Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
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AGC株式会社
決断 ~ターニングポイント~

ナレーション

続いてのテーマは決断ターニングポイント。創業者岩崎俊弥が当時、失敗続きだった板ガラスの国産化に果敢に挑み、110年その間、歴代の代表はどのような判断を下し、どう決断をしてきたのか。

島村:

1つは、1980年代始めに、ヨーロッパのグラバーベルという板ガラスの会社を買収しました。これは、グラバーベルという会社が、経営的に、財務的に苦しいということで、それを援助・救済するために、我々に買収の話が来た。

その買収によって、大きく会社が変わった。それまでは、日本の旭硝子はアジアを中心にビジネスを展開していた。買収によってヨーロッパ、アフリカ、アメリカの地まで事業領域を広げるチャンスになった。

今までアジアしか知らない人間が、ヨーロッパもアメリカも見なければならない。当時、10代目の社長で、倉田という社長がいたが、そんなグローバルに(日本人が)ビジネスをマネージメントできないのではないか?と。

その時に、いかにヨーロッパの仲間やアメリカの仲間を信頼して、その人たちに日本人と同じ立場で会社経営するようにしろというトップメッセージのもとに、グローバルのマネージメントスタイルが広がっていった。

これが、手前味噌ですが、世界一の板ガラス、自動車ガラスメーカーになった1つの大きなポイントだと思います。

朝岡:

リスクも当然あるわけで、そのあたりは、相当、会社として考えて、それでも結果的にGOという結論に至った訳ですか。

島村:

そうですね。これは、可能性だけ考えて、単に買えばいいのかということではなくて、買った後のビジネスの広がりをどう実現していくのか。これは当時いろいろと議論されて、悩みもあったと思います。一つひとつその問題を解決して、前に進めていったんだと思います。

朝岡:

文化がまた一つになったというのが、これは、企業でとても難しいじゃないですか。国内同士でも難しいのに。

島村:

特にベルギーの場合は、会社で使われていた言葉がフランス語なんですね。それは、申し訳ないけれど、会社で使う公用語を英語に変えてもらいました。

もちろん、日本人も、日本語だけではダメなので、一生懸命英語を勉強するように。その担当になった人間は大変だったと思います。

ナレーション

続いては18代目島村琢哉自身にとってのターニングポイントに迫る。

島村:

私は化学に30年以上、おりまして、ある事業の責任者をしているときに、営業利益で60億円くらい赤字が5年くらい続いたんですね。会社の経営からすれば、こういう事業を継続して維持していくことは、普通許されないこと。当時のトップの人たちはそこをぐっと我慢してくれていたんだと思います。それに対して、なんとか応えなければいけないということで、従来の販売の仕方、物づくりのやり方を大幅に変えました。

簡単に言うと、西日本での販売を撤退して、我々は工場が関東に集中しているので、工場の周辺にマーケットを定めて、物流費が非常にかかる商品群だったため、それをコンパクトにすることで、なんとか再生した。

これが、ひとつ大きな事業再生の経験で、私にとっても厳しいことをやらなければならなかったですね。

今まで西日本でご厄介になっていたお客様にお断りする。それまで商品を扱ってくださっていた商社さんにお断りをする。社内においては、大阪で営業をやっている人間に、製品を売るなという訳ですから。

これは、やはり社内外から相当なご不満をいただきました。

朝岡:

いわゆる身を切る形で、決断して、それが成功した訳ですが、身を切る決断ができた理由、これは何ですか?

島村:

私が思うに、人から言われて辞めたら嫌だなと思ったんですね。どうせやめることになるなら、自分で決断して、自分で行動して、納得したかった。それが多分ある。

朝岡:

それは、ご自身の専門分野だっただけに、なおさらですよね。

島村:

本当に考えられるだけの対策を全部考え付いたんだろうか。もしかしたら、あることは前提条件として変えられないんだという思いでその事業を見ていたとすると、これは、まずいなと。

とにかく、ゼロサムになったときにどうなるのかと。それを考える責任があったんですよ。