Story ~長寿企業の知恵~ 「 言魂 」
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株式会社 まるや八丁味噌
言魂 ~心に刻む言葉と想い~

ナレーション

続いてのテーマは「言魂、心に刻む、言葉と想い」
浅井信太郎が家族や先代・恩師から受け取った言葉。

浅井:

大人になってからでありますけども、随分、東京へ来ていろんな方に仕えて、学生の頃からですね、いろんな人に会いたいなと。
そのときに、当時、地元の議員、衆議院議員の方がおられて、その方にお会いしたわけじゃないですけど、その方の秘書がおられて、その方から、彼らは秘書をやっておられて、よくそこへ行って、いろんなこと、彼の夢を聞きました。
当時、彼は酒蔵さんの息子で東京へ来ていたんですけども、学校を出ていなかったんですけども、「今自分が考えていることは、出来ることだ。なぜか?考えているかだよ、と。だから、俺は一つは議員になると思っている。必ず出来る。お前な、人間はな、考えたことは必ず出来ることだ。出来ることしか考えへんぞ。」と言われた。のちに彼はそこで議員になったんですけど、非常に努力をした。

そういう東京で学校へ行ったときに、そういう地元の方とお会いして、で、当時私は19〜20歳前後、彼はおそらく30歳の後半だろうと思いますけども、そういうことを言われて、実際には、そんなこと「出来るわけないじゃん!そんなこと出来たら簡単じゃん!」っていう思いもあったんですけども、やっぱり、真剣に話をするんですね、唾を吐いて話をする。で、そして一回り上っていうのはすでに完全に大人に見えました。大人の人が、私みたいな小僧に向かって唾を吐いて、「あんな!お前な!」って、こうやって話をする。その熱がすごかったなと。それは後々も覚えています。
それはとても今も私の中に、今もそう思っています。なんだって出来ること・やれること・考えることは出来ることに相違ない。だから、今私が69歳であります。なんだって出来る、それは想うこと。想えてずーっと自分が立案して、深く考えて、こうやって出来るなと。従業員みんなの給料をどうやったら増やせるかな、そういったことを深く考えれば必ずできることだ。それを実行していく。それは、そういうことをいくつかある中で、覚えていることがそれであります。


~浅井信太郎が胸に刻む言葉~
東京では、東京農大っていう学校を出ています。私たちは、農産物を扱っています。ミヤキ教授というと思いますけど、「彼が君たちが卒業してから、農家・農民の敵になるな。少なくとも君たちが味方にならなければ、農家の人はやっていけない。少なくとも敵になるな。」ということを、小柄な方だったんですけど、蝶ネクタイをして、その先生が最後にそういうことを言って私たちに贈ってくれました。それから、今もそうです。
したがって、今私たちが大豆を、勿論大豆ばかりじゃありませんけども、地元の大豆を大事にして、地元の農産物の振興をすることが、私の大きな役割、地元に貢献する役割。その先生が仰った農家の味方になることだと。少なくとも、農に関わる者が理解をして、それに邁進してあげるべきだ。それが出来なかったら農家はやっていけない、報われない、理解されない、それは今もそう思っています。