Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
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株式会社 ういろう
決断 ~ターニングポイント~

ナレーション

続いてのテーマは、「決断〜ターニングポイント〜」。
会社の発展とともに訪れた過去の苦難。
それらを乗り越えるべく、先代たちが下した決断に迫る。

外郎:

そうですね、やはりあの歴史が長い分、いろんなところでそういう存続の危機とかあるんですけども、一番は、戦乱ですかね。ちょっと日本史の話になりますけども、やっぱり応仁の乱ですとか、これは京都に在住してた時代ですけども、そこから我々のその薬を保管していた甕が割れて、それがなんども割れて、非常に不吉な予兆が現れたことから、北条早雲と共に、この今の小田原に移ることにしたりとか。
それから、北条五代もですね、約100年、非常にこう領民の為の国造りをしてきたわけですけども、天正18年、豊臣秀吉による小田原攻めで戦国武将としての北条家は絶えることとなりました。で、北条家に仕えていた家柄でもあったので、まぁ武将としての格付けもあった家柄だったので、非常にこういうときには、小田原を追放されるとか、もしくは徳川家康の江戸の街づくりにですね、薬の商人として移住をさせられる可能性も多分にありまして、そういったところは、存続の大きな危機だったと考えております。

例えば、小田原攻めで北条五代が小田原城を開城した時もですね、地域をその後どう統一するかといった時に、やはり有力商人だったり、そういった者が新しい小田原の街のガバレンスをしなければいけない。その時に私どもがずっと長らくやってきた地域の健康を守る、もしくは文化的なそういったつながりを持ってきたこと、そういった地域との密着性そういったものがあったことによって、その地に残され、また、地元の人たちが惜しむことによって存続することが出来た、そういう風に考えております。

私ども確かに歴史ある商品を扱ってますけども、私はよく従業員にも言うんですけど、「歴史があるから、そういう商売が成り立ってるわけではないよ。」という風に言っておりまして、お客様との信頼があって、何度でもお客様が来ていただける。信頼を損ねるようなことは我々はしてはいけない。そういったときに、その信頼とは何かというと、昔ながらにきちんと手間と時間をかけてものを作っている。それが結果的には品質を維持し、まぁ大量にはつくれないんですけども、その少量でも手に渡るお客様の満足度を維持できて、そして何度でもご来店いただけてるのかなと。やはりお客様の信頼関係が私どもにとってみると、大きな支えになってるんだろうなという風に考えます。

~自身のターニングポイント~
元々は、私自身がですね、生まれたときからこの当主をいずれはという風な話にはなかったので、若い時は普通に銀行に勤めて、10年ぐらい銀行に勤めておりましたので。
それから後を継ぐべく白羽の矢が立ちましてここに来たわけですけども、その時に私も薬剤師の資格が特にあったわけではなかったので、まぁ、一旦誇示もしたりしたんですけど、経営を任せたいということで、会社の次期社長ということで来たわけですけど、やっぱり思ったのは、経営してるだけでは、自分にとって人生にとってプラスにならない。何かこう人生勿体無くするなと思ったので、薬をね、しっかりと勉強しようと思って、薬科大学に行くことにしました。それが45の時ですけども、それが私にとってみると大きな転機ですね。

まず、一様に、明日からまぁ実際には4月からですね、薬科大学に行くことにしたからって言った時に、周りがまず信じないし、えっ?!て感じになりますし、もう6年制ですので、6年間大学に通わなければいけない。
あの理系なので、私にとってみると初めての理系っていうことなので、多くの人が続くのか、まぁ僕自身も続くのかっていう想いで門を叩きましたけれども。
先代が当時でもう93だったかな・・・ですので、もっと先代の側にいるべきじゃないかっていう風に、例えば先代の主治医の先生は、お父さんが生きてる確率は1パーセントもないから、その時は大学を辞めて戻って来なきゃいけなくなるから時間の無駄になるんじゃないかっていう風にこうやめた方がいいっていうアドバイスをいただきました。
ただ、私は、1パーセントでもその可能性があるんだったら、それにかけてみたいと思いましたし、やっぱり逆に長く先代の側に居ることではなくて、立場を同じ薬剤師になって、同じ視点でものを見ることによって、しっかりとこの家と会社の責任を受け止めると思ったので、自分が最後責任を取れる体制をきちんと敷きたかったので、まぁ周囲の反対というか周りが呆れる中、大学に通いました。

だいたい45のおやじがね、大学に行っても周りは18歳ですからね。ほとんど親子の歳の差があるそういったところに行くことになりますし、僕自身もいい人生の経験にはなりましたけども、最初はかなりこう緊張しますよね、友達出来るかなとか(笑)

今でもそう、試験がやっぱ嫌なんですよ。勉強するってことは、1日行くと本当に新しい知識がこう加わってくるので、それは自分が45歳を過ぎても成長してるなってのが分かるんです。
でもやっぱり当然定期試験もあるし、最後は国家試験がありますので、その試験というのはやっぱ・・・何歳になっても、結果出さなきゃいけないのでね、僕が一番努力したことはとにかく無遅刻無欠席で大学に通うということと、それはあの若い学生さんよりも知識も薄いし記憶力も弱いですから、そのハンディをカバーする為には、一言も先生のこう話は聞き漏らさないということと、あとは体調管理ですね。体調を崩してやっぱり試験を受けられない、そういうことは絶対にあってはならない。追再試になったら私は大学を辞める決意で大学に通ってましたので、まぁそういう気を張った6年間でした。
ただ結果的には、大変だったけども、若い学生さんとも多くの友達が出来ましたし、それから、自分にとってみるとすごい充実した6年間だったので、今こうして自分が色なことをお話し出来るのも、そういった自分がやるべきことを6年間やったというね、その自信があるからなんではないかと思います。