Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
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諏訪貿易 株式会社
決断 ~ターニングポイント~

ナレーション

続いてのテーマは…「決断・ターニングポイント」
諏訪貿易の発展と共に訪れた苦難、
それらを打開すべく、先代達が下した決断とは…。

石田:

続いては、決断・ターニングポイントということで、まずは、会社にとっての転機・ターニングポイントを伺えますか?

諏訪:

第二次世界大戦で贅沢品は取引ができなくなって、一度商売をやめて、父親も鉄鋼社という会社に務めたということを聞いております。戦争が終わってすぐに事業を再開して、その時には、古物ですね、環流品、日本にあったものを買い集めて、それで販売してく。それから始めて、良いものを売ったりやってきたんですけれども。
あの1960年に、前後に、仲間で、父親が世界一周旅行をしたんですね。まぁ、その時は景気が良かったんでしょうね。まだ、でも、世界一周をするってのは大変なことで、ジェット機もなかったんじゃないですかね。

朝岡:

そうですねー。

諏訪:

50日間かけて、香港からシンガポール、スリランカ、それからヨーロッパ、アメリカ、ハワイと回ってきたんでね、帰って来て「これからはアメリカの時代だ」ということをすごい感じたみたいで、私が丁度学生だったんですけど、大学4年の時に、アメリカに英語の勉強に行ってこいって言われてですね。私、おじいさんに時計をもらってたんですね、良い時計を。
カナダの遠い親戚のところに初め行ってたんですけど、着いて1週間も経たないうちに、時計を床に落としてしまってガラスを割っちゃったんですね。で、着いた早々縁起が悪いなと思ってたんですけども。じゃあ、ダウンタウンの宝石店、時計宝石店に行って直してもらおうってことで、向こうの人が連れてってくれてですね、そのお店に行ったら、「あんた何しに来てんの?」って、これこれこういうことで家業が宝石商で将来宝石やる…
「こういう学校知ってる?」って言われて、アメリカ宝石学会 Gemological Institute of AmericaというGIAを紹介してくれたんです。で、その半年の間にロサンゼルスまで行って、そこのサンタモニカにあったんですけども、学長さんのリリコーズ先生という方にお会いして、入学許可をもらって、卒業してすぐに行くことにしたんですね。それが、よって、もし時計を落っことしてなかったらGIAに行ってなかった。GIAがその頃まだ20人くらいの小さな組織だったけど、今3000人以上いる非常に大きな世界的な組織になって、その間私もずっとGIAとは親しくしてですね、そのGIAの影響ってのがすごく多くて、次の年に無事卒業は出来たんですけど、その学長さんが、私がインターンをニューヨークでやりたいっていう風に言ったら、紹介状を書いてくださって、その頃のダイヤモンドの研磨の三大研磨業社の一社にインターンで3ヶ月研修させてもらって、まぁ、日本とアメリカの差がものすごいあった時ですから、もうレベルの違うものがたくさん見れて非常に良かったんですね。
で、その時に五番街のお店を私見てですね、将来ここに販売できたらな!と、そういう気持ちが湧いてきて、で、五番街のお店にその後15年くらい経ってから取引できてですね、さらに今度、ティファニーさんにも出来て、で、今アメリカに33店舗ですか、お取引して頂いてるところがあるんですけども、そういうところに未だに初めからこう繋がってるところもありますし、それが良かったなと思ってます。

朝岡:

へぇー!あの、GIA アメリカ宝石学会では、具体的にどういうようなことを勉強なさったんでしょうか?

諏訪:

はい。一言で言うと、宝石の真偽の判定です。これが、大自然の創った天然のものなのか、あるいは、人間が作った人口生産物かと。天然のものだったら1億円するけども、人口生産物だったら1000円にもならないという、そういうそのところの見分け方。それを教えてくれるのがそのGIA、宝石学なんですね。