Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
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株式会社 まるや八丁味噌
決断 ~ターニングポイント~

ナレーション

続いてのテーマは「決断 ターニングポイント」
会社の発展と共に訪れた過去の苦難
それらを乗り越えるべく先代達が下した決断に迫る

浅井:

第二次世界大戦に入る昭和14年の10月だと思いますけども、「物価統制令」っていうのが発布されたそうです。そしてこれは、物価というのは、米とか塩とかそういったものが国で決められて、そして味噌も決められました。ただ決められた値段は、八丁味噌は非常にこう凝縮してますので、ずっと原価が高いんですね。
これは、国の決めた価格が私どもの製造価格を大幅に下回ってしまう。このまま続けていくと、赤字だけが積まれていく。それで当時、その価格は守れないので修正して欲しいと。八丁味噌は贅沢品じゃないけども、価格はこれでは従えないということでお願いをして、国に陳情をしたそうです。私ともう1軒、2軒。で、これは受け入れられなかった。

そして、その為に、翌15年の8月。この2件が決めたのは、製造中止。休業宣言をしたそうです。当時、国の文武の強いときに、休業なんていうことをしてしまいますと、普通ですともう廃業です。そういったことをしながらも品質を守った。
要は、原価を下げる為には、塩と水をたくさん入れればいいんです。柔らかい普通の豆味噌を作ればいいんです。そんな難しいことはない。ただ、八丁味噌を作っている。八丁味噌っていうのは、水分も塩分も少なくて固い味噌。これが八丁味噌というので、そういうものは作れない。それで休業宣言をしてしまった。

実際には、その後、国会でもこのことは話題になってですね、地元の衆議院義委員がいまの議事録なんかにも随分残っているんですね。そのくらい議論になったんですけども、いずれにしても出来なかった。
ただ、そうではあるけども、じゃあ、日本の軍艦にはですね、通常に味噌では温度が高い為腐ってしまうんです。八丁味噌しかだめなんです。それで、軍部だけには納品を続けたそうです。
それで昭和24年から再開をしたそうですけど、いま、ごく当たり前に通り過ぎてしまいますけども、よく残れたなと。それが、その時点でそれで廃業したかもしれませんけども、もちろん、昭和24年、楽なわけではありませんけども、再開できたこと。これが大きな継続できたことの一つと、廃業を休業宣言と共に廃業せざるを得ない状況であったかもしれないということが一つです。

もう一つは、これは私が小さい頃で覚えています。昭和34年かと思いますね。大きな台風、伊勢湾台風っていうのがありました。この時に屋根が飛んでですね、その屋根が飛んだ為に、石の周りに水が落ちるんですね。水が落ちますと急激に塩分も落ちます。すぐにこう腐敗するんです。
実際には腐敗してしまいました。これで、実際には味噌を捨てたりしなければならなかったんですけども、その時の借入金が、私が継いだ時にこれは別個に伊勢湾台風の借金だということで受け継ぎました。大きな金額でした。
当時の当主はおそらくもう大変だったんでしょう。それもとにかく借金はそのまま私のところに戻ってきましたけども、そのまま据え置きできましたけども、それでも潰れずに残れたなぁと。
これは実は、創業けの他に周りに親族がたくさんいるんですけども、その方たちの援助もあったと思いますけども、そういう方達の担保もあって、そのまま残れたんでしょう。そういう大きなものを2つ覚えています。


~浅井信太郎のターニングポイント~
東京へ行きまして、東京の学校へ行きたいと思って来た。そして、22歳で卒業した。他の食品会社で働いていましたけども、仕事が嫌でも何でもなかったんですけど、2年近く経ってから、非常にこう疑問に抱きました。「生活すること・働くこと・日々生きること」。どういうことかなぁと非常に疑問を抱いてですね。
更に、そのまま自分が生活していくならば、このままではとてもできないなぁっていうので、実は半年以上前から準備してたんですけど、日本以外の国に住みたい。日本以外のところで生活してみたら、自分が生活できるんじゃないかなぁと。でも、もう日本では得られないなぁという。これは、仕事が嫌でも何でもないんですね。つまり、生活するのに疑問を抱いた。

それで、選んだのがドイツでした。ドイツをどうして選んだかわかりませんけど、選んだのがドイツであります。実際には、決意としては、永住するつもりでいました。永住するつもりでありましたので、勿論一生懸命お金を作りました。親には一切、資産も土地も何もいらないと。そのお金は自分で作ると。それで作りました。
それで、ドイツに住み始めて、永住するつもりでいましたので、言われたのは、綺麗なドイツ語を学ばなきゃダメだよと。そういうことを言われてましたので、それは学びました。
それと勿論、節約というのがありましたので、節約するには大学に入るといいよと。大学に入れば、授業料も免除されるし、ひょっとすると奨学金ももらえるよと。そりゃあいい!ということで、よし、大学だ!というので、永住するつもりで、大学に行くつもりじゃなかったんですけど、大学に行くといいということを聞いたので、受験勉強をしようと。

ちょうど1年半で不合格でしたが、2年目で正規の半分くらいですけど、入学できました。したがって、少なくとも読み・書き・聞き取り出来ました。2年で出来たもんですから、それはもう集中しました。そういうときに、出来るじゃん!と。勿論、当時は、今でこそですが、でも、そのときとしては、これではとてもドイツ語の能力がない、そう思うんですね。そんなときに、ドイツに行ったことが大きなターニングポイントになるかと思います。