Story ~長寿企業の知恵~ 「 決断 」
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花嫁わた 株式会社
決断 ~ターニングポイント~

ナレーション

続いてのテーマは決断・ターニングポイント。
会社の発展とともに訪れた過去の苦難。
それらを乗り越えるべく、先代たちが下した決断に迫る!

吉村:

うちの会社がまずはじめに一番大きく動いたのは戦後なんですよね。戦後はもう・・・ご存知の通り焼け野原になって、ものが全部なくなってしまって、その傍らで布団の製造をできる・・・製造によってどんどん売り上げを伸ばしていきました。
昔は、婦人会っていうのがあったんですね。いわゆる布団を口コミで広げて販売していく趣向なんですけど、ご購入いただいた方が例えばまた別の方に紹介して、また布団をご購入いただくと、ご紹介いただいた方に少しマージンが入ると。でそういったもののネットワークで広げていって、一時期ものすごい全国的に布団を販売して行ったんですね。
ただ、それはあくまでものがない時代だったからこそ成功していた状態だったんですけれども、その時に例えば他のメーカーは高額でも布団は売れるようにブランドっていうものを作っていったりとか、あるいはよりローコストで布団を作れるように、例えば生産拠点を海外に移していったりとか、いわゆる“大量消費時代”っていうものに合わせた販路、企業戦力っていうのを練って行ったんですけれど、うちはそこに胡座をかいてしまったんですよ。そこで何もしなかったんですね。
それによって、“ブランドもなく、価格は安くなく”っていう状況に陥り、その結果売り上げがどんどんどんどん縮小して4代目の吉村光正、私の父の兄にあたる方なんですけれども、その頃の時代にはもう会社整理というのを余儀なくされる時代が来ました。

その時に、今度は弊社の私の父の吉村信一郎が、もともと別の仕事をしていたんですけれども、うちの祖父から「会社の整理をするんで、ちょっと手伝え」ということで、花嫁わたに入ってきたんですね。
で、その中で少ないながらも、お客さんはいたわけです。そのお客さんの家に布団を納めに行ったんですね。その時にペッチャンコになった布団がたくさん押入れにしまわれていたんですよ。「この布団・・・なんで新しい布団を持ってきたのに捨てないんですか?」って聞いた時に、「本当はこの布団をなんとかして欲しいんだけど、どこもやってくれないんで仕方なく買ったのよ」って言われたんですよ。そういう方が一人や二人じゃなかったんですね。「あ!これだ!」と。このものを、布団を直すっていう仕事をやれば、間違えなくニーズがあると、需要があるというふうに気づいたのがそこだったんですね。
ただじゃあ、もともと布団の打ち直しっていうもので、綿布団を打ち直すって言ってもサービス自体はあったんですけれども、それ実はそんなに普及していなかったんですよね。
まず一つ目が、顧客サービスが充実している時代に、わざわざ布団を布団屋に自分で持っていかない。価格がいくらになるかが、明記されていない。なおかつそもそも布団をどこで直せばいいか知らないし、縦しんばどっかでやってるよって知ったとしても、そこがちゃんとやってくれるかがわからない。そういう色んな諸事情、問題があって普及してないってことに気づいたんですよね。
そこでうちの父が目を付けたのが生協さんだったんですけれども。その生協さんっていうところで、“布団を蘇らせますよ”っていうことをやろうと。尚且つ、布団も全部自分で取りに行く、収めに行く。ですからお客さんからしてみれば、注文さえすればやることは布団を預けるだけ。尚且つ価格もチラシに「いくらで全部やりますよ」と明記しておく。さらに間に生協さんというところが入っていただくことによって、だったら預けても大丈夫ねってところを担保してるんですね。そうすることによって、最初は一か所の生協さんで始まったんですけれども、そこで大きな成功を収めて。そうすると生協さんって全国組織ですから横に横にとどんどんどんどん広がっていって、さらには通販っていうところも取引させていただくこととなって、そこでうちの会社が持ち直したという経緯があります。

私がやっぱり一番転機となったのは、社長を継いでからだと思いますね。
それまでは息子ではありましたけれどどこか雇われて働いていた、ある意味サラリーマン感覚というのがあって、それがリーマンショックの翌年に「会社を継げ」と言われて、その時は社長業ってどんなことなのか全くわからない状態で継いだんですよね。
一番最初に私に訪れた転機は、それまで会社が抱えていた負債の保証人の印鑑を全部自分が継いだ時ですね。もうものすごい金額で「こんなの本当に返せるんだろうか・・・」って(笑)不安になったのを覚えています。
今度はその不安心からですかね、今の仕事もいつか立ち行かなくなくなると思って、どんどんどんどん新しいことをやらなければ、という気持ちばかりが空回りしていって。その中で自分だけが勝手に動いて行って、社員との軋轢とかも生んでいって本当に訳が分からない状態に陥って。
当時父が前の先代の父がひどいワンマン経営でやっていたもんで、自分・・・まあ自分はそうならないようにしなきゃいけないとは思っていたんですけれども、知らず知らずのうちにそういう事態に陥っていたような気がします。
うちの若い社員の一人から、「今やっている仕事をちゃんとやってくださいよ」って言われたことがあったんです。それが気づかされた転機だったと思いますね。「俺は何をやっていたんだろう」と。「ものを直すという仕事をちゃんとやっているじゃないか」と。「でもやっぱりまだまだ穴だらけだな」と。「そこをじゃあしっかり埋めていかなければな」という風に考えを新たに、そこで変わりましたね。
その時に自分への戒めとして思ったことって言うのが経営者も会社っていう単位で見てみると、一つの必要な役割の一つであって絶対者ではないっていうところの部分と、あと相手の言っていることの感情を無視して聞くと。相手も皆人間なので時には感情的になったりするときもあると思うんで受けれども、相手の言っていることとかをその辺の部分を隠して無視して聞いてみると、案外言っていることって正しいことが多かったりするんですよね。
だからそういう意味で「自分に慢心せず、尚且つ人の話を聞ける自分になろう」っていう風に変えられたことが、自分の本当に転機だったんじゃないかなあと思いますね。

実は私は会社を継ぐ気は全くなかったんですね。前職も自分で就職活動して、自分でその会社を見つけて入ったんですけれども、そこがいわゆるカーナビ・カーオーディオの製造メーカーの販売会社、いわゆる車のカー用品を扱っている量販店、そういう卸している会社だったんですけれども、お世辞にもその会社の製品が優れているものではなかったんですよね。
そうすると、買いに来たお客さんに対して、その・・・ほっといたら売れないわけですから、自分の会社の製品の欠点は隠して、良いところだけを言って。そのようにして当時の会社の製品を売っていくって作業をしなければいけないという状況下の中で、やっぱり・・・その胸につかえるといいますか、良心の呵責っていうものがどうしてもあったんですよね。
その最中、父がやっていた「布団を預かって蘇らせて、お客さんのところに返してあげる」という仕事をやっているといったときに、「あ!これはお客さんに感謝される!胸を張れる仕事をやっているな」と思ったんです。
そこで、「働いてみたい、そういうことをしたい」と思ってうちの会社に入ってきました