株式会社 梅林堂
貢献 ~地域、業界との絆~
今個人としては、若い頃に青年会議所というところにも所属をしておりましたので、そのOBとしての関わり、後輩との繋がり。
また商工会議所においては、商工会議所の副会頭を仰せつかっておりまして。そう言った局面での地域に対するお手伝いと言いますか、これをさせていただいております。
一方で、スポーツと言いますか、子どもの頃から野球をやっておりましたので、野球を通じて育てていただいたそのご恩という風な意味も含めて、ちょうど埼玉に、埼玉県民球団 武蔵ヒートベアーズという球団が3年程前に生まれましたので、この後援会の会長としてお手伝いをさせていただいております。
大震災の時にですね、同業の中で、福島県の方のお菓子屋さん、千葉県の方のお菓子屋さん、被災をして非常に辛い思いをされた業界の仲間ですから、よくお話を伺ったりしました。
この東日本大震災この未曾有の大災害になったわけですが、自分も何かお役に立たなければいけないかなということで、地域の仲間たちと協力をしてですね、熊谷において、熊谷に被災をされた方々をご支援を申し上げるということで、東日本大震災自立支援ネットワークということで、熊谷でそういった任意の団体を立ち上げて、そこで3年程事務局長をさせていただきました。
やはり困ってる方に微力ではございますが、ご協力できることはないかということで、熊谷で5,000万円程の現金を皆さまからお預かりしまして、被災された方々にですね、それを生活のご支援、或いは就職のご支援、或いは住居そのもののご支援と、色々な角度からですね、約200名強の方々、お一人お一人に私お会いしまして、援助を、熊谷の皆さんのご好意でいただいた現金を配分をする係をさしていただきましたし、勿論、そういった中でですね、特に福島県の南相馬でありますか、こちらに赴いて現地のボランティアから現地の方々との交流と言いますかね、どのような形でご支援を申し上げたら良いのかということについて3年程お手伝いをさしていただきました。
非常に私自身にとっても大きな経験でありますし、そういった行動というのが、地域の皆さん、或いはまた社員での一人一人に対する私自身の考え方というものが少しずつわかってきてくれたかなぁという風なことがあります。
非常にわずかなことでありますが、その被災した方々の気持ちを汲んで行動をさせていただいたというようなことは、私にとっても宝物だなぁという風に思っております。
「地域や業界との絆」
梅林堂が行っている地域や業界でのとの取り組み。
そこに込められた想いとは?