Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
←前のパート
次のパート→

株式会社 東京メガネ
決断 ~ターニングポイント~

ナレーション

会社にとっての転機、経営者自身のターニングポイント、その裏に隠された「物語」とは。

石田:

続いては、130年以上の歴史の中で、東京メガネにとっての転機・ターニングポイントを伺えますか?

白山:

東京でずっと商売をしていたので、太平洋戦争の時に空襲の被害にあっております。私の曽祖父母が行方不明になりました。私の祖父、祖母、父は生き延びたのですが、私にとっても会社にとっても生き延びたということは大きかったと思います。その後、日本が奇跡的な経済復興をしていく中で、私たちも事業を拡大できました。これは百貨店の成長と共に歩めたこともあります。今日は百貨店の縮小と共に縮小もしていますが、功罪として“功”の方が大きかったと思いますし、これも運命的なものだったと思います。

朝岡:

百貨店以外に海外の市場を意識した時期もあったのですか。

白山:

きっかけは正確に聞いていませんが、1960年代に、まず香港に出店しました。その後1970年代、80年代90年代で、アジア地域に出店いたしまして、現在は6ヶ国6店舗展開しております。出店は古いのですが、今日まで紆余曲折あり、6店舗残っています。現在考えると、この6店舗は海外の成長マーケットに対する足がかりとしては非常にチャンスではないかと考えています。

石田:

それでは白山社長自身のターニングポイントをお伺いできますでしょうか。

白山:

私はそんなに大した苦労した経験がないのですが、昭和44年生まれで、日本も成熟した時期、成長真っただ中の時代でしたし、東京に住んでいたので大きな災害も経験していません。非常に恵まれています。メガネの仕事も当たり前のように世襲をさせていただき、事業も継続でき、これも運だと思いますが、大きな決断をしたという苦労が全然ない。非常に幸せな人間でございます。

朝岡:

東京メガネを継ぐという中で、幼少期から言われてきたことなどありますか。

白山:

具体的に、お前がやるんだぞということを言われた記憶はありませんが、なんとなくそのような雰囲気は感じていましたね。

石田:

それはプレッシャーでしたか。

白山:

若いころ一時期面白くないと思った時期もありましたが、ハタチくらいの時に自分の宿命はこうなのかなと、夜間部のメガネの専門学校にもダブルスクールで通い、資格を取りました。社会に出てからは、我が社に入社しました。

朝岡:

学生時代に、この仕事をやりたいなど希望はあったのですか。

白山:

そんなに大した意思はなかったですが、車が好きだったので、レーサーにでもなれたらいいなと思っていた時期もありましたね。

朝岡:

プレッシャーを大きくかけられず、自由に育てていただいたような印象を感じますね。

石田:

おじい様、お父様はどのような人だったのですか。

白山:

祖父と父は性格的には全然違いました。祖父は私が5歳のこと、1974年に亡くなっています。祖父の言葉は会社の記録を読んで、このような人だったのだという印象と、家の中で見る祖父の印象を重ねてイメージしています。それに対して、父は20年近く一緒に仕事をしましたので、具体的にどのような仕事をするのかわかっています。その両者の印象が似て非なるものだなと感じています。

朝岡:

先代、先々代と考え方が同じではないと感じるのですね。

白山:

時代もありますが、どうマッチさせてきたのかなということは推し量ることができますね。