Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
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宇津救命丸 株式会社
決断 ~ターニングポイント~

石田:

決断、ターニングポイントということでまずはこれまでに起こった会社にとっての転機、ターニングポイントを伺えますか?

宇津:

一つは江戸時代の話になってしまいますけど、当時は直接小売店に当社が全国に歩いて卸していたんです。それが明治になって今のシステムが出来上がりまして、直販から流通システムに乗せて販売するようになったのが一つの大きなターニングポイントだと思います。

二つめは、400年間続けていた救命丸だけから、新しい商品を出して今の多角化の線に切り替えたと言うことが二つめのターニングポイントだと思いますね。

朝岡:

富山の薬売り屋さんというのは今でも直に売りますが、ああいう形を江戸時代にはおやりになっていて、簡単に言うと。明治からは所謂会社と流通が別という形になっていったと。それはなんとなく分かるんですね。多角化になっていったというのはまさに宇津さんがご自分で進めて、決断なさったターニングポイントだと思うんですけどね。いまから何年くらい前の話ですか、それは。

宇津:

30年ぐらい前ですかね。私が社長になる前ですから。当時風邪薬を出そうということになって、父が社長だったんですけれども、社長も了解してやろうということだったんですけれども当時2種類の風薬を作る事になったんですね。

父は宇津救命丸で作る漢方風邪薬、私はこれからの時代味が良くないと売れないと思って、お子さんが喜ばないと思ってこういうようなイチゴ味の新薬系の風邪薬を開発してたんです。

同時に発売したわけなんですが、父は自分のところで作る風邪薬のほうが可愛いもんでコマーシャルなんかもそっちばかりにかけていたんですけれども、私が開発したイチゴ味の薬ほうが売れちゃったんですね。味がいいもんですから。これ(私が開発したイチゴ味の薬)を作るときにも私の子供が小さくて3人いましたんで、こういう薬の味見をさせて何が良いかと聞いくとイチゴ味が一番おいしいと言うことでイチゴ味に決定したんです。

皮肉なことにうちが作っていた漢方薬の風邪薬が子どもたちに非常に不評だったので、私は父にこれからはこういう(イチゴ味などの)薬で行かなきゃダメだということで非常に喧嘩になりまして。私が生まれて35年父に対して口答えをしてこなかったんですけれどもこのときは大喧嘩になりまして、父にこの会社からお金もらってるのか!うちの会社がどうなっても良いのか!と言われて非常にショックだったんですけれども…。

朝岡:

それは、こういったイチゴ味のもととなるような会社からお金貰って、うちの生薬の漢方薬、救命丸はどうなるんだということですよね。

宇津:

そうですね。ただうちの父もバーっと怒鳴ったりするんですけどすぐに反省してしばらくしてから電話がかかってきて「お前の好きなようにやってみろ」と(言われて)すぐにこの(イチゴ味の)薬のコマーシャルをかけたら非常に大ヒットしまして、店頭からなくなってしまって入荷待ちみたいな形になってしまいました。

石田:

確かに飲みやすいのはポイントですもんね。

宇津:

当時子供の風邪薬は一応あったんですけれど、デザインが悪いとか、味が美味しくないとか、名前も「小児用漢方薬」みたいに、あまり重視されてなかったんですね。うちは私が子どもたちに飲ませてた時に、楽しく飲める薬が造れないかと思って覚えやすい「子供風邪薬」という名前とか、カラフルなパッケージや、イチゴ味にするとかを発売したんです。

それがその後、他社さんも出されたもののスタンダードになって、今の子供向けの風邪薬はカラフルなパッケージになってきたんですね。