AGC株式会社
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~
今回のゲストはAGC旭硝子CEO島村琢哉さんです。よろしくお願いいたします。
一同:よろしくお願いします。
朝岡:丸の内の本社へお伺いしましたけれど…
島村:ようこそいらっしゃいました。
石田:ありがとうございます。
朝岡:ガラスというのが社名に入っていますけれども、その事業内容はかなり多岐にわたっていらっしゃるようですか?
島村:そうですね…普通、ガラスの専業メーカさんが多い中で、私ども、今1兆3千億円くらいの売上規模がありますけれど、約半分が建築用のガラスと、自動車用のガラス。残り25%くらいずつが、いわゆる電子関連の商品とケミカル。そういった構成になっています。
石田:創立110年というように伺いましたが、社長は今何代目でいらっしゃいますか?
島村:私が18代目になりますね。
朝岡:18代!
石田:18代!
石田:徳川幕府よりも長いですね(笑)
島村:歴史を感じますよね。
ここで、AGC旭硝子の多岐にわたる製品を紹介
こちらには、AGC旭硝子さんの商品をご用意いただきました。こちらは、どういったものでしょうか?
島村:これは、ごく一部なのですが、こちらは、最近ではごく一般的になってきましたけれども、建築用の、いわゆる住宅やビルのガラスです。それを切ったもの、2枚のガラスの間に空気を入れて断熱効果を高めて…
朝岡:二重になっているんですね、こういう感じに2枚が…中に空気が入っている!断熱効果があるんですね。
島村:今一般的な家庭は、だいたい1枚なんですね。もしこれを2枚に代えると、今の既存の日本の国内の数を計算しますと、原発2基分くらいいらないことになるんです。
朝岡:つまり、暖房とか冷房とかの無駄なエネルギーを使わなくて済むんですね。
島村:室内と外の熱のやりとりっていうのは、実は開口部と呼ばれているガラスの部分で、ほとんど8割くらい。
朝岡:そこで熱が外に行ったり、中に入ったりするわけですね。それで二重にすることで断熱効果があり、非常に効果が上がるということですね。そのほかには?
島村:室内用のガラスの内装材としてのタイルです。
朝岡:タイルなんですね。音が…
島村:これ、ガラスが表面に(コーティングされていて)色を付けています。軽量で、非常に意匠性を出しやすいということで、ヨーロッパを中心に非常に人気が出ています。日本国内でもこれから少しずつでてくるかなと思っています。
石田:こちらのガラスを用いて、スタジアムも作られたりしていると?
島村:スタジアムを作るときなんかにやっているのは、フィルム、フッ素のフィルムなんですけど。
ドイツで言うと、バイエルン・ミュンヘンのホームスタジアムのアリアンツアリーナというのが、実はこのドットのついたフィルムでカバーされています。
これも広い意味でガラスになるんですね。
島村:これは、樹脂ですね。これの特徴は、非常に耐候性があって、一回使うと20年くらい変えなくていい。かつ、太陽光を通しますので、スタジアムの中の自然の芝を養成できるんですね。
そういうことで、サッカーのW杯等、色々なスポーツ、人工芝はかなり足に負担がかかるので、これを採用していただいているケースが非常に増えてまいりました。
それから、これは、押していただけるとわかるのですが、
中のほうが製品?
島村:ここにあるのが、Dragontrailという非常に特殊なガラスで、薄くて、これは0.8ミリなんですけれども、皆さんお使いのスマートフォン。
スマートフォンは液晶を使っているのですが、液晶を挟むガラスの上に、それを保護するためのカバーガラスが使われています。
これが、実はカバーガラスで、0.8ミリのガラスだが、弾力性があり、割れない。非常にタフなものです。
ちょっと見たところでは樹脂製かと。樹脂かと思いましたよ。透明度が全然違いますからね…ガラスと樹脂では。
朝岡:今お話しを伺っただけで、国内だけでなく、グローバルな展開ですけれども、ヨーロッパなどでもかなり需要があり、こちらの製品を使っているものがかなり広がっていると考えてよろしいのでしょうか。
島村:そうですね…もともとガラス自体が、ヨーロッパが技術的に発祥の地です。日本はそれを輸入してきたという歴史を持っています。デザインや機能については、ヨーロッパスタートというものが多いですね。
朝岡:色がイタリアっぽいですね(笑)
島村:ちょっと日本人の感覚だとわからないですよね。
石田:家の中のガラス、建築用のガラス…他にはどういったものが最近だとあるのですか?
島村:まだ日本ではブームになっていないのですが、ヨーロッパの自動車は、このガラスを内装に使い始めました。自動車の中にあるメーター類が今タッチパネル化してきています。もう30車種以上に採用していただいています。
タッチパネルを支えるために、車なので、危険性の視点から、昔は樹脂が使われていたんです。しかし、光沢や高級感を考えると、ガラスを使いたいというお話しをいただいて。
我々がスマートフォン用に開発したものを、自動車のガラスも作っているので、(応用して)ご提案をして、今ではほとんど、ヨーロッパのこういうガラスを使っている会社のものは、私どもの会社の製品です。
ここからは、各テーマをもとに、AGC旭硝子18代目島村琢哉の言葉から、歴史と伝統の裏に隠されたものがたり、AGC旭硝子が誇る長寿企業の知恵に迫る。最初のテーマは、創業の精神。
<創業の精神>
創業者の想いをひも解き、今に至るまでの経緯、社是や使命の裏に隠されたものがたりに迫る。
まずは、創業の精神ということで、AGC旭硝子さんの創業から現在に至るまでの経緯、歴史を伺えますでしょうか。
島村:私どもは、創業が1907年です。板ガラスを初めて日本で作り始めたというのが原点です。ところが、それ以前30年くらいにわたって、いろんな会社が板ガラスを作ることに挑戦していたんですね。その中には、国営企業もありました。
残念ながら、どの会社もうまく、成功することができなかった。私どもの創業者、岩崎俊弥が、留学先のロンドンから帰ってきて。時は、新しい文化の息吹が出て、建築がどんどんどんどん盛んになっていく。ガラス、板ガラスの需要もそれに加えて必要になってくる。
しかしながら、日本はそれが作れていない。
その現状を見た時に、いつまでも輸入しているガラスに頼っていては、日本の国として損失が大きい。また、それを実現できない日本の実業家というのは、無力だと言われても仕方がないということで、自ら、板ガラスの生産をすることを決心して、創業したと。
会社ができたのは1907年、実際に生産を始めたのは、兵庫県の尼崎で1909年。それからずっと歴史が続いている。
原料は全てヨーロッパからの輸入だったんですね。ところが第一次世界大戦が勃発して、原料が入ってこない。そこで、当時社長だった岩崎俊弥は、自分で原料を作ることを思い立って、今は化学品という部門を持っていますが、原料のひとつであるソーダ灰というものを、自社で作ることを始めました。
これが、実は(AGC旭硝子の)化学品のスタートです。原料を溶かすための釜、耐熱レンガが必要なのですが、それがセラミックスの事業の発祥になるんです。
創業者の方が岩崎俊弥さんとおっしゃいまして、調べてみたら、岩崎弥太郎さんの甥っ子なんですよね?ということは、「三菱ガラス」等の名前になりそうですが、「AGC旭硝子」の社名の由来は?
島村:このガラス、ことごとく皆さんが失敗しているんですね。三菱ガラスと冠してもいいいのですが、もしここで失敗したら、三菱の名を汚すと。そう考えられて、三菱という言葉を使わずに(社名がついた)。
諸説あるが、創業・設立日が9月9日だったということで、それをもじって「旭」にしたという説もありますし、朝日が昇るごとく、事業を伸ばしていきたいという事で、旭とつけたということも言われています。
九に日で”旭”ですもんね…
朝岡:明治の日本で、あらゆるものを国産で作っていった時代ですが、ガラスは、そんなに難しいものだったのですか?
島村:最初のつくり方は、よく観光地に行って、ガラスのコップなどを作る体験がありますよね。あれの大きい版だったんです。ですから、吹く先に大きなガラスの塊をつけて、膨らましていくんですね。ある程度まで膨らましたところでそれを切って、広げて、板ガラスにしていたんです。
今でこそ、平坦度の高いものができますが、(当時は)600メートルくらいの長さのあるプラントで、すずという金属の上にガラスの生地を流して作っていくスタイルになっています。
当時は、肺活量がいるので、お相撲さんを呼んできて、アルバイトで吹いてもらっていたと。私が小学校の頃のガラスというのは、小さいものがいっぱい重なってできていて、歪んでいたんです。これは、製法としては、今の一般的なものから数えると、1代も2代も前の話です。
今でも古い建物のところに行くと、歪んだガラスがありますよね。趣があるというか、あれが昔のものなんですね。
朝岡:均等に均質に広げるという技術がとても難しいんですね。
石田:家訓や理念なども遺されているんですか?
島村:いくつかありますが、その中で私が好きなものが、「易きになじまず難きにつく」要はチャレンジという意味なんですが、岩崎俊弥が24歳の時に、作ったひとつの社訓です。
あと3つありまして、「人を信じる心が人を動かす」「世界に冠たる自社技術の開発」「研究開発の成功に使命感あれ」この4つを岩崎俊弥が唱えた、我々の創業の精神です。今も大事にしています。
易しいところにつくのではなく、難しいほうにむしろ行けというのをはじめとして、なかなか現代だと、逆のほうに私も含めて、流れてしまうんですが。でもその理念を、毎年浸透させ、わからせるというのは、なかなか大変な気もしますが、御社ではどのようにしているのですか?
島村:これは、辻説法のように、できる限り私自身が社員の皆さんと話をする機会をもって、こういう変化の激しい時代だからこそ、我々が戻るべき原点を思い出そう。そういうことを、ここ2年くらい言い続けてきた。
何か迷ったときには、元に戻って、見直してみること。どんなに辛いことでもそれに価値があり、世の中のためになるのであれば、そこはリスクを冒して、挑戦していくべきだと。
これは、言い続けるしかない。とは言っても、売上、利益が必要でしょと。
会社が社外に向けて話をするときも、売上がいくらになるとか、利益がいくらになるという話は、極力最小限の話。むしろ、目指すべき方向というのは、世の中に必要とされるものを作っていく会社なんだということを理解いただけたらと思っている。
AGC旭硝子はおよそ30の国や地域で、グローバルに事業を展開するAGCグループの中核企業である。
建築、自動車、ディスプレイ用ガラス、電子部材、化学品、セラミックスなど、ソリューションプロバイダーとして世界のお客様に高機能材料を提供しており、100年以上にわたる技術革新を通じて、世界トップレベルの技術とノウハウを強みに製品及びサービスを提供している。
今回は、そんなAGC旭硝子の18代目島村琢哉の言葉から事業継続の秘訣、その裏に隠された物語に迫る。