Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
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株式会社 梅林堂
決断 ~ターニングポイント~

ナレーション

続いてのテーマは
「決断 ターニングポイント」

会社の発展と共に訪れた過去の苦難
それらを乗り越えるべく先代達が下した決断に迫る

栗原:

私が一つ思うのが、非常にあの代々それぞれの役割を果たしつつ、その中で“恵まれた巡り合わせ”、これがあったのかなと。特に初代が見様見真似で始めた菓子屋、それを本来の生菓子屋と言いますか、しっかりと形を作ったですね菓子屋に成長させたと言いますか、形を作ったのが2代目でございます。この2代目の寅吉が、東京の有名店で修行をすることが出来た、そのことが私は一つの当社が今に至るポイントの一つだという風に思います。
もう一つは、その2代目が非常に長寿であった。その技術をですね、当社の或いは当店の中で、長年に渡って伝承し続けることが出来た、これが一つのポイントかなという風に思います。先ほど、お話を申し上げました荒川さざれというお菓子も第2代目の考案でございますので、そう言った背景の中で歴史が生まれてきたとこんな風に考えています。
熊谷は、空襲が昭和20年の8月14日の晩でございます。戦火が広がってですね、非常に厳しい状況だということはどこも同じでありますが、最後の最後で空襲を受けて一面焼け野原になったと。ここにおいてですね、果たして新たに継続してですね、立ち上がれるのかという風なこういうことがですね、非常に問題だったと私は思います。
色々なご商売をやってる方々が熊谷にもおられましたが、この戦争を機に廃業をするなり、転業をするなりという風な方々もたくさんおられたように伺っております。この中で、当社におきまして、当店におきましては、地域の皆様との繋がり、特に3代目・4代目、この辺のですねお客様との繋がり、或いは地域との繋がりの中で、終戦を迎えて、何もない状態の中から、いち早く立ち直ることが出来たというこういったことが一つの大きなポイントとして考えられるのではないかなという風に思います。
特にあの時代ですから、お菓子を作る場所の問題は勿論のこと、材料がないわけです。特にお砂糖なんかは非常に貴重品であります。粉もそうですけど。そういったものをどうやって手に入れてですねお菓子を作るか、その辺で、熊谷においてはですね、今もございますが、軍の関係の施設もあったようでございますので、そういった方々のご配慮を頂きながら、なんとか営業を続けられたと申しますか、いち早く立て直すことが出来た。これも一つの続いてきた要因だという風に考えております。
代々続くということは、勿論、店の一人一人の努力ということもありますが、一緒に働いている従業員の方々のこう言った努力も勿論のこと、周りの地域の応援ということもこれは不可欠だという風に思います。
基本に儲けろというよりも、地域のお客様に喜んで頂くお菓子を作るということに徹することによって、そういう人たちがですね、成り立っていく、続いていくというこういうことなのかなぁという風に思うわけです。

~躓きの中で繋いだ長寿の礎~
私は大学卒業しまして、やはり菓子屋の息子ですから、見習いに行くということで、京都の有名な生菓子屋さんにご厄介になることになりまして。そちらでは、お茶人さんのお菓子やお寺さんのお菓子なんかも作って。3年程行ってるつもりで、そこでお菓子をしっかり学んで帰ろうと思いましたが、当時の先代、また、私の母親が専務をやっておりました。色々会社の中で混乱があったようでございまして、この混乱の中でですね、早く息子を引き戻してこいという風な先代のご意向の元、急に熊谷に帰ることになる。その混乱の中でですね、いろいろなことを学びまして、ある意味ではそれがですね、自分の生き方のベースになる。やはり人を大事にする、正しい商売を続けていく、こういった観点ですね、色んな貴重な経験をさして頂いたような一つの私にとってのポイントかなと思います。 順風満帆の中で次の時代を繋いでいくという風なことでスタートしたのではなくて、非常に混乱の中で、まぁお店や会社という視点では、“躓きの中でそこから自分のこの梅林堂におけるスタートがあった”何か考えるというよりも、一日一日無事にすむことが、夢中で気がついたら一日終わると、この繰り返しの中で、1年・2年と朝から晩まで働いたというのがスタートですね。