Story ~長寿企業の知恵~ 「 創業の精神 」
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向井建設 株式会社
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

ナレーション

今回のゲストは、向井建設株式会社
3代目代表、向井 敏雄(むかい としお)、4代目代表、遠藤 和彦(えんどう かずひこ)

創業は1908年(明治41年)
初代、向井 徳次郎(むかい とくじろう)が大阪府布施に向井組(むかいぐみ)を創業し
1924年、東京に進出。

1930年には、後に2代目代表となる向井 市太郎(むかいいちたろう)らが
横浜へ赴き「横浜出張所」を開設
その後、2代目代表就任と共に、1951年に株式会社向井組を設立することとなった。

時は立ち、1973年、「向井建設株式会社」に改称し
1980年には、現在会長を務める、向井 敏雄が、3代目代表に就任した。

2008年、創業100年周年を迎え、向井敏雄が黄綬褒章を受章。
その翌年、現在の代表、遠藤和彦が向井建設の4代目として就任した。

現在も、日本の建設産業の中核を担い、時代の先駆けとなる「技術とノウハウ」を提供し、日本の発展に貢献するとともに、自らも成長を成し続けている。

今回は、そんな向井建設の3代目代表、向井 敏雄、4代目、遠藤 和彦の言葉から、次代へ継承すべき向井建設の持つ長寿企業の知恵を、紐解いていく。

~事業内容~
向井:当社、明治41年今の東大阪で創業以来、鳶土工を生業として今日までやってきております。専門工事業者で建築土木の両分野をやっている会社は少ないと思います。また、躯体一式施工をできるような会社はこれまた少ない。
当社はそれぞれ鳶土工、また型枠・鉄筋・重機機械土工において、大変優れた技術・技能力を保持していることと、計画段階から元請けに対して有益な技術提案をしながら、大変存在感のある会社になっております。


~特徴や制度~
遠藤:専門工事業の中で当社のこれも特徴と言えると思いますが、 “新卒者の定期採用”をずっとやってきました。この新卒者の定期採用も、当時は優秀な技能集団が存在していたわけですが、新たに創り上げていこうということ。そしてまた、高卒者だけじゃなくて大卒、院卒と採用しながら専門工事業の道を極めてきたということが一つあります。
それから優秀または資質の高い人材を採用するだけではなく、それを教育していかなくてはいけない、育成していくことが会社の社会的貢献の一環であり、その教育をずっとやり続けてまいりました。
ただし、離職者が高いとか、思ったように人材が育ってないとかいろんな反省も含めて、昨年一年間かけて人材開発部門という部門を作り、その新しい人材育成システムの構想を練り上げ、それを始動したというところです。

さらに、アメリカの同時多発テロがあって以来、企業存続計画“BCP”って言うのが非常に注目されてきましたが、当社はその当時からBCPに取り組み、結果として東日本大震災で大きな成果を上げることができました。
その東日本大震災の成果で満足するのではなく、さらに首都直下、東海沖、こういったところもにらみながら、私たちのBCPについて、どんどんどんどん練り直しながら訓練を続けているということだと思います。


~安全管理の必要性~
向井:当社の最も、大切な財産は“優秀な技術・技能者”でございます。その技術・技能者の現場における安全を守るのは事業者として事業主として最も重要な使命と心得ております。

もう一つは、それまでの安全管理については大変力を入れて、いろいろな取り組みをしてきましたが、兄が現場で・・・現場の事故で、亡くなって、まさに労災遺族としての立場になって、遺族がどれだけ苦しみ悲しみ悩み、そして多くの問題を抱えるのかその時に、身をもって、体験しました。それから、なお一層安全に力を入れて安全がすべて優先するということに。
この“安全がすべてに優先する”というのは経営以前の問題で、安全が確保できなければね経営が成り立たないそして、何よりも経営基盤を支える人材の、あるいは機能能力者の安全を確保なくして会社はありえないと思います。
そういう意味で今までもこれからも安全管理の向上に一生懸命に取り組んでいくつもりであります。
幸いにして遠藤社長が、先頭に立って、安全性管理を推進して労働災害が年々減少して、おかげさまで死亡事故はここ数年間起きていないという状況にあります。

遠藤:働く人の数だけ危険というのは伴うわけです。というのは建設産業というのは無から有を作り出す、それも重厚長大なものを創り出すという観点から、機械力も非常に使うということで、人のミス、設備のミス、色んなことが重なって労働災害っていうのは起こってしまいます。それが一番大切なんだなとわかったのが、その集合教育を何回重ねてもなかなか労働災害が減らなかったんです。それをやっぱり集合教育の中でも、人として教育を受けている人を捉えて、声を掛ける、名前を呼んで声を掛けながら「あなたはどう思いますか?」というこの安全管理をしなければ絶対その・・・自分自身を大切にしない人もどうしてもいて、結果として自分自身を大切にしないということは仲間も大切にできないということで、労働災害が続いてきました。
今、特にうちの会社で取り組んでいるのは“心に届く安全管理をやろう”ということで何度も何度も、我々が足を運び皆に声をかけながらやっているというところであります。


~社内のイベントとは?~
向井:建設業というのは、仮囲いの中でやっている仕事については一般の市民の人たちに、見て頂く機会が非常に少ない。建設現場の中で職人たちが毎日一生懸命ものづくりに励んでくれていて、大変、技術技能力の高い、また世界に、誇っても良いような安全と高品質な施工を必ず期日内に完成させるという高度な日本の形成生産システムがあります。
その一翼を担っている職人たちの姿を、一般の市民に見てもらいたいという思いで、荒川の河川敷のグラウンドを利用して「技能オリンピック大会」というのを今から十数年前から初めて、今でも続けてやっています。
この目的は社員ならびに協力会社の職長や技能者の人たちが日頃現場で培った技術技能レベルがどのレベルにあるのかということを競技を一緒にやることによって認識して、もし低い場合には向上心を持って自分の技能力を高めるという取り組みに繋がれればいいということ。

また、優秀な人は更に高みを目指して努力を続けるということ。そしてその結果当然報いなければいけませんから、それ相当の賞状とそれ相当の副賞を出して参加意欲を高めながらやってきているところでございます。

遠藤:このオリンピックを始めた当時は本当に各施工班を代表するエキスパートがでてきて戦っていたんですが、最近はその人達が応援に回りだして実際に出場するのはそのチームの若手の従業員や社員が中心になってきました。本当にその技能オリンピックでは最高レベルの技術を競っているというのとはちょっと違ってきたなというところが反省としてありました。

今後どうなんだろうという事を考えた時に、今度は若手の技能者の育成というのが大きく課題として我々の会社にあります。この2つの背景を考えると、技能オリンピックそのものは、本来のオリンピックと同じように、4年に一度にしよう、その間の3年間は若手を中心にしたジュニアオリンピックのような企画をして、そこで戦ってそこで勝ち抜いた人たちを4年に一度集めて、最高レベルの若手とのオリンピックをやろうという企画に変えました。

また、今年はですね三郷から場所を変えまして今度は砂町っていう場所で開催をしまして、交通の便を良くして、もっと一般に人たちにも来場いただいて、建設業の魅力も発信できたらいいなと。子どもたちに建設産業の面白さも感じてもらったら良いなというこういう、大きなイベントに今、大きく方向転換したとこです。

向井:必ずね、社長も私もまた会社の経営幹部も、また応援も含めてほとんど全社員がでてきます。それから技能オリンピックに出てくる人として、選手の家族がね(開催が)日曜日ということもあって奥さん子供連れでね、ピクニックがてら応援に来てくれます。
選手が120人位なんです。応援も含めると350人から400人くらい集まるんですがね、結構大きなイベントになっております。

ナレーション

ここからは、テーマにそって、「向井建設」の持つ長寿企業の知恵に迫る。

最初のテーマは、「創業の精神」。
創業者の想いを紐解き、家訓や理念に込められた想いを紐解く・・・

向井:明治41年の創業で、当時は土木建築請負業向井組とういう社名でスタート致しまして、大正13年の関東大震災をきっかけに東京に進出して大阪にはそのまま仕事をのこし、またそれ以降、全国で仕事を展開してまいりました。
終戦後昭和26年に株式会社組織に改組致しまして、また、昭和48年に株式会社向井組から向井建設株式会社に社名変更を致しました。
向井組っていう“組”と名乗ると色々な問題を起こしていた組織があり、これは誤解を招くということ、また、近代化を図っていきたいということで当時私が会社に入っておりましたんで「向井建設」という社名にしまして今日に至ります。


~理念の浸透方法~
遠藤:創業記念日というのを会社で制定しておりまして、これは8月1日になってます。その創業記念日の式典がございまして、やはり温故知新の想いで常に当時向井社長からもその式典でお話を聞いてましたし、また創業記念日が一つの区切りの時、10年毎に70年史であったり、90年だったら90年の大きなイベントがあったり、100年の時に大きなイベントがございました。そういった時に記念誌が出ます。会社の社員に配布されますからそれを読んで改めて先輩の努力を知るということになると思うんですね。
一つ大きなイベントが100周年のイベントがあったものですから、当時わたくしのお付き合いの範囲の中で「神田香織」さんという講談師がおりまして、その神田香織さんに頼んで、”向井三代記”という書き下ろしを講談を作ってもらいました。
記念式典の事業の中で講談をしてもらい、または当社の職長会などのイベントの時に講談をお願いしたりして、なかなか100年史という大きな本の中でですね、「これを読みなさい」と言っても、やっぱり本を読むということに抵抗感の社員がいたり、職人にとっては、やっぱりちょっと苦手だなと思う人にも、向井建設の歴史を伝えていくということで非常に有効だったんじゃないかなと言う風に思ってます。


~会社の発展に尽力した先代夫人の存在~
向井:常に、“至誠天に通ず”、誠心誠意言葉を非常に大事にする方でした。また信用信頼、信用は無縁の衆生と心得と言うのは、社是として掲げてありました。まさに、信用信頼を得るために一生懸命努力した人であります。
本当に現場から叩き上げて来た人で、常日頃から現場周りをしながら作業員の安全指導とか仕事のやり方を本当に骨身を惜しまず努力をした人であります。また母は、父をよく支えて内政・・・社内のことを一切取り仕切って、またそれだけじゃなく、現場の人やダンプ、トラック機械の手配などをして、本当に男勝りの人で向井組また向井建設の礎を築くのに貢献した人であります。

遠藤:私の誕生日が12月1日なんですが、芳江前会長も12月1日でございました。大変慈愛の深い方で、また、人を洞察する力があって、私取締役に就任したときに、やはりその時も取締役とは経営者の一員だと言われ、それまでは若い社員の人たちの代表選手みたいな自分の気持があったもんですから、自分の立つスタンスがちょっとわからなっている時代がありました。
その時に迷いを見抜かれ「遠藤さん来なさい」と。前に立ったら軽くビンタをいただき、「あんたしっかりしなさい!」と言われました。それで直立不動で、「はい!」と言いました。その数日後、今度は「お相撲を見に行こう」といわれて、相撲を見に行ってごちそうをされて、いろいろと話を伺いました。
そういう事も含めて自分としては、自分にとって自分の実の母が第一の母、妻の母が第二の母としたら、芳江前会長は第三の母というくらいの思いでずっと思い続けてきました。


~向井敏雄が行った改革~
向井:父と母が、やってきた会社の経営を、良い面を残して長所を残して、変えるべきことは思い切ってお変えていこうと、そもそも、変えるきっかけとなりましたのは、先代は、経験と勘と度胸を持ち合わせた人で、また現場に行けばすべてのことがわかるような方でしたんでね、現場の当然収支が頭の中に入っていて、どこの現場で問題があるかということについて全部暗記していました。
ところが、名古屋から当時は東北6件まで仕事を手広くやっていましたんで、現場の収支管理とか現場での問題点については管理のしようがなかったんですね。それを私なりの経営仕様を用いてですね、現場全体の収支または状況が一部ではありますけどね、見えるようにしたということ、もう一つはね、計画性を持った経営をしなくてはいけないということで経営計画を練り、そして経理を公開して常に会社の経営状態がどういう状態なのかということを全従業員に、全従業員と言うか必要な人に必要なほとんどの従業員に、わかるようにしてます。

私は創業100周年の時に、また64歳で遠藤社長に後任を託した時に話をしたのは「代々初代だよ」と。この会社について遠藤流に経営のやり方を変えて良いんだよと。所詮私のやり方を継承しても、借り物を使いながら会社を経営するようじゃ不慣れで事故を起こす可能性がありますんでね、そういうことがないようにということでもう任せました。
私が今会社に留まっているのは、社長として任務を果たせるように最大限支えていこうと思って会社に残ってます。ただまた今は新しい企業形態を模索しつつあってですね、そちらの方の仕事も出てきてますんでね、これから社長をサポートすることについて十分にできないかなという風に思っておるところです。

遠藤:会長の社内でのカリスマってところはものすごいところがあるわけです。その中で私の経営理念を浸透させて、その思想価値観に社員たちに共感してもらって、ベクトルを合わせていくってことについて、これはこだわりを持っていかなくてはいけないと思いました。

まず最初に経営理念を制定し、そして言わんとする所、想いを冊子にまとめ500名の社員全員に説明したからそれで終わりではないと。その中に今度は持続性っていうのは絶対に必要であって、唱和であったり唱和っていうのは色んな朝礼とかイベントの際にする唱和であったり、スピーチであったり、色んな所にこだわること。
それからもう一つやったのは、「お客様とともに人生の喜びや感動を創造する」っていう言葉で締めくくってるんですが、感動を創造するという観点から現場・・・現場っていうのは本当に厳しい環境の中で仕事をしていかなくてはいけない。その中で厳しい環境の中でも感動が生まれてくると。苦労をした分だけ成功した時に感動が生まれると言う観点からですね、感動エピソードを集めようとすることを5年間やってまいりました。
感動エピソードを最優秀作品をDVDに物語を起こしまして、それを社員の人達に見てもらおうと。それを現場の人達がどうしても経営理念の冊子を見るというところまでを本を読んだりとそういうところが苦手な人達も、そのDVDで会社の言わんとする経営理念の言わんとする所を理解してもらおうと、そういう努力もしてまいりました。

また、その経営理念に基づいた経営をやらせてもらって、私は向井建設の経営に特化してやらせてもらってます。ただ、向井建設という大きな所帯の中でやっぱり煩わしい問題も経営の中で出てくるんですね。そうすると必ず会長が言ってくれるんです。「社長、これは私に任せておけ」と。ほとんど会長が、煩わしさが出てくると「私に任せておけ」ということで、私に前向きの経営に取り組む時間をくれて本当に感謝してます。