何を欲してるんだろうということを想像しながら。ただ、読者の興味が広がるにあわせてその幅はとらなきゃいけないんですけど、そのコアなところを見失うと、雑誌の方向感を見失うので、そこは非常に大事なところかなと思います。
「創業の精神」ということで、ダイヤモンド社さんの創業の経緯を教えて頂けますか?
大正2年、1913年に、当時31歳だった石山賢吉が仲間の支援を得ながら、お金も何の設備も無かったんですよね、経済雑誌ダイヤモンド社という会社を設立して、ダイヤモンドという雑誌を刊行しました。当時の資料を見ますと、創業の辞として、「本誌の主義は算盤の二字を以て尽きます。本誌は是とするも非とするも、全て算盤により、算盤を離れて何も無い。」つまり数字で全てを実証していく記事を本質とするという雑誌の創刊でした。
家訓や理念というところも気になるんですけど。
同時に「小さくても光る」というのが経営理念として当時掲げられておりまして。会社自体は今で言えば小さなベンチャーだったわけですけども、そんな中で大きな会社を相手にしていく。当時の大企業に対して果敢に取材を申し込み、数字で分析することによって、しっかり論陣をはっていく。つまり影響力を持っていきたい。小さくても経済社会の中でしっかりとした影響力を持っていきたいというのが当時の理念なんですね。
数字で全てを説明する、新しいことに挑戦していこうということで始まったダイヤモンドですけど、今の社員とか現場の方にもその考え方は浸透されているというか、引き継がれていると考えて宜しいわけですよね?
創業者の石山賢吉は非常にベンチャースピリットに富んでいて、新しいことをどんどんやっていく。その新しいことの基盤となるのは、ひとつは読者と向き合う。自分が見つめてる読者と向き合って、彼らが何を欲してるのか考えながらものをつくっていく。もうひとつはものづくりに徹底的にこだわる。いいものをつくりたい。そういう精神があったと思います。それは100年の歴史を振り返ってみると、読者に向き合った結果、読者が求めているものが変わってくれば、コンテンツの中身を変える。それから商売が上手であることにこしたことはないんですが、まずものづくりを大切にしていこうと。商売と両立しながら良いものをつくっていこうと。そういう理念は現在に引き継がれていると思いますし、引き継がれていると信じたいですね。なので、今現在の私たちの経営理念は「独自のコンテンツを提供することによって経済社会に貢献する」というシンプルな経営理念が隠れているんですけど。それは創業の理念から100年の歴史を経る中で、今私達が大事にしているのは、コンテンツの価値であり、それを経済社会の発展に役立てていく使命感であると考えています。
「地政学」とかね、私の卒業校ですけど「三田会」みたいな、一見するとおおって思うようなタイトルとかテーマの選び方も創業の精神の一端と見ていいわけですよね。
そうですね。特集テーマの選び方は非常に難しいと思うんですけど、今何を伝えなきゃいけないかという部分と、それをどう伝えなきゃというところには凄く気を配っていると思いますし、その事を創業の精神ではないですけど、事実をもって語らせると。何か根拠のない論陣をはるというものはそんなには世の中に無いと思いますけど。取材活動は非常に丁寧に、かつ労力をもってやってますね。
最近はいわゆる自己啓発本を多く発行されてますが、発行されるということは世の中が求めているということなんですか?
もともとダイヤモンド社の書籍はかなりラインナップが幅広いんですね。古くはピーター・ドラッカーやマイケル・ポーター、ジョン・ケネス・ガルブレイスのような経営学、経済学の古典があり、さらに最近では最先端の理論がある。一方で自己啓発書は実務書、経済小説。最近では健康ですとか、ファッションなどの女性実用などにも広げています。その中で自己啓発書が増えている理由は、やはりマーケットがそういう風に変化してきているからだと認識しています。例えば私が会社に入った頃はビジネス書というと比較的年代が40代以上の人達が読むものと言われていました。当時まだ高度成長期が終わって、実力主義等々、企業の中で言われていましたけど、とはいえまだ年功序列的なものが凄く残っていたと思うんですね。ですので管理職になる年齢が大体40をこえたくらい。その40をこえた人たちに対して経営書をつくるというのが当時のひとつの作法だったと思うんですけど。今それがどんどん変わってきていて、若い人達が自分のキャリアとか能力を高めることにもの凄く意識が高くなっている。なので本を読む、あるいはビジネス書的な本を読む人達がかなりマーケットが若い方に移動してきているということですかね。その人達が読むビジネス書というのはちょっと昔のスタイルと違っていて、今でいう自己啓発書、最近でいえば私達の中でいえば「やりぬく力」とかですね。ドラッカーにしても昔の理論書ではなくて、それをわかりやすく伝える「もしドラ」みたいな、若い人達に向けたビジネス書がおそらく自己啓発本という範疇なのかなと思いますけど。マーケットが変化していることかなと。
そのパッケージの作り方がダイヤモンド社はうまいなって気がしますね。
ありがとうございます。ここは編集者、営業サイド、宣伝部がタッグを組んでつくってますね。つまり読者が今何を求めていて、どう動いているかということを、データを集め情報交換し、書店を歩き、書店さんの意見を聞きということで。タイトル、装丁、あるいは本文のデザインに至るまで、いかに伝えていくか。あるいはどんなテーマが望まれているかを社内で非常にフランクに話し合っていますね。
SNSで人の興味を見たりとか、そういうこともされるんですか?
マーケティングを担当しているマネージャー達は、もちろん書店さんの感触も非常に大事にしてますけど、同時にヤフーやgoogleのリアルタイム検索ですとか、SNSで何が反応しているかということをかなり幅広く分析していますし、量的にもデータを集めて、その後のアクションが早いですね。自分の会社のことを褒めるのは気が引けますが、手前味噌ですけど、アクションがすごい早い。データを見ながら次の仕掛けをしていく。それは編集者に対するフィードバックもそうですし、宣伝や営業活動に対するフィードバックも非常に迅速におこなっていると。
本日のゲストは、株式会社ダイヤモンド社代表取締役社長石田哲哉さんです。よろしくお願い致します。
朝岡:ようこそ。ダイヤモンド社というと経済の雑誌、あるいは本というイメージがとても強いんですが、改めて事業の内容をお教え頂けますか?
石田:はい。経済、ビジネスに関わる雑誌の刊行、それと経済、ビジネスから少し広げた自己啓発ですとか、ライフスタイル系の書籍の刊行。その二つを軸として、広告ビジネスや人材教育のビジネスのような法人に対するサポートサポートみたいなものも事業としておこなっております。
石田:こちらにはダイヤモンド社さんの書籍が並んでおりますが、社長からご説明頂けますか?
石田:一番メインになるのが週刊ダイヤモンド。これはもう創刊から100年経っています。ビジネス誌書店売上ナンバーワンという私達の主力商品になります。
朝岡:それからダイヤモンドZAiというマネー誌があります。これはマネー誌のシェアではナンバーワンになります。
それと、ダイヤモンドハーバードビジネスという、アメリカのダイヤモンドビジネスレビューと提携して、もう40年くらい関係があるんですけど、経営雑誌ではナンバーワンといわれている雑誌を刊行しています。
加えて書籍が、先ほど申し上げたような様々なタイプがあるんですけども、主立ったものでいうと、もしドラで有名な「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーのマネジメントを呼んだら」、それから「嫌われる勇気」、「ロスジェネの逆襲」、「マネジメント・エッセンシャル版」これはドラッカーの著作ですね、等々100万部以上突破しているミリオンセラーがこのあたりなんですけど。こういった書籍を中心に事業を展開しています。
そうですか。大きい本屋さんにいくと雑誌売り場があって、いろんな雑誌があるけど、この赤帯の週刊ダイヤモンドはすぐ目につくよね。
石田:目に飛び込んできますよね。
朝岡:ダイヤモンドという名前は宝石のダイヤモンドと関係があるんですか?
石田:創業時に「小さくても光る」という、この会社は創業者が本当に小さなベンチャーで始めたんですが、小さくとも経済界にしっかり足跡を残したいという意味でダイヤモンドという名前がついています。
朝岡:もう一つ、私達の会社の社章が、菱形が4つなんです。これはそろばんの玉なんですけど、それは数字で全部を語れという意味でそろばんの玉を社章にし、会社の由来になっているんですけど、そろばんの玉を横から見るとダイヤモンドの形に見えるので、それもかけているんだと思います。
あと、経済関係じゃないけど、旅の時に持っていく「地球の歩き方」、私も大好きですけど、あれもダイヤモンド社?
石田:ダイヤモンド社が発売していますが、編集は別の子会社でやっています。ですがあれも私達のブランドを大きくアピールしている、長いこと旅行関係の本ではナンバーワンブランドを築かせて頂いてます。
石田:そして「嫌われる勇気」はまさに今ドラマ化されてオンエアされていますよね。
石田:ミリオンセラーになった後もずっと売れ続けていて、かつ韓国でも人気を博してしている書籍になっています。韓国語に翻訳されて向こうでは日本以上の売れ行きを示している状況です。
朝岡:でも100年をこえると言いますけど、今でこそダイヤモンドってこういう雑誌とか本を出してるなって思うけど、創業当時の週刊ダイヤモンドというのはどういうものを扱ってたのかなという興味があります。
石田:これが週刊ダイヤモンドの創刊号のレプリカなんですけど、この通りのものです。
朝岡:確かにそろばんがデザインされてる。
石田:ドンモヤイダじゃなくて右からダイヤモンド。
石田:後ろには三越呉服店さんが入り、こちらには三井、三菱の広告を入れさせて頂いてる。
朝岡:1913年ね。
石田:当初からビジネスを成り立たせながらジャーナリズムの活動をしていこうというのが創業者の意志で、わりと表紙に最初から広告を入れていたというのは目立っていたみたいですね。
朝岡:内容的には経済関連の。これ見ると論文集みたいな雰囲気がある。字しか無いもん。
石田:当時まだビジュアルは全然対応できてなかったんだと思います。
朝岡:だけど基本的な内容は創刊時から同じ経済ものという形ですか?
石田:そうです。とはいえ当初は経済界の出来事の全てを、数字をもって語らせるんだと。数字をベースに全てを語れというのが創業者の理念としてありましたので、数字をもって企業の分析をすると。噂だとか出来事だけを追っかけていくのではなくて、裏付けとなる数字を全て説明するという、分析することが主体でありました。
朝岡:かつ当時の読者は銀行、株主、公社債の持ち主、それと商店経営社なので、すごくセグメントされたといいますか、絞られた読者だったですし、大正2年の創業なので、まだ資本主義経済の揺籃期といいますか、その頃に船出をした小さな出版社。経済界に少しでも足跡を残そうという野望といいますか、そういう想いで、31歳だったと思います。石山賢吉31歳の時に創刊した雑誌ですね。
今は当然専門家が読む本じゃ成り立たないし。
石田:そうですね。100年の中でも色んなターニングポイントがありまして、大きいのは不況があったり戦争があったり色々あるんですけど、内容的なことで言いますと、高度成長期に向かう中で、1960年代、読者が変わってくると。つまりビジネスマンが凄く増えてくる時に、ダイヤモンド社の中でもどういう読者にどういう内容を提案していくべきなのかと。今まで通りでいいのかという議論がかなりあったようなんですね。
朝岡:従来は投資家向けが多かったんですけども、ビジネスマンにとって役立つ企業の情報を増やしていこうだとか、高度成長期になって、海外の動向をレポートしていこうとかということに少しずつ幅を広げていったことがあります。
今は1990年代にもう一度大きなモデルチェンジをしまして、ビジネスマンのあらゆる関心に資する雑誌にしていこうということで。もちろん経済、経営、産業はメインに置くんですけど、少しライフスタイル系の、自己啓発的なテーマを追っかけたり。あるいは教育だとか健康だとか、そういうテーマに幅を広げて今日に至っているという状況ですね。
やっぱり時代とともに扱う内容と読者層をきちっと整理しながら、大きく変わるときは変わってきたということですよね。
石田:こちらの週刊ダイヤモンドは地政学と書いてありますけども、このテーマが毎号違う中で、テーマによって売上は?
石田:大きく変わりますね。私が入社したのは30年くらい前になるんですけども、当時は月曜になると週刊ダイヤモンドを買おう、この曜日になったらこの週刊誌を買おうという習慣があったと思うんですね。今は号によって買う方が全部変わっているという状況であります。ですから特集のテーマを設定するのは編集長の非常に大きな仕事でもあるし、最も神経をすり減らせる作業かなと思います。
朝岡:さじ加減ひとつで随分変わってくるんでしょうね。
石田:とはいえ、ビジネス誌、経済誌という性格上、売れるものだけを追っかけるというわけにもいかなくて。ビジネスパーソンにとって必要なことが今何なのかということを各記者は業界担当を持って各業界に張り付いて取材をしていますので、その中から今このテーマを扱わなきゃいけないというものについては、売れ行きのことは気になりながらも、これは今やらなきゃいけないというものを出していく、そのバランス。
朝岡:一冊の中でもニュース、レポート、特集というバランスもありますし、年間通しておよそ49冊出す中でも、どうしてもこの時期にやらなければいけないこと、今起きていることをレポートしなきゃいけない部分と、ある程度部数を取りにいかないといけない部分とのバランスを考えながらやっていますね。
ビジネスという大きなくくりがあるから、あまりそこから違うとこ行っちゃうと、本が売れたって何のための本なんだかよくわかんなくなっちゃいますもんね。
石田:おっしゃる通りで。私達の読者は誰なんだろう、創業以来読者ターゲットを模索しながら。これは書籍もビジネスも同じなんですけど。読者は誰なんだろう、彼らは何を欲してるんだろうということを想像しながら。ただ、読者の興味が広がるにあわせてその幅はとらなきゃいけないんですけど、そのコアなところを見失うと、雑誌の方向感を見失うので、そこは非常に大事なところかなと思います。
石田:「創業の精神」ということで、ダイヤモンド社さんの創業の経緯を教えて頂けますか?
石田:大正2年、1913年に、当時31歳だった石山賢吉が仲間の支援を得ながら、お金も何の設備も無かったんですよね、経済雑誌ダイヤモンド社という会社を設立して、ダイヤモンドという雑誌を刊行しました。当時の資料を見ますと、創業の辞として、「本誌の主義は算盤の二字を以て尽きます。本誌は是とするも非とするも、全て算盤により、算盤を離れて何も無い。」つまり数字で全てを実証していく記事を本質とするという雑誌の創刊でした。
石田:家訓や理念というところも気になるんですけど。
石田:同時に「小さくても光る」というのが経営理念として当時掲げられておりまして。会社自体は今で言えば小さなベンチャーだったわけですけども、そんな中で大きな会社を相手にしていく。当時の大企業に対して果敢に取材を申し込み、数字で分析することによって、しっかり論陣をはっていく。つまり影響力を持っていきたい。小さくても経済社会の中でしっかりとした影響力を持っていきたいというのが当時の理念なんですね。
朝岡:数字で全てを説明する、新しいことに挑戦していこうということで始まったダイヤモンドですけど、今の社員とか現場の方にもその考え方は浸透されているというか、引き継がれていると考えて宜しいわけですよね?
石田:創業者の石山賢吉は非常にベンチャースピリットに富んでいて、新しいことをどんどんやっていく。その新しいことの基盤となるのは、ひとつは読者と向き合う。自分が見つめてる読者と向き合って、彼らが何を欲してるのか考えながらものをつくっていく。もうひとつはものづくりに徹底的にこだわる。いいものをつくりたい。そういう精神があったと思います。
朝岡:それは100年の歴史を振り返ってみると、読者に向き合った結果、読者が求めているものが変わってくれば、コンテンツの中身を変える。それから商売が上手であることにこしたことはないんですが、まずものづくりを大切にしていこうと。商売と両立しながら良いものをつくっていこうと。そういう理念は現在に引き継がれていると思いますし、引き継がれていると信じたいですね。
なので、今現在の私たちの経営理念は「独自のコンテンツを提供することによって経済社会に貢献する」というシンプルな経営理念が隠れているんですけど。それは創業の理念から100年の歴史を経る中で、今私達が大事にしているのは、コンテンツの価値であり、それを経済社会の発展に役立てていく使命感であると考えています。
「地政学」とかね、私の卒業校ですけど「三田会」みたいな、一見するとおおって思うようなタイトルとかテーマの選び方も創業の精神の一端と見ていいわけですよね。
石田:そうですね。特集テーマの選び方は非常に難しいと思うんですけど、今何を伝えなきゃいけないかという部分と、それをどう伝えなきゃというところには凄く気を配っていると思いますし、その事を創業の精神ではないですけど、事実をもって語らせると。何か根拠のない論陣をはるというものはそんなには世の中に無いと思いますけど。取材活動は非常に丁寧に、かつ労力をもってやってますね。
朝岡:最近はいわゆる自己啓発本を多く発行されてますが、発行されるということは世の中が求めているということなんですか?
石田:もともとダイヤモンド社の書籍はかなりラインナップが幅広いんですね。古くはピーター・ドラッカーやマイケル・ポーター、ジョン・ケネス・ガルブレイスのような経営学、経済学の古典があり、さらに最近では最先端の理論がある。一方で自己啓発書は実務書、経済小説。最近では健康ですとか、ファッションなどの女性実用などにも広げています。その中で自己啓発書が増えている理由は、やはりマーケットがそういう風に変化してきているからだと認識しています。
朝岡:例えば私が会社に入った頃はビジネス書というと比較的年代が40代以上の人達が読むものと言われていました。当時まだ高度成長期が終わって、実力主義等々、企業の中で言われていましたけど、とはいえまだ年功序列的なものが凄く残っていたと思うんですね。ですので管理職になる年齢が大体40をこえたくらい。その40をこえた人たちに対して経営書をつくるというのが当時のひとつの作法だったと思うんですけど。今それがどんどん変わってきていて、若い人達が自分のキャリアとか能力を高めることにもの凄く意識が高くなっている。
なので本を読む、あるいはビジネス書的な本を読む人達がかなりマーケットが若い方に移動してきているということですかね。その人達が読むビジネス書というのはちょっと昔のスタイルと違っていて、今でいう自己啓発書、最近でいえば私達の中でいえば「やりぬく力」とかですね。ドラッカーにしても昔の理論書ではなくて、それをわかりやすく伝える「もしドラ」みたいな、若い人達に向けたビジネス書がおそらく自己啓発本という範疇なのかなと思いますけど。マーケットが変化していることかなと。
そのパッケージの作り方がダイヤモンド社はうまいなって気がしますね。
石田:ありがとうございます。ここは編集者、営業サイド、宣伝部がタッグを組んでつくってますね。つまり読者が今何を求めていて、どう動いているかということを、データを集め情報交換し、書店を歩き、書店さんの意見を聞きということで。タイトル、装丁、あるいは本文のデザインに至るまで、いかに伝えていくか。あるいはどんなテーマが望まれているかを社内で非常にフランクに話し合っていますね。
石田:SNSで人の興味を見たりとか、そういうこともされるんですか?
石田:マーケティングを担当しているマネージャー達は、もちろん書店さんの感触も非常に大事にしてますけど、同時にヤフーやgoogleのリアルタイム検索ですとか、SNSで何が反応しているかということをかなり幅広く分析していますし、量的にもデータを集めて、その後のアクションが早いですね。
自分の会社のことを褒めるのは気が引けますが、手前味噌ですけど、アクションがすごい早い。データを見ながら次の仕掛けをしていく。それは編集者に対するフィードバックもそうですし、宣伝や営業活動に対するフィードバックも非常に迅速におこなっていると。