株式会社 まるや八丁味噌
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~
当社はですね、屋号がまるや八丁味噌と言いまして、これは創業者大田弥治右衛門の「弥」に由来します。創業が1337年と言われていますが、江戸時代の前になります。その時にどういう醸造業をしていたかわかりません。味噌であったかはわからないけども醸造業と言われています。
そして、1600年代になってから、こういう今で言う八丁味噌を作り始めたらしいと言われて、江戸時代をすぎて、明治・大正・昭和・平成と、順風にこのお味噌を、八丁味噌というものを今日まで作り続けてきたと。
それから色んなことがあったんでしょうけど、耐えることなく、その時のその時の当主が何らかの工夫を凝らして、良い時もあったんでしょうけど、悪い時もあったんでしょうけど、少なくとも、今日まで続けてこられた。
そこで作っているものは八丁味噌と言うんですが、木桶で作る、そして原料に大豆だけを使う、そしてそれに使う期間は2年間とする。こういったものが今も私の代まで伝えられています。多少の変化はあったんでしょうけども、その3つは大きな変わりがない。それは江戸時代の仕込み帳を見ても、ほぼ今と同じような状態を保っている。いくつか動力は使っていますけども、蔵の中にある木の桶は、従来と変わっていないなということは思っていますので、私の代も大きく変えないように、変えざるを得ないものは致しかたないですけども、そうでないものについては、極力、先祖が使っていた方法・考え方は極力、踏襲していくようにしています。
それで、私の代も今日まで大きな変化はありません。経済的な変化・経営の変化もありませんけども、ほぼ順風に進んでいる。そして、平成のこの時代もほぼ安定して経営が出来ています。そういう過去、約700年間であります。
~まるや八丁味噌のこだわり~
1番大事なのは、一緒に作ってくれる従業員、味噌を作ってくれる人たちが、もちろん味噌もそうなんですが、一番大事。従業員の人たちが作ってくれる味噌、その想いがそのまま品質に繋がります。いろんなことがあったでしょうけども、その人たちが、関わった人たちが、大きな事故もなく、或いは大きな争いもなく、この味噌を作ることに生活をかけていただいて、そして、この蔵を守ってもらえた。それ一番の財産。それをその時の当主が、それをまとめてこられた。それを私も感じるので、そういう想いをそのまま伝えていこうと思っています。
朝、朝礼で、大きな私が熱を込めことを言うとか、そういうことはしていません。ただ、私が現場にはあまりタッチしてませんけど、これを知ってもらう努力は私が就任してからずっとやっています。
そういうツアー、工場見学に来られた人たちに、私が想いをきた方に説明して工場の中を回る。そこを従業員たちが対応してくれてますので、その時に、石の積み方の想い、そして味噌をスコップでほじくる時の従業員の想い、それを自分が語ります。
それは随分、ほとんど私の周りに居ますのでそれが、随分伝わるだろうなということとか、いろんな方、海外・国内共にいらっしゃるんですけど、必ず工場の中を案内します。そして、従業員の人たちに声をかけてくださいねとそう言っています。そうすると、“従業員からの反応が私の工場の品質です”。
そういう時に、私が思っていることを味噌に対する想いを結構話をします。来た方に知ってもらいたいと思うから。それが朝礼でそういうことは話はしませんけども、そういうことも、そういった方たちに工場の中で話をすることは伝播していくんだろうなということはよく感じます。そういうことがいろんな方々からお聞きする、それが良い影響を与えているかなと思っています。
~八丁味噌の魅力~
浅井:昔はみんな自宅で作ってたもの、ただ八丁味噌はすでに販売するものだったんですが、次第次第に減っているような気がいたします。家庭用も減ってきているなぁと。実際に食べる量も減っていきているようであります。
全体量も昔、2000軒ほど蔵元があったと言われますが、今は1000軒弱。そして、私も、ここ愛知県でも、私が始めた頃は愛知県下の生産量は、何番目かなぁ・・・10数番目ぐらいの生産量だったかもしれませんけども、私は増えてもいないし減ってもいないんですけど、いつの間にか上から数番目になってしまったなぁと。
一般にはですね、八丁味噌って耳では聞いているんです。でも、ほとんど口にしたことはない。聞いているけども口にしたことはないっていうのが多いんだろうと思います。
それはとても生産量が少ないことと、非常に使いにくいです。極めて固いんですね。固いものですから、一般の方はやっぱり通常の柔らかい味噌を好まれるし、私がわかったことは、買ってはみたけども使い方がわからない!こんな固い味噌は使い道がわかんない!ということがとってもあったんですね。
それで、まぁ昔からほとんど業務用と言いましょうか、レストランとか東京の築地経由です。築地とか、ホテル街とか、今で言うなら横浜中華街とか、こういったところが大きなマーケットで、一般の消費者とはほとんど触れることがない、そういう状態を長く続けてきました。
今は、築地も昔ほど需要がありませんし、だいぶ変わってきましたので、私たちも、先として末端、使ってもらわなくなって消費者の方に直接ということをやってみようというので、少しシフトしていきます。
もっと知らせることをやろうというのが私の初めは、デモ販売と言いましょうか、お店で自分が味噌汁を作って、そして試食してもらうこと。お店でデモ販売をする。そういうのデモンストレーションと言いますけども。東京・埼玉・神奈川と随分、今もやってますけども、それをやっています。それで、実は、それともう1つは、マスコミのみなさんのお陰で、私の工場へカメラが入っていただいて、作るところを見せてくれる機会がとても増えました。それでこう知る機会が増えた。それで、製造風景を見てもらう、それからすごく興味を持ってもらえた。
それで、私だけではありませんけども、社員もデモンストレーションをするお陰で、お店の方にも、置こうと。売れないけども置いてみようということをしてもらえた。
実際には売れないとはいっても、全体には売れてるんですけど、一般の小売の方には浸透するのは大変時間がかかった。今でも簡単ではありませんけども、少しずつ需要が伸びてきたお陰で、経営としては極めて順風な状態が続いています。
ここからは、テーマにそって「まるや八丁味噌」の持つ長寿企業の知恵に迫る。
最初のテーマは、「創業の精神」。
創業者の想いを紐解き、家訓や理念に込められた想いを紐解く・・・
長く続いた理由の中に、今それを仰った家訓のようなものがありました。それは「質素倹約」をすることだと。大事に使うことを質素倹約にすることと、そして、事業を拡大しないことだと。拡大しすぎると、どこかで驕りが出てくる。だから、拡大してはダメなんだ。
もう1つは、最後なんですが、八丁味噌を買っていただく方、そして、作っていただく従業員の方たち、この縁はすごく大事だ。この出会いを大事にするべきだとそういうことを言われています。
今、3つ申し上げたと思います。質素にして倹約をするべきだ。そして、売れるからといって、買ってくれるからといって、精一杯のことをやってはいけない。事業は計画的に、そして拡大はしないことだ。そして3つ目は、買っていただける、使っていただける消費者の方、そしてそれを作る従業員の方を大事にすることだと。その3つだと思います。
特に家訓として1・2・3条と書かれていたわけじゃないんですね。私ども、仕込み帳というがあるんですね。或いは勘定帳。仕込み帳っていうのは、どのようにして味噌を作るかということがあります。これは1700年代から残っています。
同じく勘定帳っていうのは、お金の出入りなんですね。これも残っているんですね。そこに、勘定帳の中に書いてあるのがその「質素倹約」ということになります。その最後には、必ず書いてあることは、励めと。仕事に励めと書いてあります。
「質素倹約」は、全く新しいわけではなくて、私がドイツに住んでいた数年間があるんですけども、その時に住んでいた家庭のご夫婦がとても質素で倹約で、でもケチじゃなくてとても豊かでした。
使うスプーンから家具から皿からそういったものをすごく大事にされて、私も、もうすでに他界されていますけども、その奥さんからマリア像を、病床にいる時に、お見舞いに行った時に、「これを、信太郎、お前持っていけ」と言うことで、「でも、お母さんから貰ったものじゃん」「いや、これはあんたが持っていけ」と言うことで、今貰っています。自分の机に置いてあります。
そうしたものを大事にする、そういう想いを持って帰ったので、この私どもの「質素倹約」っていうのはとてもよくわかります。作業でも営業できていかないといけないものですから、それは順調になった時に初めて自覚したかもしれません。
~家庭円満第一企業~
残業が増えたりするというのは、人件費も増えることと、本来17時で帰れるところ18時までなってしまう。下手したら奥さんと食事に行こうと約束していたかもしれない。そういうことを破ってしまう、出来なくなってしまうことが繰り返されると家庭での不満になる。
それで、私としては残業を結局やめようと。やめても経営が出来るようにしようというのが一つの想いです。したがって、注文するところのリミット、そして納品するところのターンとか期日、こういった間接部門の人には、それから営業の方にはお願いをしています。
そうしますと、大きな無理がない。生産も無理がない。それから販売も無理がない。そういうように理解をいただけるようにしています。これは、残業が少なくなる、人件費が増えないことも関連します。
もう一つは、家庭が円満になる。これをしないと会社って残らない。別のその生産性とかそんなことじゃなくて、家庭がうまくいけばいい。で、楽しく会社に来てくれる姿を、喧嘩するでしょう家で、喧嘩して合ったって、家庭で元に戻るチャンスさえ増やしてあげればうまくいく。誰だって喧嘩するのは当たり前ですけども、そういうことを会社の都合で起こらないようにしようと。
それは自分がそうだったからです。嫁さんとうまくいくと仲直りしたあと、すごく元気になりますし、喧嘩した時って家に帰る時、どういう顔で帰ろうかしら。怒って行ったらいいのか、ニコってして行ったらいいのか、考えながら部屋に入っていくんですが、それが仲直りした後はすごくもうルンルンになります。この繰り返しがあったんで、それがいいなと。
今回のゲストは、まるや八丁味噌 代表取締役社長 浅井信太郎
創業は1337年
醸造業に始まったと言われ、徳川家康公が誕生した岡崎城から西へ八丁の距離にある
八丁村で生産されたことにより、八丁味噌と名付けられた。
現在も同じ場所で2軒の味噌蔵が伝統製法を守り続けている。
八丁味噌は米麹を使わず、大豆のみで麹を造り、約2メートルもの木桶に仕込み、約3トンもの重石を職人が一つ一つ積上げ、二夏二冬(2年以上)を超えて天然醸造し、少量の水分で仕込み、時間をかけじっくり熟成することで八丁味噌の特徴である大豆の旨みが詰まった深い味わいが生まれる。
創業から680年余、まるや八丁味噌は代々の当主が伝統製法を守り続け
今日まで絶えることなく造り続けている
今回は、そんなまるや八丁味噌の代表取締役社長・浅井信太郎の言葉から
受け継がれてきた物語、次代へ継承すべきまるや八丁味噌の持つ長寿企業の知恵を紐解いていく。