Story ~長寿企業の知恵~ 「 言魂 」
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株式会社 ヨシダ
言魂 ~心に刻む言葉と想い~

ナレーション

続いてのテーマは「言霊」 心に刻む言葉と想い
吉田信行が家族や先代から受け取った言葉、そこに隠された想いとは。

吉田:

両親なんですけど、父親は熱心な日蓮宗の信者でですね。朝1時間、そして夜1時間、それと写経を1日30分する。もう熱心な日蓮宗の信者で。それで、「仏のまっつぁん」って言うくらいですね、本当に怒ったことのない温厚な親だったんですね。
母親はですね、男3人に女4人を育てなきゃいけないですから、やっぱり優しいながらも厳格で厳しかったですね。

そんなところでですね、ある時自分が当時高校1年で免許を取れたんですね。ウチの門から金魚の水槽が、叩きがあるんですけど、そこから60mか70mくらいなんですね。そこの所で急停車して脅かしてやろうとして、姪と甥が遊んでたんですよ。そこで「そーれ、急停車だー!」ってヒュっと止まったらですね、それがブレーキが効かないわけですよ。
男の子はファっと逃げたんだけど、女の子はまともに轢いちゃったんでね、まともにですよ。ところが右肩を上げた時に、そこに女の子がコロンと落っこったんですね。それで、ところが金魚の水槽ですからコケが生えていて、もうツルツル滑るコケが。だからタイヤが回転しないでそのままスーッと滑ってくれたんですね。それで滑って行って、そのままバンバンて挟まっちゃった。そこで「うわー、大変なことやっちゃった」って車から飛び降りて、火事場の馬鹿力で車を上げたら、ウワーって出てきた。その時、傷一つなく、泣いたけど助かったんですね。
もちろん、ホッとした。その時間が丁度お昼の1時頃なんですよ。その1時の時期って先ほども言った通り、ウチの先代は拝むのは朝5時、夕方5時とキチッと決まってる性格ですから、1時に拝むってことはまずない。そしたらウチの母親がね、これは神様のお陰だよ。本当に死んじゃうのに助かるってのは、神様のお陰なんだからということで。

それからは自分の中で、高校2年生の時から日蓮宗を信じるようになったんですね。父親からよく言われた言葉というのが、さっきから言ってるんですけど、やっぱり人の心を和らげるような仕事、心が豊かになるような仕事をやるんだよというような話は若い頃からしてくれましたね。

ナレーション

続いて吉田信行が現在、胸に刻む言葉

吉田:

自分は、野球やったりバレーボールやったり少林寺やったり色々やってきたんですけど、やっぱり練習は嘘をつかないというのはずっと体験してきて。つい最近なんですけど、少林寺の世界大会、少林寺拳法の世界大会っていうのが4年に一回開かれるんですね。
そして今年は10回目の大会がサンフランシスコで開かれたんですね。そして明治大学関係者は今まで世界大会で金メダルもらったことが1回も無いわけなんですね。それで少林寺の50何年の歴史で世界大会のメダルどうにか会長取ってくださいよ、というような要望から「よし!わかった」と。2ヶ月前からですね、4段以上の部ってのが1番最高の部なんですけどね、練習に練習を重ねて。
そして、7月26日には出発だったんですよ。それを7月24日まで練習しまして。もちろん他の明治の現役の学生だとか全部練習をさせたんですけど。サンフランシスコからメールが来まして、「会長、おかげさまで優勝できました!」って言うんでね。みんなで感謝状を貰ったんですけど、これは文字通り、練習は嘘をつかないというようなアレですね。

少林寺拳法は大学で始めたんですけど、高校時代はバレーボールだったんですね。関東大会も東京都大会ベスト2で出場したくらい結構強かったチームなんで。大学行っても自分はバレーボールをやろうという風に心に決めていたんですね。
ところが夏の合宿の時にですね、明治高校のバレーボール部のOBの人が明治大に行って少林寺拳法部を作ったグループの人だったんですね。それでその人が来てくれて、吉田ちょっと手を持てよということで、持つとどわーっと飛ばされちゃうわけですよ。
この世の中にこんなスポーツがあるのかということで、バレーボール部の高校の監督に「本当にすいません。大学の方にバレー部で推薦して頂いたんだけど、ちょっと少林寺の方に行かして頂きます!」ということで大学は少林寺に行ったんですね。

~少林寺拳法との出会い~
配達、営業マンが色んなショップに配達していくわけですよね。営業マンには朝礼の時に、君は荷物置いたらサーっと帰ってきちゃダメだよ、宅急便屋になっちゃいかんと。それはよく言ってます。
やっぱりそこ行ったら金魚がどうなってるか、最近上手くいってるかそういう所まで全部見てこなきゃダメだよ。品物を売るのも必要だけど、やっぱり自分も売らなきゃいけないよというような話はよくしますね。