Story ~長寿企業の知恵~ 「 貢献 」
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向井建設 株式会社
貢献 ~地域、業界との絆~

ナレーション

「地域や業界との絆」
向井建設が行っている地域や業界での取り組み。
そこに込められた想いに迫る

向井:平成23年3月11日に、東日本大震災が発生いたしました。当社は東北6県に支店営業拠点を設けて、東北全域に仕事をやっておりましたが、特に宮城県、岩手県、そして福島県の沿岸部での被害が甚大で、多くの人命、また家屋が津波等で流されて、当社の社員たちもその対応で日夜まかたる努力を続けながら、対応させてもらったことがあります。

その時に遠藤社長と相談しながら今後の対応についていろいろと短い時間でしたけど協議して決めたことは、お得意先からの要請に対して、一件たりとも断ってはいけない。
また、もう一つはこの日に乗じて便乗電話してくる人たちがいるわけですけれども、当社は絶対に便乗電話はしてはいけない、できる限りの対応協力をねするんだと。
そして、東北の復興にお役に立つようなことをやらなければいけないという強い使命感を持って、社長を中心にして震災対応の緊急組織を立ち上げてね、具体的な行動に入りました。

遠藤:私の実家が、宮城県の海沿いにあります。50メートルくらいしか海から離れておりません。あの真っ黒になった津波を見た時に「これはもう自宅はだめだ」というのはわかりました。そこに年老いた両親がおります。
それからもう一つは東北支店では本当に大勢の社員と大勢の協力会社の従業員が働いています。これだけ揺れが大きかったら現場そのものが倒壊したり、足場や建物が倒壊したり大変なことになっているんではないかということを感じました。

ただ、東北の状況と言うのは(当時は)まだ携帯がつながらないのでわかりません。何とかメールでわたくし個人的なことですが、妻と連絡が取れました。その時にたまたま仙台から東京に向かってくる途中で大宮付近で新幹線が止まってその時に妻が私の両親、または息子とメールで連絡が取れた無事だったということを聞きました。
それからは家族のことは大丈夫だということになれば、会社の社員の無事、それを確認しなくてはいけないということですぐに本部会議、対策本部を立ち上げなければいけない。ということで社内に在籍していた部長クラス全員集めて第一回目の本部会議を立ち上げて。

会長に報告した後に、「社長、ボランティアを考えてみてくれ」という話をされました。
会長に「ボランティアですか?!」と。この時にボランティアですか?!と思いました。でも一晩考えてやはり、それができるのはうちの会社だなと、いう想いが沸き上がってきました。
それで「何をやったらいいんだろう?」ということを考えた時に当社の協力会社の人たちの大勢の作業員の人たちが住んでいた、そして最も被害の大きかった、それからもう一つ当社の営業所の所長ご両親が行方不明になった「石巻で何かをしよう」と。それで「石巻で何をやったらいいのか?」自分が出張してみてですね非常にありがたいと思ったのは、温かいものが飲めたり食べたりすることにです。それを考えると、”炊き出しをしよう“と思いました。

本当にみんな寝ずに仕事をしている中で、当社は食料が強みです。東北6県に営業所がありました。また本社からいろんな食料を送りましたので支店の中が米蔵か食料倉庫か?くらい食料がありました。そういう中で組織力を使いながらボランティアの炊き出しをし、なおかつ(両親が)行方不明になった営業所の所長をこのボランティアの炊き出し隊の隊長にしました。本人にはここに「自分が幼少時代にお世話になった人たちもちょうど避難しているだろうとその人たちにもお世話になったのだから恩返ししなさい」と。
また、午前中で炊き出しが終わるん。「午前中で終わるので午後からはご両親の捜索をしなさい」ということでずっと本人はいて、帰って来た時には、両親は見つからなかったんですけれども本当に涙を流しながら感謝の言葉をもらいました。

向井:災害の復旧復興に最優先に取り組むことと、また、ここに写ってますように福島第一原子力発電所の1号建屋、2号建屋、3号建屋が水上爆発を起して、大変な状態にあって連日のように消防車またはコンクリートポンプ車が入って原子炉を冷却するための作業を、一生懸命にやっておりました。

そういう中でこの原子力発電所の中にも瓦礫を片付けたり、また作業宿を確保するために通路を確保したり、色々な仕事がありまして、私は原子力発電所の事故というのは、間違うと、もっとより多くの犠牲者が出るんじゃないかと。
また、被害が、広域に広がるんじゃないかということを心配しまして、たまたま元から福島第一原子力発電所の中に入って作業をしてもらえる会社っていうのを募っておりまして、私は真っ先にこれは日本の危機だと。誰かやらなければいけない。当社はその責をまず率先して負いますということで。真っ先にこの第一原子力発電所の中に入って、作業を開始させてもらいました。
未だに原発の中で色んな作業をさせてもらっていますが、多くの対応をさせてもらったことで、社員の苦労があったわけですよね。大変会社として誇りに思っています。

ご存知のない方が多いのであえていいますと、すべて原発の中にあったものは場外に持ち出すことはできない。したがって、消防車、またコンクリートポンプ車、機材資材全部、現地で処置をしなければいけないということで、現場が必要な箇所に運搬したり移動させたというのがうちの社員並びにうちの関係者がやったことであります。
本当に危険を顧みないで、社員に行ってくれるなと作業員にも、お願いした話をすると、家庭の事情で何人かはどうしても家族の了解が、理解が得られないので行けないといった社員もございますが、ほとんどの人が自分から率先して「自分が行きます」と(言ってくれた)。「なんで自分をこの現場に派遣してくれないんだ?」ということで、逆にね自分がこんな時にお役に立たなければ自分の存在価値存在理由は無いんで、とにかく行かせてくださいと進んで言ってくれた人たちに対して、大変感謝もしてます。また、会社の誇りに思っているところでございます。