Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
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銀座 菊廼舎
決断 ~ターニングポイント~

ナレーション

続いてのテーマは、「決断〜ターニングポイント〜」。当時の稼業は洗濯屋だったが、着物を干すための広い庭に菊を植え、親戚やご近所と花を楽しむために振る舞っていた和菓子が喜ばれ、現在に至った、銀座菊廼舎。そんな銀座菊廼舎に訪れた苦難。そのときに下した決断を、4代目、井田常道が語る。

石田:

続いては、「決断、ターニングポイント」ということで、ご自身と会社の転機、ターニングポイントをうかがえますでしょうか?じゃあまずは会社から教えて下さい。

井田:

ちょうど1972年、私がちょうど会社に入ったときに、銀座コアというビルを作って、 そのときに本店がなくなっちゃったんですよ、それで、本店の売上げがその間、ぜんぜん、建築期間でなくなっちゃって、会社がものすごく苦しくなっちゃったんですよ。

それで、なんとか立て直しましてね、ちゃんと。ということで、本当に小さな工場を、銀座の八丁目の方に、本当にプレハブみたいなところで、当時は社員が4人でお菓子作っていたんですけれども、そのときはものすごく苦しかったですね、まだ私24歳くらいだったかな。

だから資金調達の仕方もわからなくて、その頃は私の先代の3代目が一切仕事しなくなっちゃったんで、ひとりでお金の苦労、ずっとしてました。

朝岡:

24歳の時ですよね?いま銀座コアビルのあるところって、銀座の超一等地じゃないですか、そこにお店が元々あって。

井田:

あって。工場もそこにあったんですよ、ええ。

朝岡:

あって、それを大きなビルにするので、工場はもう、お店がなくなっちゃったし、工場もどっか作らなきゃならないと。それだけでも大変ですけど、それで一気に資金面も両肩に来て、銀行で融資の話だとか色々やらなきゃいけない。

井田:

でも、本当銀行に行っても相手にされなかったですよ、だって、ノウハウがないんですから、融資を受ける。

朝岡:

いきなり大変でしたね。それが会社にとっての、ご自分にとっても凄いターニングポイントでいらっしゃる。

井田:

いやまあ、そのあとはみんな社員が協力してくれて、だんだん売上もあがってきて、 まあやれば、少しずつ事業っていうのはよくなっていくんだなって、お客様に教えられたっていうことですかね。

朝岡:

そうですか、海外で和菓子の普及でしょうかね、そういうかたちでやってらっしゃったことっていうのは、どんなものがあるんですか?

井田:

たまたま、20代はずっと苦労してましたけど、40過ぎてから、東京和菓子組合っていう組合があるんですけど、そこの若手の和菓子屋さんのまとめ役を引き受けたんですね、当時70人くらいのメンバーがいたのかな、和菓子の。

で、たまたままとめ役だから、なんか事業をやろうよ、ということで、まず、2年間だったんですけど、そのときに仲間に言ったのが、「和菓子を海外で紹介しようよ」と。

「和菓子ってこんなに良いもんだよ、と、だから和菓子っていうと、日本のお菓子ね、ってわかるような状況、どうやったらできるかね?」とかいうことを投げかけて、そしたらみんなそれに反応してくれてね、興味を持ってくれたんですよ。

それで、これはなんかやりたいなと思って、直接外務省に行って、「和菓子屋の組合で、海外へ和菓子紹介する事業やりたい」って言ったら、うまく、関係機関紹介してくれて、事業として資金出してくれると。たぶん1000万円くらい出してくれてたんだと思うんですけど。

そのときに言われたのが、イタリアとポーランド、ベルギー、それからオーストリア、この4カ国へ行って、全部で17日間あったんですけど、7都市で和菓子の講演をやらせてもらったんですよ。原点はやっぱり最初一時間はレクチャーをする、それから和菓子教室をその後続けてやったら、やっぱりみんな喜んでくれて。

朝岡:

ああ、お話だけじゃなくて、お話プラス、実際に作って味わってもらうと。

井田:

そうなんです。そのときに、外人はあんこ食べないよとかって言われたんですよ。だけどもそんなことない、やっぱり手順を踏んでひとつひとつ丁寧にやっていくと、みんな喜んで食べてくれました。

朝岡:

お話を伺っていると、井田さんはもちろんお菓子を作る職人、という立場もものすごくお持ちでいらっしゃるんだけど、会社を経営して発展させていく、そういう考え方も、若い頃の苦労もあったせいか、味の世界とは違った世界も、いつもお考えになっている気がしますが、そのへんはどうなんですか?

井田:

ベースは食品で、特にウチの場合は、「江戸和菓子 銀座菊廼舎」と言うことだから、和菓子にずっとこだわり続けたいと思っている。でも、「失礼だけど、和菓子って何なの?」と。

これもやっぱりね、時代によって変わってくかもしれないんですよ。だから、そういう変化も考えるとなかなかね、「和菓子作っている」言葉ひとつでも、難しいですね。

朝岡:

でも和菓子が原点っていうのがね、そこからすべて会社のことも、お客様のこともお考えになると、こういう結果としてひとつにまとまる、という形かもしれませんね。

石田:

今、井田さんは会長というお立場になられて、常日頃心がけていらっしゃることっていうのはおありですか?

朝岡:

例えば、今、息子さんが5代目の社長でしょ?

井田:

そうですね、それはね、なるだけ任せるならきちっと任せないと、つい、子供だから、なんだか、ああだこうだ言いたくなるんですよ。これいうとね、たぶんうまくいかなくなっちゃうなと。他でも見てると、同族関係でうまくいかなくなっているところも、所々聞きますから、あまり親が子供のことああだこうだ指図しちゃいけないなと思って。

ありがたいのは、今の5代目も、バトンタッチして2,3年になるんだけれども、どんどん自分で勉強して、こちらの考えているようなことを、どんどん理解できるように成長してくれたから、これはやっぱりありがたいことだなあと思って。

朝岡:

そうかあ、任せる以上は任せて、そのへんもお考えなんですね。

ナレーション

先代と現代表、銀座菊廼舎にとってそれは、親と子の関係にあたる。実の父である先代は、現在代表を務める5代目、井田裕二の目にはどのように映るのか。それぞれの思いに迫る。

5代目:

最初ですね、10年くらい、まず大学卒業して入って、それからちょっと5年くらい、全然別の業種の方に行かして頂いて、35のときに戻って来て、3年間、専務という形で社長の下でやってから、社長に就任したと。

IT関係に行ってきました。ということがあって、まただんだんとインターネットの通販の方も大事になってきたので、それもあったんで、なんとかそういうところで利用できる、っていうのもあれですけど、知識を活かせるんじゃないかと、今後の発展に繋げられるんじゃないかなということで戻って来ました。

先代に継ぐように言われましたか?

5代目:

皆さんによく聞かれるんですけど、実はウチはそういうのは全然無いんですよ。

代々、その、前の話を聞いていても、明確に「継げ」と言われたことはないみたいで、逆にもう、何やっても良いよと、そういう雰囲気ではあったみたいですね。私ももう、そんな感じで、別に継ぎたければ継げばいいし、他にやりたいことがあるんだったら、それはもう、僕の人生だから好きなようにやって良いよ、ということは言われていたんですよね。

「和菓子とは何なの?」

5代目:

それはまぁ考えなさい、と言うことで、言われますね。

先代から伝えられていること

5代目:

我々の商売、時代にも合わせていかないといかないので、変える部分もあるし、変えちゃいけない部分もある。それと「和菓子」っていうのを考えて、どこまで変えても大丈夫なのか、どういうふうな菊廼舎にしていきたいのか、それは考えなさいっていうのは、ずっと言われているものですから。これはなかなか答えが出ないので。

たぶんそれは、私5代目なんですけど、3代目、4代目それぞれ答えが違うと思うんですよ。

でもやっぱりそうやって継いで、今の私の代まで来ているものですから、やっぱり時代に合ってたんだなと。私もやっぱり後に引き継ぐために、そこはずっと考えていかなきゃいけないものだとは思っています。

先代に対してどう思うか?

5代目:

先代はとにかくバイタリティがあるというか、すごいなと。私はどちらかというと安定というか、あんまり冒険はしたくないタイプなもんですから、堅実というか臆病というか、無理はしたくないな、というところがあるんですけれども、父はどんどん表に出て、いろんなところでお店も増やしていったり、大きくしてくれたので、そこはすごいなと思っています。