Story ~長寿企業の知恵~ 「 創業の精神 」
次のパート→

有限会社 日本橋弁松総本店
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

ナレーション

今回のゲストは、有限会社日本橋弁松総本店代表取締役樋口純一。嘉永三年創業、江戸から続く甘辛の濃ゆい味を守り続け、現存する中では日本で一番古い弁当屋である。砂糖と醤油をたっぷり使ったその味は、調味料の配分を間違えたのではないかと食べた人から問い合わせが来るほどだが、それでいてどこか懐かしさを感じさせる弁松の弁当は、リピーターになっている人が多数存在し、創業から現在に至るまで、甘辛の濃ゆい味は東京・日本橋を中心に多くの人に愛され続けているのだ。今回は弁松総本店が誇る伝統の味へ、想いと共に、八代目樋口純一の言葉から、その裏に隠された物語、長寿の知恵に迫る。

石田:

本日のゲストは、会社日本橋弁松総本店代表取締役樋口純一さんです。よろしくお願い致します。

朝岡:

ようこそ。日本橋ですから、お江戸、お弁当ですね。色んな種類というか、毎日つくられているお仕事ですね。

樋口:

そうですね。

石田:

今何代目でいらっしゃるんですか?

樋口:

八代目をやらせていただいています。

朝岡:

八代将軍吉宗ですね。早速そのお弁当を食べてみたいですね。

ナレーション

創業160年をこえる弁松総本店。その歴史、伝統を知るうえで欠かせないのが、弁松が誇るこだわりのお弁当に隠された味。そしてそこに想いがある。

石田:

ということで弁松さんのお弁当をご用意頂きました。美味しそうですね。

朝岡:

まず色を見たときに、江戸風というか、色が濃いですね。

樋口:

ちょっと地味なんですけどね。

朝岡:

懐かしい感じがして。頂きます。卵焼き、たけのこ、れんこんにかまぼこ、しいたけ。お芋も煮込んであるのね。どれから食べます?普通。

樋口:

煮物からまず。

朝岡:

しいたけが好きなのよ。

石田:

私はごぼうを頂きます。

朝岡:

これすぐご飯食べたくなりますね。

樋口:

そうですね。かなり濃い味だと思います。

朝岡:

そう。しかも濃いといっても、ただ辛いだけじゃなくて、甘辛い。良い甘辛さがありますね。

石田:

しっかりと煮込んであって、母の味を思い出すような。

樋口:

よくおばあちゃんの味に似てるというご感想を頂きます。

朝岡:

卵焼きも美味しくてね。卵焼きも甘辛がついてるんでしょう?

樋口:

卵焼きはもしかしたら今日自分が焼いたやつが入ってるかもしれないです。夜中から数人で焼いてきましたね。

朝岡:

本当甘辛の良い卵焼きよ。甘い卵焼きは多いけど、ちゃんと甘辛いっていうのがね。

樋口:

出汁が結構沢山入ってます。

朝岡:

きいてますね。今お弁当をつくってるところが見えてるんですけど、煮物、焼き物で昔ながらの江戸のお弁当というね。お弁当は沢山あるけど、日本橋弁末さんのお弁当というのはすぐわかりますね。

樋口:

そうですね。お二方は今までうちのお弁当を召し上がったことは?

朝岡:

僕実はあります。それまでいろんなロケ弁を食べたけど、日本橋弁松さんのが来たときは、今日は江戸のお弁当だぜって感じで、関係者で盛り上がりますね。

樋口:

うちのお弁当の味はこういう江戸からの甘辛い濃い味なので、好き嫌いが分かれてしまうんですね。お口にあった方ですと、「今日弁末か、やった」となるんですけど、逆もあって、「今日弁末か、嫌だな」というお客様もいらっしゃいます。

朝岡:

でもそれも良いんだという形で進めておられるわけでしょう?

樋口:

どうしても独特な味付けなので、万人受けはしないんですね。

味をもっと薄くしたりして誰でも食べられるお弁当にすることは出来ます。そういう商売もありだと思うんですけど、それをやってしまうともう弁松では無くなってしまうので。うちはもう、お客さんが100人いらっしゃったら90人の方がお口にあわないという感想を持っていても、残りの10人がうちの熱狂的なファンになって頂ければそれで良いと思っていますので。

ナレーション

弁松のお弁当には、甘辛の濃ゆい味に加え、もう一つ特徴があるようだ。果たしてそれは一体。

朝岡:

入れ物も、ちゃんと昔からの木の箱で、二段でご飯とおかずにわかれてるでしょう?これも変えない?

樋口:

これもうちのお弁当の特徴の一つで、実際はこの木の折っていうのは生き物のようで、扱いが非常に難しくて、すぐ反ってしまったり、底が抜けたり、プラスチックとか発泡スチロールの容器に比べて、問題点も多いんですけど、やはりご飯やおかずを入れた時に、適度に水分を吸いとってくれたり、持った時の木の肌触り、木の香りがご飯について、その雰囲気も弁松のお弁当のひとつなので。なかなかこれも変えることができないんですね。

朝岡:

あえて万人受けは狙わず、弁松の味。

樋口:

お客さんから見ると、殿様商売してっていう方もいらっしゃるかもしれないですけど、このこだわりを捨ててしまうと、別に弁松がつくらなくてもいいようなお弁当になってしまうんですよ。かつこの濃い味つけっていうのは、マネしようと思えば他のお弁当屋さん、極端にいえばコンビニでもつくれるかもしれない。

ただ他所のお店がこれをやってしまうと、本当にクレームが連発するような気がするんですね。弁松だからこの濃い味というのが許されている部分もあるので。うちがやめてしまうと、この味はもしかしたら無くなってしまうかもしれない。

朝岡:

江戸を今に伝える心意気みたいなものが詰まってるんですね。

ナレーション

ここからはテーマにそって八代目樋口純一の言葉から歴史と伝統の裏に隠された物語、弁末総本店が誇る長寿の知恵に迫る。まず最初のテーマは「創業の精神」。現在は独自の味でお弁当屋として多くの人に知られている弁松だが創業者が営んでいたのは食事処であった。一体どのような経緯でお弁当屋へ業態変化していったのか。

樋口:

そもそもうちの初代は越後、今でいう新潟の長岡あたりの出身でして、樋口与一というんですけど、江戸に出て来て。当時日本橋に魚河岸がありました。その魚河岸の中に樋口屋という名の小さな食事処を開きました。今魚河岸は築地ですけど、築地の場内や場外にお寿司屋さんやまぐろ丼とかのお店があるじゃないですか。あんな感じだったと思うんですけど。日本橋の魚河岸の場内といっていい位置に食事処を開きました。1810年のことなんですけど。

朝岡:

文化文政の時代ですね。

樋口:

文化7年ですね。

石田:

ペリー来航より前ですね。

樋口:

最初はお弁当屋ではなく食事処だったんです。その食事処で出していた定食が盛りがよかったらしく、お得感があるということで、お客さんは沢山きてくださったんですけど。魚河岸の中にあったので、お客さんのほとんどは魚河岸関係の人なんですよ。

当時魚河岸は冷蔵庫や冷凍庫も無い時代だったので、朝仕入れた魚をお昼までに売り切らないと、腐ってしまう。それで魚河岸の人達はとにかく時間を無駄にしないように動きだとか喋りだとか、どんどんシンプルになっていって、ああいったぶっきらぼうな感じになっていったんだと思うんですけど。

そういう人達がお客さんだったので、盛りが良くても食べきる時間がなかったんですね。大体の方が残して帰ってしまったらしい。それを見たうちの初代が、残ったご飯とかおかずを竹の皮とか、経木という木の薄いものにくるんでお持ち帰りいただいたところ、そのサービスが非常に好評で。

そのうちお客さんの方から、最初から全部持ち帰りでつくってくれないかという要望が出て来たんですね、これがうちの弁当の原型になってきていると思うんですけど。初代から三代目にかけて、イートインとテイクアウトと両方やっていたようなんです。

ナレーション

三代目の時代からうまれたお弁当屋の弁松。創業160年以上を誇り、これまでに当主をつとめた者は8人。その歴史を支え、継承されてきた裏には、やはり多くの長寿企業がもつ家訓や理念があったのだろうか。

樋口:

三代目の時代になると圧倒的にテイクアウト、仕出しの需要の方が多かったようで。三代目は樋口松次郎という名前なんですが、お客さんからは食事処ではなく、弁当屋の松次郎という愛称で呼ばれていたようなんです。それで三代目の時に弁当屋一本でやっていこうと業態変更して、屋号も名字からとった樋口屋だったんですが、「弁当屋の松次郎」を略して「弁松」に変わりました。キムタクみたいな感じで。

ナレーション

弁松の長い歴史と伝統をつくりあげた裏には樋口純一が語った「味こそが家訓の精神」と見えない部分での強いこだわりがあった。言葉ではなく味と想いでつくられている弁松の創業の精神は、いったいどのように現在の社員、スタッフ達へ浸透しているのだろうか。

石田:

弁松さんの家訓や理念を伺っていきたいのですが。

樋口:

残念ながら言葉としての家訓はうちは無いんです。たぶんつくってないんだと思います。たぶんマメな当主がいなかったんだと思います。

無いんですが、自分で思っているのは、うちは味自体が家訓だと思っています。何かぶれた時には、この味を守るとか、そういったことを優先すると自ずと修正されていくのではないかと思います。

朝岡:

それがさっきのお弁当の味だったんだね。

樋口:

一応家訓ではなく経営理念、コンサルの方がつくった方が良いよと勧めてくれるので、何回かつくったことがあるんですね。一番新しいのは「弁当の折箱の中の風景が私達の心粋です」というのがあったんですよ。

意味はお客様がうちのお弁当をお買い上げになって、開けて内容を目視しますね。実際に召し上がって美味しいと思って頂ける。満足して頂ける。それが一番うちとしては嬉しいことなんです。それをお客さんに体験してもらうためには調理とか詰め作業というのは弁当そのものなので、直結してるんですけども、弁当が100点満点でも、接客がいまいちだったり、配達の時間に遅れてしまったら、せっかくお弁当は良いのにお客さんの気分としてはマイナスになってしまうと思うんですよ。

あとはうちの工場とか売り場のあらゆる仕事ですね。例えば工場のトイレ掃除。一見弁当には直結していないですけども、そういった掃除とか衛生面の部分をおろそかにすると、もしかしたら食中毒につながってしまうかもしれない。ですから全ての作業がお客様がお弁当を召し上がる瞬間に繋がっているよっていう内容の経営理念をつくったんですけども、ちょっとわかりにくすぎて全然浸透しませんでした。

朝岡:

でも目に見える形で浸透させるのは難しいかもしれませんが、社長のお考えを社員とかスタッフに浸透させないといけないですよね。これはどのようにしてらっしゃるんですか?

樋口:

弁当自体の話ですと、5年以上いる職人だと、うちの方向性が身にしみていて、逆に新しい提案が出ると、これはうちのカラーじゃないんじゃないかとか、職人の方が判断してくれる感じですね。

朝岡:

そういう意味では長年お務めの社員もかなりいらっしゃって、そういう方から社員の間に世代を越えて引き継がれていくと。態度や考え方が。

樋口:

もちろん先輩社員から後輩にというのもありますし、あとうちの場合はお客さんから教えていただくということが多いんですよ。お客さんも三代、四代当たり前という感じでずっとうちのお弁当を買ってくれていて、たまに「昔の弁松はこんなんじゃなかった」というご意見を頂くこともあるんですけど。ちょっと怖い部分もあるんですけどもね。