Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
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有限会社 日本橋弁松総本店
決断 ~2つのターニングポイント~

ナレーション

2つ目のテーマは「決断」〜ターニングポイント〜。160年以上の歴史を誇る弁松を襲った苦難やそれらを乗り越えてきた知恵。その裏に隠された物語に迫る。

石田:

会社やご自身にとってのターニングポイント、転機はありますか?

樋口:

会社のターニングポイントは、そもそも樋口屋という食事処から弁当屋の弁松屋になったということで、弁松屋としてはターニングポイントから始まっているような感じなんですね。業態変更という。

そのまま現在に至るわけなんですが、その間は、他の老舗も同じだと思うんですが、まず関東大震災で店が一回リセットされています。その後復活して、またすぐ戦争で、東京大空襲でうちは焼けてしまって、またリセットで。戦後はしばらく大変だったようですけど、また復活しまして。

聞いているのは、本当にピンチだったのはそれくらいで、潰れそうになったというのは聞いてないですね。ただ普通にバブル崩壊だとか、米不足だとか、最近ですと食の問題、産地偽装だとか、エネルギーの問題だとか、そういったのに対応するのがなかなか大変なのと。今現在一番大変なのは人手不足というのがありますね。若い新人さんもちょくちょくは入ってきてくれているんですけども、今お弁当を詰めたりする部署のメインは留学生のバイトになるんですね。

朝岡:

海外から?アジアですか?

樋口:

昔は中国の人が多かったですが、今はベトナムとかネパールとかミャンマーとかが多いですね。

石田:

日本文化に興味がある海外の留学生も多いんじゃないですか?

樋口:

やっているうちに興味が出てくるのかもしれないですね。やはりバイトの子は学生なので、学校が終わったらいずれ帰国したりどこかに就職するかという感じなんですけど。この先うちもそうですし、宮大工とか伝統の仕事が、なかなか日本人の後継者がいないというのがありますので、素質があってやる気があれば外国人のスタッフも増やしていくことを考えていかなきゃいけないなと思います。

朝岡:

パッケージするだけの単純作業ではなくて、もっと弁松さんの味をつくっていく中枢の部分にもいずれは海外の人材を?

樋口:

増やしていかないとまわっていかないような気もしますね。

朝岡:

江戸の、しかも弁松さんの独特の甘辛の味付けの技術は意識して継承していかないと、難しい部分があるでしょう?

樋口:

初代とか三代目とか江戸時代の人間が、うちの味を外国人がつくるなんて想像もしてなかったと思うんですよ。それは非常に面白いなと思って。今後日本自体が移住とか緩くなっていけば、うちも色んな国の人が働く職場になるかもしれないです。

朝岡:

お相撲を思うね。相撲の世界と弁松さんは重なる部分がありますね。

樋口:

本当は日本人に横綱とってほしいというのが、うちも本当は日本人にどんどん頑張ってほしいというのはありますけども。

ナレーション

先代たちがつくり続けてきた味を守り、職人の発掘、育成に励む樋口だが、幼い頃から8代目として弁松の暖簾を背負うことを心に決めていたのだろうか?その疑問をとくうえで欠かせない、樋口自身のターニングポイントに迫る。

樋口:

学生時代まではどちらかと言うと外交的ではなかったので、知らない人の集まる会合とか今日みたいな取材はお断りというか、行きたくない感じだったんですね。

朝岡:

人見知り系だ。

樋口:

大学を出てから二年くらいよそで働いて弁松に戻ってきたんですけど、弁松に入ったら長期休みはとれないというのはわかっていたので、最後に自由をもらいたいということで、7ヶ月くらい世界旅行、貧乏旅行をひとりでしてきたんですね。

最初南米の方から入ってしまったんですけど、あのへんはスペイン語圏が多くて、ビックリしたのが、ワンツースリーとかハローとかその程度の英語も通じないんですよ。ひとりなので宿をとるとか食事するのも自分でスペイン語の単語を覚えて積極的に話していかないと生きていけない。

たまに日本人のほかの旅行者がいたらつかまえて情報聞いたり、助けてもらったり。今みたいにスマホとかパソコンの無い時代だったので、行ったら自分の身ひとつで浦島太郎状態になってしまうという。

そういうのを7ヶ月ほどひとりでまわってるうちに、自分から話しかけないと進まないという状況だったので、それで人見知りはあまりしなくなりましたね。

朝岡:

それは今の社長という仕事においてはとても大事な要素だから、それがターニングポイントというのはわかる気がしますね。

樋口:

途中でいろんな人と出会って、こういう生き方もあるのかとか、こういう生活してる人もいるのかとか、色々見れたのはよかったですね。でも今また行っていいよと言われてもちょっと行けないですね。

ひとつは便利になりすぎちゃって、冒険に行くワクワク感が無くなってしまったのと、職業柄衛生観念が非常についてしまったので、アジアの小汚い屋台で麺とか食べたいといっても、大腸菌がついてるとかわかってしまうので、前みたいには楽しめないかなと思いますね。

朝岡:

ものごころついた頃から「お前は継ぐんだよ」というようなことは言われていたんですか?それとも他の気持ちがあったりしたんですか?

樋口:

継げとはほとんど言われてないと思います。大学で就職を考える頃に「どうする?」とは聞かれましたけど、「継がないんだったら他の人間に継がせるからいいよ」というような感じでしたね。

昔はうちの本店と工場と自宅が全部同じ建物にあった時期があったんですね。何十年か。五階建てだったんですけども、厨房が二階で、3,4,5が自宅部分で、自分の部屋は五階だったんですよ。今の工場みたいに密閉されてない、昔の衛生基準の工場だったんで、窓も開けて煮たり焼いたりしてると、匂いが外に漏れていくわけですよ。朝の6時7時になると自分の部屋まで匂いが。その匂いを嗅いで起きるような感じだったので、そういうので刷り込まれていたんじゃないかなと思います。自然と。

朝岡:

弁松のおかずと一緒だ。染み込んでる。それで社長に自然となっていったわけだ。

樋口:

職場と自宅が一緒だったのがある意味良かったのかなと思います。