Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
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株式会社 ヨシダ
決断 ~ターニングポイント~

ナレーション

続いてのテーマは「決断 ~ターニングポイント~」

会社の発展と共に訪れた過去の苦難、それらを乗り越えるべく先代達が下した決断に迫る。

吉田:

これはですね、先代からよく聞いたんですけどね。金魚の吉田は古くは深川で生産して、小石川で販売する。滝野川で生産して本郷で販売して、そして大正3年に新小岩で生産して本郷で生産してた、というような生産と販売を分けていたんですね。
そんなような時に、先代が、先ほども話したんですけれども、昭和14年に家族一同が本郷に来たんですね。その頃は裕福な凄い立派な会社だったんでね。それが16年の12月に第二次世界大戦が入った。そうすると、その次の年、1、2年経つとですね、ピンチになると。こうなった時に食糧難にも耐えるためには、この池は金魚の生産をお国がしてはならないと。甘露煮にするからフナを養殖しなさいと。刺身にするから、黒鯉を養殖しなさいと。という国のお達しで金魚が生産ができなくなっちゃったんですね。
これが、先代が1番キツかった所だったと思うんですね。それが戦争が20年の8月に解除されて、そん時は子供はできませんから、21年になって子孫を存続するために親だけは取っておいたんですね。
ですからその親を22年に養殖し始めて、これができてよかった。
22年、23年も出来た、良かったと思ったら22年の9月にですね、台風が来て大水害になっちゃったんですね。やっと戦争が終わってやっと金魚が出来たと思ったら、これが全部流されてしまったということで、先代としてはもう金魚屋辞めようかというような、1番辛いような時期だったのかもしれないですけれども、それがまた23年、24年に生産して行ったら、また金魚が一杯できたと。
ということで葛飾区も養魚場、江戸川区も養魚場と、15件の養魚場を集めて、東京都に金魚組合を申請しようということで、東京都金魚組合を申請しますよろしくお願いしますと東京都に言ったんですね。ところが東京都からしてみれば、フナだとか養殖をですね全部勧めてたから金魚組合っていうわけにはいかないって言うんで、名前を「東京都淡水魚養殖漁業協同組合」って言う名前ならば、組合の設立を認めましょうということで、金魚の名前は一言も入らないけれども、金魚の組合を認めてくれたんですね。初代の会長になったのが、5代目だったんですね。

ナレーション

続いて6代目吉田信行のターニングポイント

吉田:

ちょうど43年にですね、金魚の吉田に入って行ったんですね。それで、その頃ってのは、縁日の金魚掬いが主体なんですね。金魚掬いの夏祭りの絶頂の頃ですね、もう夕方になると金魚掬いのネタが全て売り切れちゃうわけですね。
ところが1つの網にですね、本当に弱っている金魚がいるわけなんですね。3000匹ぐらいいるんですけど、そこに的屋さんが来て、ちょっとコレ売ってくれと言うわけなんですね。
そうすると先代はですね、この魚持っていっても死んじゃうよと。でも「死んでもいいから売ってくれよ」と言われるんですけど、「でもお客さんのところに行って、金魚が死んじゃったら可哀想じゃないですか」って先代言うわけですよ。ほんならね、「金を出すのに、死んでもいいから売ってくれっていうのに売らねえってことはなんちゅうことだ!」って逆に怒り出しちゃうんですね。そうすると「少林寺やってるからノブの出番だよ」と言ってですね、次男の私が出て行くんですね。そしたら、「お前ん家の親父は話がわからん」って言うんですね。「この先にも金魚売ってるところありますし、江戸川にも売ってますからどうにかそっちで買ってください」と謝ったことは度々あるんですね。
弱い魚は金出してもくれても売らないという信念は凄かったですね。

それとおそらく昭和45年か46年くらいにですね、ウチに飛び入りのお客さんが来まして、そして金魚とか水槽とかエアポンプとか色々合わせて20万円くらい買ってくれまして。それで佐倉まで配達してくれということで。じゃあノブ行けということで自分がトラックを運転して佐倉まで配達して。そして配達終わって「集金お願いします!」と言うとですね、それが「後で払いに行くよ」と。「いやそんなこと言わずに是非よろしくお願いします」と言うと、「まあまあいいや、ちょっと風呂入ってけ」と。なんかみんな脱ぐの怖いなあなんて思いながら風呂に入れさせられてですね、それで風呂から出るとビール一杯飲めやと。もう困ったなあと思いながらビール飲んで、それで「集金よろしくお願いします」と言うと、「お前俺が払うととんでもないお金だあ!」と言うとですね、入れ墨の人が2人くらい出てきて、サラシにですねドスを巻いてる人が2人くらい出てくるわけですよ。これは少林寺やってても、これは勝てないなというんで、「じゃあ頼むから払ってくださいよ」ということで帰ってきたんですね。
そうすると「お前は何のために少林寺やってたんだ」と、「馬鹿野郎お金なんて払うわけねえだろう!」と怒られたんですけど。こんな事があって日本で金魚を売るのはもう嫌だと。もうこれから海外に売ろうじゃないかということがキッカケで、海外へアメリカ行ったり色んなところに行って金魚を海外に売るようになったんですね。