株式会社 ヨシダ
1819年(文政2年)創業

江戸時代より代々継がれる金魚問屋

東京で唯一の江戸時代から続く金魚屋。日本の文化、生きた伝統芸術ともいえる金魚の生体、水槽・飼育器具等の販売を行っている。
日本国内での金魚の生産量が減少する中、老若男女問わず今も昔も愛され続ける金魚の輪を広げ
金魚の持つ魅力を提唱し、より世の中が明るく楽しく平和へと導くことを目指す。

代表紹介

6代目 代表取締役社長
吉田 信行(よしだ のぶゆき)

明治大学政治経済学部卒業。
1968年(昭和42年)、家業である株式会社ヨシダに入社。

現在、同社代表取締役社長、日本動物薬品株式会社取締役会長、日本観賞魚振興事業協同組合会長などを務める。
著書に「新観ß賞魚春秋」(共著)、「金魚はすごい」(講談社)などがあり、金魚の正しい飼い方、育て方、病気対策などの正しい知識の普及に努めている。
また、明治大学時代に少林寺拳法を始め、現在は四段。現役拳士の指導に携わる。

ヨシダの歴史

1819年(文政2年)
初代が小石川(現在の東京都文京区)で金魚商をはじめる
1895年(明治28年)
ランチュウ大会を開催
1905年(明治38年)
日露戦争後の好状時代に大衆向け琉金・和金・ヒ鯉・メダカ等の販売に重点をおく
1926年(大正15年)
2700坪の農地を池に造成、現在地である新小岩に新たに養殖場を設置する。
1949年(昭和24年)
吉田養魚場内に東京都淡水魚養殖漁業協同組合を設立し東京都より同組合が認定され初代組合長に吉田松樹就任
1955年(昭和30年)
金魚の養殖と問屋業務を開始した。次男吉田舜亮が吉田養魚場社長となる
1968年(昭和43年)
熱帯魚の輸入を開始し観賞魚の総合卸問屋として千葉・埼玉・茨城県等関東一円に販売網を拡張した
1972年(昭和47年)
金魚錦鯉の輸出を開始。日本でも屈指のシッパーとなる
1978年(昭和53年)
第一回日本観賞魚フェアで農林水産大臣賞受賞
1986年(昭和61年)
吉田養魚場より社名を株式会社ヨシダに変更し、資本金2000万円の法人となる。代表取締役に吉田信行就任
2005年(平成17年)
第二十三回日本観賞魚フェアで東京都知事賞受賞
2006年(平成18年)
同地一階に「金魚の吉田」設立全国の金魚を陳列するストック場を設ける。
第十三回金魚日本一大会で大会会長賞受賞。
企業情報:
株式会社 ヨシダ / 東京都葛飾区東新小岩5-14-7 /  03-5671-5550
公式ホームページ:
http://kingyo-yoshida.com/

ヨシダの「知恵」

「創業の精神」~家訓や理念誕生の経緯~

心に安らぎを、豊かさを

移り行く時代の中で、戦争など
様々な危機が訪れた。

「こんな非常事態なのに、金魚を買いに来る人がいる…」
人々の心が本当に求めているものを知った5代目吉田松樹。
そこから見つめた創業の精神を紐解く…

「決断」~ターニングポイント~

金魚を絶やさないために

現在、金魚の吉田で優雅に泳ぐ金魚たちの中には
かつて、5代目吉田松樹が必死の思いで守り抜いた結晶の塊がいる。

減らされて、増やして、また減らされて…

金魚の吉田に起きた数々の困難、
6代目吉田信行のターニングポイントに迫る!

「言魂」~心に刻む言葉と想い~

練習は嘘をつかない

先代の思想へ向かうきっかけとなった”あること”
また、大学より続けてきたスポーツ「少林寺拳法」

そこから学んだことは今の営業マンに伝える想いに
発展していく…

自身の体験より芽吹く、6代目吉田氏の言霊とは?

「貢献」~地域、業界との絆~

お客様には元気な金魚を
弱った金魚は意地でも売らない

地域の皆様に金魚を身近に感じてもらう縁日の“金魚すくい”
そこには商売とは言え、揺るがない信念のもと行ってきた商いがある。

金魚の吉田にとっての、地域、業界とのつながりに迫る。

「NEXT100」~時代を超える術~

供給不足への不安
若い方にお願いしたいこと

平和な時代に普及する金魚。
丈夫な金魚をつくり、世に届けていくために
「生産者自身も丈夫であってほしい」と語る、
6代目吉田氏のNEXT100とは?

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