Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
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サンフーズ 株式会社
決断 ~ターニングポイント~

ナレーション

続いてのテーマは「決断 ターニングポイント」

サンフーズの発展と共に訪れた過去の苦難、
それらを乗り越えるべく先代達が下した決断とは?

布﨑:

やっぱり48年に合併したというのが、大きなターニングポイントだったと思うんですけども。まぁそれはそれとしてですね、色んなことを、ソースを販売してるのがずっと続いた中で、結局今度自分たちの仕事が、例えばお得意先様にとってどれだけお役に立ってるかとか、そういったことを考えた際にですね、なかなかソースを売ってるだけではなかなかお客さんにとって必要な会社なのかどうかちょっとわからないよということがあってですね、お好み焼きに関すること全てをやっていかないと我々はお客さんに対してお役に立てないんではないかという考えになりまして。
だから、それを色んなお好み焼き屋とも店舗を開店することも、色々なことを自分達が今度はノウハウを勉強していかなければならないということで、商売の幅を広げていくということを転換していったっていうのが1つは大きなターニングポイントっていうのはありますね。

いまおか:

それがまぁお好み村であったり

布﨑:

はい。

いまおか:

ということにも繋がっていくわけですね。

布﨑:

そうですね。まぁあの今私どもが大変みなさんに喜んでもらっているのが、お好み焼きの体験学習なんですけどね、年間私どもが今受け入れていますのが3000名から4000名ぐらいの間なんですけど、だけど、海外の方もたくさんおいでになるし、修学旅行のみなさんもたくさん来られるようになったし、それでまぁお好み焼きの認知度を高めるということには、何かしらお役に立ってるんではないかと思いますね。

いまおか:

ご自身にとってターニングポイントというのはどこだったでしょうか?

布﨑:

私はですね、やっぱり大学卒業して、商社務めをしてたんですけど、それからこちらに帰るということを決めた時がそうだったでしょうね。それから、まぁそれはミツワ食品という会社に帰るとい形とだったんですけども、まぁ1から色んなことを知って、古くからいる社員の人たちにですね、教えて頂かなければいけないということが、今までの立場とは全然違うので、結構そこは、私にとっては修行の場だったし、精神的にもちょっと苦しい時間だったかもわかんないですね。

いまおか:

そういう苦しい時期、会社にとっても大変な時期というのは、どのように乗り越えたんですか?

布﨑:

私自身はですね、やっぱりみなさんに認めて頂くっていうのは、社内的に認めて頂くっていうのは結構難しかったです。2代目3代目というのはだいたいみなさん経験されることかもわからないですけども、まぁ出来て当たり前なんですね。色んなことが出来て当たり前。出来ないと色々と言われると(笑)内部的にですね。
だから、そこをこう自分でやっていかないといけないし、修行してもらわないといけないというのはですね、なかなか自分だけではできないことなので、その環境を乗り越えるっていうのは、結構みなさん苦労されるのではないかと思いますね。

いまおか:

その頃を思い返されて、何か思い出されるエピソードはありますか?

布﨑:

そうですね。当時はね、やっぱりソースも今みたいにプラスチック容器ではないので、瓶容器だったんです。

いまおか:

瓶ですか!

布﨑:

はい。で、特に業務用っていうのは1.8リットル一升瓶ですね、それが木箱に入ってるわけです、10箱。そうするとですね、生半可な力では下げられないわけですよ。それを下げられるっていうのが、ひとつのもう何て言うんですか、尊敬の眼になってしまうわけですね。私なんかはとてもそんな下げられるような状況ではないです。
だから、昔からそういったのを慣れてる人っていうのは、ほんとにそれを両手で2つくらい下げられるわけです。

いまおか:

えぇー!

布﨑:

で、5段積みするだの6段積みするだのっていう、1つはそれが自慢になるわけですね。私はそれ出来ないんでね、なかなかそこで苦労しましたけど。
まず、自分なりに苦労して、5段積みする時は中の2〜3本をいっぺん抜いて、それをまた上げて、また2本戻すとかね、そういう風にしてやってました。

いまおか:

へぇーーー!これが出来ないと一人前じゃないぞ!みたいな

布﨑:

そういう感じですね。

いまおか:

感じですね。

布﨑:

そうですね。

いまおか:

今そうやって色々工夫をされながら乗り越えられたりしたことは、今でも活かされていますか?

布﨑:

そうですね。やっぱり自分が経営者の立場になって、仕事を自分で何かしらを作っていかないといけないわけですよね。ある程度の仕事が出来た部分は、今度はまたそれを他の社員に渡すと。じゃあ、次はまた自分で作っていかないといけないと。それをずっと繰り返してきた感じですね。

いまおか:

あの今一度、社長就任の経緯をお伺いしてもいいですか?

布﨑:

はい。私は、特に社長になるということはあんまり予想してなかったんです実は。

いまおか:

でも、お父様やお爺様が会社をしていらっしゃったので、昔からそういう風にイメージは・・・?

布﨑:

子どもの頃は結構そういう自覚みたいなものはねあって、これは自分で意識したか、そういう風に意識させられたかはわからないですけどね、まぁそれはあったんですけど、合併してますのでね何分にも、相手の会社もそういった形の方がおられるし、優秀の方がおられたしで、その方が社長になられたら、父親の後ですね、社長になられたら、それこそ(社長を)補佐する立場で俺はいいのだろうなという意識ではありました。
まぁその方がちょっとやっぱり身体が悪かったり、その後の当時父親の専務だった方が社長になった際も病気がちの方でしたのでね、特に何か教えて頂くということなく、結局私がせざるを得なくなったんですよ全てのことを、そのまぁ常務の時代も専務の時代も、結局は社長を代行するような形でやってきましたので、実践で自分でやってきたので、社長にならないといけない立場になった時もそれはそれで自分で認めておりました。