秋本産業 株式会社
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~
今回のゲストは秋本産業株式会社代表取締役金子俊介さんです。よろしくお願いいたします。
金子:よろしくお願いします。
いまおか:まずは秋本産業のお仕事について、事業内容をお伺いしたいんですが。
金子:建築金物の卸売業ですね。
いまおか:建築金物というと具体的には例えば?
金子:釘・・・わかりやすく言えば釘だとか、耐震のね、家と家の材木の間に打ち込むような金具類そういうものが一応のメインですね。
いまおか:それを販売していらっしゃる?
金子:そうですそうです。
いまおか:んーその他にはいろいろ手がけていらっしゃいますか?
金子:それに付随してね、それを打ち込むための工具類とか、今いろんなものが出てきますんで、くっつける針金とかそういうものもすべて販売しております。
いまおか:それをどの辺のエリアに販売されてるんですか?
金子:今は広島県内、それから岡山、それから島根県の広島県側、山間部ですね。その辺と山口県の岩国、周南くらいまで販売しております。
いまおか:随分エリアが多いですね。
金子:まあ店を出していきましたんでね、自然と増えていったということでございます。
いまおか:金子社長は何代目の社長でいらっしゃいますか?
金子:4代目と思います。
いまおか:4代目。
金子:はい。
いまおか:なるほど。「秋本産業」という会社のお名前ですが、ご自身のお名前は「金子」
金子:金子。女房のお義父さんがやってたところへ私が入っていきましたんで名前は変えずにそのまま金子でやっております。
いまおか:ふーん。御養子に入られたわけではなく、そのまま会社を継がれた?
金子:ええ。おっしゃる通りです。
いまおか:えー。じゃあ奥様の方の代々続く会社なんですねー。
金子:はい。
いまおか:へー。秋本産業の強み・こだわりというのはなんですか?
金子:まあ一言で言えば「配送」ですよね。
いまおか:配送?
金子:配送。例えば山間部だとか島嶼部はなかなか配達しにくい所にそこにお客さんがあるんですよ。山の中にも金物屋はありますのでね。
それから島の方にも金物屋があるんで、そこの方は売り物がなくなって取りに来るというのはできませんからそうするとやっぱりうちみたいな所が卸売業で配送をやると。そうするとお客さんも喜んでいただけるし、うちも買っていただけるそういうことですね。それを大事にしなきゃいかんと思っております。
へー。遠くにあるお店にわざわざ秋本さんのところから持って行く?
金子:そうです。
いまおか:それは助かりますね。
金子:と思います。だからお互いに生き残っていけるんだと思います。
いまおか:私たち、例えば「釘が欲しいなー」と思ったら、ホームセンターに行こうと思ってしまいがちなんですけど、そのホームセンターに行く人が増えるとちっちゃな商店はなかなか大変ではと思うんですがどうでしょう?
金子:おっしゃる通りです。うちが下ろしている金物屋さんの一番の敵はホームセンターさんでしょう。だけどもホームセンターさんも弱みはあるし、ちっちゃな金物屋さんも強みはあるし、その辺で生き残ってらっしゃる金物屋さんてのは多いんでそれをサポートしていかなきゃいかんと思ってますね。
実はうちもホームセンターから声がかかって「卸売りしてくれないか」と。だけどホームセンターさんじゃやっぱり要求が非常にきついんでね、小分けにして。うちはね釘でも5㎏単位とか、ホームセンターは5本でも10本でも入れて50円とか100円で売られるんです。それを仕分けしなきゃいけないし、バーコードもつけてくれって言われるんで・・・まあそれと一番大きなところはうちの販売店さんの敵だってところですね。敵ってほどじゃないんですけどやっぱりそっちに協力すると良くないと思って、遠慮してて、今は販売店さんの方に協力して持って行って、倉庫も片付けたりしますんでね、販売店さんの倉庫を片付けたりしながら枚数を数えてそれで「もうそろそろ減ってますよ」って「追加しましょうか?」っていうのが営業ですよ。
へー。
金子:だから配達しながら営業も回ってる。自分のところの数が減ってるっていうのがわからない時があるんでそれをまぁ2日に一回行って枚数を数えたり個数を確認しながら「これはちょっと減ってるからそろそろ補充したほうがいいですよ」っていうのがうちの営業のやり方ですね。
いまおか:2日に1回行かれる!そのくらいの頻度ですか?
金子:そうですね。2日に1回、3日に1回とか月水金とかですね。
いまおか:それはお店にとっては心強いですね。
金子:まあ頻繁には行けないところもありますけど。
いまおか:逆にホームセンターの弱みって何ですか?
金子:というのはね、ちょうど30年くらい前から勢いを持たれて、ホームセンターで周りの方もDIYで自分で物事をやる、自分でペンキを塗る人が増えてきたんですけれども、ホームセンターさんの弱みっていうのは私の感じではね、やっぱりその大きな駐車場を借りなきゃいけない、それから人も雇わなければいけない、在庫もおかなきゃいけない、まあお金がかかるわけですよね。そのお金がかかるところが安さを売りにやられてるわけですけれども、その安さの敵っていうのがネット販売ですね。今工具類のネット販売もあるし、どんなものでも全部売ってますね。若い方は全部ネットで買われるんでそうなると配送もしっかりしてるからもうネットが伸びてきているわけです。
で、ネットが伸びてどこがやられてるかっていうとホームセンター。で、ホームセンターさんは仕方なく売り上げを伸ばすためには、お米を置いて生鮮のね野菜以外はほとんど置いてますよ。飲み物やら薬も置いてたり、まあ規制緩和でいろんなものが置けるんで。今はスーパーマーケットなのかホームセンターなのかわからない状態になってるんで私は将来はこれは多分専門的に別れてくるんじゃないだろうかと、専門的に。工具類だけ、スーパーはスーパーだとか。
なるほど。
金子:ここへきてちょっとホームセンターさんも変わりつつあるなと。
いまおか:なるほどねー。ありがとうございます。
金子:いえいえ。
ここからは、各テーマを元に、
秋本産業4代目 金子俊介の言葉から、
歴史と伝統の裏に隠された物語、秋本産業が誇る長寿の知恵に迫る…。
最初のテーマは、「創業の精神」
創業の想いを紐解き、現在に至るまでの経緯を
秋本産業4代目金子俊介が語る。
改めて創業から現在までの歴史、現在に至るまでの経緯を教えていただきたいんですが。
金子:私も途中から入ってきたんで古いことは明治28年ですから分かりませんけれどもただ潮流はあったんだと思いますね。聞いたかぎりでは私が子供のころに見た風景でちょうど上流から太田川が流れてきてそれからうちの天満川と太田川の角にうちが今も昔も秋本産業があるんですけど、材木だとかいかだもね、上流のほうからずーっと流れてきてたのを見てましたんで、山中で焼いた瓦だとか釘類、がのっかってずーっと来ててでちょうど太田川と天満川の境にあげて、それを馬車とかなんかで市内の家を作るところ大工さんだとかそういうところに配送していたということがあって・・・もちろん近所には今でも建材屋さんとか内みたいな商売4,5軒まだありますね。
いまおか:そうですか。実は私の父も子供のころ寺町に戦前家がありまして。ですからおっしゃっているお話がこう・・・イメージが膨らむんですがあそこは南北、こう北から流れてきてちょうど分かれて東西に横に向いて分かれてまた流れていく、だから「横川」っていうんですよね。
金子:おっしゃる通りです。ちょうど分岐点になりますのでね。
いまおか:そこでそういうお仕事をスタートされた。曽御爺様が。
金子:そうですね。
いまおか:んーなるほどー。どうして建物の金物だったと思われますか?
金子:ちょっとね、想像は尽きませんけど、例えば家庭の鍋、窯だとか家庭金物。そういうものは出しやすかったんでしょうね。手が。
それから上流から流れてくるんで川の利便性があって、それから回りも何件かそういう店があったんで、そういうことで始められたんじゃないかなと思いますね。明治28年ですから・・・想像でしか言えませんけど。
そうですね。建築関係の事業者がたくさんその辺りに集まっていたので「うちも」ということだったんでしょうかね。」
金子:そうです。付け加えれば寺町のすぐ横には「左官町」っていうのが昔はあって、50年ぐらい前ですかね?左官町っていう地域があったり、その向こうには「鍛治屋町」っていうのがあったり。鍛冶屋さんがたくさんいて左官屋さんがたくさんいた。城下町ですから。そういうところでだいたいそういったまとめれば家が一軒建つような。
いまおか:まさにそのものですね!左官屋さんと鍛冶屋さんと。
金子:で金物屋さんもあるし。
いまおか:材木屋さんもあって!はーなるほどー。土地柄も大きかった?
金子:だと思います。
いまおか:へーなるほどね。
いまおか:家訓や理念といったものはあるんですか?
金子:先代から継いだものはないんですよ。というのも先代が脳梗塞で倒れてから私が東京からサラリーマンやめて帰ってきましたんで、仕事の件だとか話したこと一切ないんですけど、古い社員がおりますんでね、そういう人達と話しますと、非常に硬い人で二言目には「本業に徹する。金物の卸売業これを一本メインに」てことをずっと言われてたようです。
商売をやってるとね、今度あれに投資しないかとかいろんなことがあるんでしょうけど、やっぱり金物屋本業を一本筋を通してっていうふうに言われてたみたいです。
なるほど。それを金子社長が引き継がれたときにそのまま引き継がれたんですか?
金子:引き継いだつもりです。広島県内のね、金物屋それぞれが生きていかなきゃいけないし、万が一いろんなことに手をだして失敗もあるでしょうし。
いまおか:本業以外に手を出されようとしたことはなく?
金子:ないです。
いまおか:その想いというのは社員の方にはどのように伝えているんですか?
金子:古い社員が多いんで、前々からそういう風な硬い・・・まぁ金物屋だから硬いんでしょうが(笑)
いまおか:はははは(笑)
金子:そういう風に先代から言われてたんじゃないでしょうかね。私が来てからは少し柔らかくなったんでしょうけれども、やっぱり硬い先代のほうを見てる古い社員もいますんでね、私もよく言われます。それ(投資、金物屋以外のこと)はやるなと。そういうこともありますね。
いまおか:そうですか。自分より、ご自身より古い社員の方がいらっしゃるところに戻ってこられて社長になられて、いろいろと葛藤はなかったですか?
金子:うちはね、50年働いている社員だとかいるんですよ。高校を出て中学校を出てそのまま70過ぎまで働いている社員もいましたからね。私がいたときはそれは番頭さんで教えてもらいました、いろいろとね。
私は東京でサラリーマンしてたんで入ってきて何もわからずに、その社員・・・番頭さんがね、私の職場に来られて「秋本産業を継いでくれ」と、「今の商売やめて来てくれ」と言われたんです。その時には「仕事が全然違うから自信がない」と。そしたら「いや、座ってくれているだけでいい。何もしなくて座っているだけでいいから来てくれ」って言われたんですよ。「そしたら今と一緒だな」と思ってね、「座ってるだけならやりましょう」っていって広島に帰ってきて。で社長になったんですけど、大変でしたね(笑)。
ちょうど10年ぐらい前なんですけど、今私70なんですけど60ちょっとすぎてから、61くらいの時に帰ってきたんですけどちょうどね、不況の真ん中でリーマンショックやら姉歯偽装事件、それからコンクリートから人へということで建物が建てなくなるうえに人口の減少全部が重なってきましてね。ホームセンターさんがのしてきているところでもう全部うちの業界は青息吐息。やめるところがたくさんあって、うちもその一つだったんでしょうけれども、うちは社員さんがだいたい35,6人いて、継ぐってことがわかって一安心したんじゃないかと。中から社長を作ればいいのにそうは思わなかったみたいですね。やっぱり血のつながった・・・繋がってはないんですけれども娘婿って言うことで番頭さんが事務所に乗り込んでこられて「やめてくれ」ということで次ぐことにしたと。
なるほどね。
今回は特別編と題し、広島の長寿企業の代表が登場。原爆投下の被害を乗り越え、現在は複数の世界文化遺産があり、日本国内からの観光客も多い広島の長寿企業の知恵・物語に迫る。
秋本産業4代目、金子俊介。
1895年、初代秋本又吉が広島県広島市で建築金物の卸売業として創業。
創業から1世紀以上、原爆・敗戦・オイルショック・バブルの崩壊など、激動する社会情勢を乗り越え現在に至る。
お客様をサポートする企業として豊富な在庫、タイムリーな配送ができる、常にサービスの向上に努めている。
今回はそんな秋本産業の4代目金子俊介の言葉から、事業継続の秘訣、その裏に隠された物語に迫る。